だい47しょう
ジョセフ・スミス,だいとうりょうにたすけをもとめる
(1839年3月-11月)
ジョセフ・スミスは,リバティーのかんごくから,せいとに手紙を書きました。そして,ぼうとがせいとにしたことを書いて,国のしどうしゃにおくるように言いました。
ジョセフはせいとに,がいをくわえた人びとの名前と,家やはたけのひがいを書くように言いました。
ある日,ジョセフたちはまた,べつのかんごくにつれていかれました。ジョセフたちは,番人から馬を2頭買いました。1頭分はふくでしはらしい,のこり1頭分は,後でしはらうやくそくをしました。
ある夜,番人のうちの4人が,よっぱらって,ねこんでしまいました。この時,後の一人の番人が,ジョセフたちをにがしてくれました。
ジョセフたちは,こうたいで馬にのって,イリノイしゅうのクインシーまで行きました。そこにつくまでには,10日もかかりました。
ジョセフたちは,自分のかぞくを見つけると,ふたたびいしょになれたことをよろこびました。
せいとは,イリノイしゅうに土を見つけて,町をつくりたいと思いました。そこで,ミシシッピ川のほとりに土地を買いました。そこは,じめじめした土地でした。せいとは,たいへんなくろうをして土地をかわかし,家をたて,みどりをうえました。せいとは,その町をノーブーと名づけました。ノーブーとは,うつくしいところといういみです。
ジョセフ・スミスは,だいとうりょうに会いに行きました。そして,ミズーリしゅうでぼうとが,せいとの家をやき,かちくをぬすんだことなどを話しました。
ジョセフは話しました。「せいとの中にはころされた人もかんごくに入れられた人もいます。だいとうりょう,せいとが書いたものを見てください。ミズーリのしどうしゃは,わたしたちをたすけてくれません。そこでだいとうりょうにおねがいがあるのです。どうぞわたしたちをたすけ,てきをばっしてください。」
だいとうりょうは,せいとのくるしみは分かってくれましたが,何も手をうとうとしませんでした。もしせいとをたすけたら,ミズーリの人びとをおこらせることになったでしょう。
ジョセフは,かなしくてなりませんでした。せいとをたすけてくれるのは,天父のほかにだれもいないのです。