だい44しょう じゅうぶんの一 (1838年7月) せいとたちは,ミズーリしゅうファーウェストにいました。かれらは主から,じゅうぶんの一をおさめるようめいじられていました。そこでジョセフは,じゅうぶんの一としてどれだけささげたらよいか,天父にたずねました。すると主は,けいじによって,すべてのざいさんのじゅうぶんの一をおさめなさい,と言われました。 (教義と聖約64:23;119しょうの前書き) たとえば,100円のお金が入ったら,10円をじゅうぶんの一としておさめるのです。 じゅうぶんの一は,ほかのほうほうでもおさめることができました。こくもつやぼくそうのほか,にわとりなどのかちくでもおさめました。ぎゅうにゅうや,やさいでおさめる人もいました。 じゅうぶんの一のお金は,教会いんのためにつかわれます。こまっている人びとのために,そのお金で食べものやきるものを買うのです。 じゆうぶんの一は,しんでんをたてたり,でんどうをすすめたりするのにもつかわれます。また,すべての時間を主のわざにささげている人のためにもつかわれます。 じゅうぶんの一は,かんとくにわたします。かんとくは,それを教会のしどうしゃにわたします。しどうしゃは,そのつかい方をきめます。 (教義と聖約120しょう) 天父は,じゅうぶんの一をおさめるせいとに,すばらしいしゅくふくを下さいます。しかし,じゅうぶんの一をおさめない人は,そのしゅくふくをうけることができません。そのような人は,神のものをぬすんでいることになります。 (マラキ3:8-10)