だい45しょう ミズーリのぼうと (1833年) せいとは,ミズーリしゅうファーウェストにもすんでいました。ジョセフ・スミスもすんでいました。せいとたちは,しあわせにくらし,りっぱな家や学校をたてました。 ところが,しあわせは長くはつづきませんでした。わるい人びとがいて,せいとのことでうそを言ったり,しどうしゃのわる口を言ったりしたのです。 ぼうとは,せいとたちをやっつけようとたくらみました。 そして,いろいろなひどいことをしました。せいとたちは家をおわれました。 また,家をやかれ,はたけをあらされました。 男の人たちは,手ひどくなぐられました。中には,かんごくに入れられた人もいました。 ぼうとは女の人にも手をふるい,そのためにころされた人もいました。 その時,ミズーリしゅうのちじは,ボッグズという人でした。ぼうとは,せいとについてありもしないことをつげ口しました。 それを聞いてボッグズちじは,へいしにめいじました。「かれらがこのしゅうを出て行かない時は,ころせ。」ぼうとはにんまりしました。ぼうとは,ほかにもたさんひどいことをしましたが,ちじはそれをやめさせませんでした。 せいとは,ハウンズミルという町にもすんでいました。ある日,せいとたちは,家やはたけではたらいているところをぼうとにおそわれました。 いちぶのせいとは,丸木づくりのたてものににげこみましたが,ぼうとは,かべのすきまからじゅうでうちました。 そして,かくれていたせいとたちをころしました。その中には,子どももいました。 さらにぼうとは,せいとたちの家やにぐるまをうばい,たくさんの男の人をころしました。そして,女の人と子どもだけが,とりのこされました。 その後,ヘいしたちが,ジョセフ・スミスたちしどうしゃをつかまえに来ました。へいしたちは,ジョセフたちをころすようにめいじられていました。 ところが,へいしのしきをしていた人は,そのめいれいにしたがわず,ジョセフたちをうたせませんでした。そんなことをすれば,さつじんになるからです。 へいしは,ジョセフたちをかんごくに入れました。ジョセフたちは,くさりでつながれました。かんごくの中はさむく,ジョセフたちは,つめたいゆかにねなければなりませんでした。 ろうの番人は,わるい人たちでした。番人たちは,ののしったり,げひんな話をしたりしました。また,どうやってせいとたちをころしたか,女,子どもをきずつけたかを話しました。そうしてひとばんじゅう,大声でわらったり,じまん話をしたりしてうかれました。 ジョセフはがまんできなくなって,立って,イエス・キリストの名によって大声で言いました。「やめよ。さもなければ,おまえたちかわたしのどちらかが,すぐさまころされるであろう。」番人たちはこわくなったのか,あやまると,すみの方にうずくまって,口をつぐんでしまいました。 しとだったブリガム・ヤングは,ジョセフがとらわれている間にしゅうかいをひらき,せいとたちにミズーリを出るようにつげました。せいとの多くはまずしく,にぐるまもそれを引く馬もありませんでした。そこであつまった男の人たちは,まずしいせいとをたすけようと言いました。 きびしい冬のさむさの中,せいとたちはミズーリをはなれました。ぼうとは,さいごまでせいとたちにがいをくわえようとしました。大切な馬や牛をぬすみました。 せいとたちは,イリノイしゅうのクインシーというところに行きました。クインシーの人びとは,せいとたちにやさしくしてくれました。 ボッグズちじとそのなかまは,せいとたちがいなくなって,うれしそうでした。ミズーリには,かんごくにとらわれている人たちしかのこっていませんでした。