だい46しょう リバディーのかんごくでのジョセフ・スミス (1839年3月) ジョセフ・スミスたちは,何日もかんごくに入れられた後,また,ほかのかんごくにつれて行かれました。そこは,リバティーというところでした。 リバティーのかんごくは,さむく,よごれていて,ジョセフたちは,たいへんつらい思いをしました。くさりでしばられることもありました。ねむるのもゆかの上でした。 十分なしょくじもあたえられず,どくが入っていて,ぐあいがわるくなることもありました。 ジョセフは,かなしみにくれました。とらわれてから,もう長い時がたっていました。かんごくから出られるかどうかも分からず,ジョセフは,教会のことが気がかりでした。 ジョセフは天父においのりして,たずねました。「いつまでわたしたちは,くるしみをうけなければならないのですか。主よ,せいとをたすけてください。そして,わたしたちのてきをばっしてください。」 (教義と聖約121:1-6) すると,イエスは言われました。「あなたのくるしみは,ほんのつかの間です。ゆうきを出しなさい。そうすれば,神はあなたをしゅくふくされ,あなたはもうすぐ友だちと会えるでしょう。あなたの友だちは,よろこんであなたをむかえます。」 (教義と聖約121:7-9) イエスは,わるい人びとがしたことをごぞんじでした。イエスは,ジョセフに言われました。「わたしがかれらをばっします。かれらはけっしてしんけんをうけることができません。かれらのしそんも同じです。かれらは,くるしんでしぬでしょう。」 (教義と聖約121:15,21) 「たくさんのよいことがせいとにおこります。神がせいとにしゅくふくをそそがれるのを,何ものもとめることはできません。せいとは,せいれいによって,神の力についてすばらしいことを知らされるでしょう。また,天と地について知るでしょう。」 (教義と聖約121:26-33) 「あなたは,くるしむことをおそれてはならない。くなんにあっても,くよくよしてはいけない。くなんはわたしたちによいもの,けいけんをあたえるためのものである。」イエスは,だれよりも大きなくるしみをうけられたのです。 (教義と聖約122:7-9)