だい48しょう ほかの国にせんきょうしがつかわされる (1837年6月-1841年10月) 主は,ほかの国の人びとにも,ふくいんを知ってほしいと思われました。そこでジョセフ・スミスに,イギリスへせんきょうしをおくるように言われました。ヒーバー・C・キンボールら4人がえらばれ,一行は船でイギリスにわたりました。 せんきょうしたちは,ほかの教会のしどうしゃに会いました。その人は,せんきょうしたちが自分の教会で話すことをゆるしてくれました。たくさんの人がせんきょうしの話をしんじ,バプテスマをのぞみました。すると,その人はおこって,もう教会で話してはいけない,と言いました。 せんきょうしたちは,しかたなく,しんじてくれた人びとの家で教えました。そして,多くの人が,まつじつせいとイエス・キリスト教会に入りました。 その後,ほかの人びとも,イギリスにわたりました。その中には,しともいました。ジョセフは,しゅっぱつの前に,かれらが人びとに教えるべきことを話して聞かせました。 また,すべての神のいましめをまもるように言いました。しんけんについても話し,しんけんをもっているのは,まことのイエス・キリスト教会だけであると語りました。 こうしてせんきょうしたちは,出かけるよういができました。ところが,お金はなく,多くの人はびょうきがちで,びょうきのおくさんや子どものいる人もいました。しかし,せんきょうしたちは,天父がたすけてくださるとしんじていました。 せんきょうしたちは,イギリスへわたり,あちこちの町でふくいんを教えました。大ぜいの心の正直な人がふくいんをしんじ,イエス・キリストの教会に入りました。天父はせんきょうしたちをしゅくふくされ,みんなぶじに家に帰って来ました。 オーソン・ハイドは十二しとでした。オーソンはジョセフ・スミスから,ユダヤ人のためにするとくべつなしごとがあると言われました。そこでオーソンはパレスチナの地に行き,1841年10月24日,パレスチナの地をささげるおいのりをしました。 「主よ,この地をしゅくふくしてください。さくもつがそだつように,水をおあたえください。アブラハムのすベてのしそんがパレスチナに来て,家をたて,はたけを作れますように。」 神はパレスチナの地をしゅくふくされ,そこは今,イスラエルとよばれています。1979年に,スペンサー・W・キンボールだいかんちょうは,イスラエルにある一つのそのをささげるおいのりをしました。そこは,「オーソン・ハイドきねんこうえん」とよばれています。