「なぜわが子にこのようなことが起きたのでしょうか?わたしのせいでしょうか?」『障害と奉仕:親と介護者』
「なぜわが子にこのようなことが起きたのでしょうか?わたしのせいでしょうか?」『障害と奉仕:親と介護者』
なぜわが子にこのようなことが起きたのでしょうか?わたしのせいでしょうか?
障害のある子供の親が,「自分たちに何か悪い点があったのだろうか」と考えるのは珍しいことではありません。救い主の時代には,多くの人が,人々が直面する試練や苦難は本人が犯した罪の結果であると考えていました。現代でも,そう考える人はいます。ボイド・K・パッカー会長は次のように述べています。「とにかく苦しみはすべて罪の直接的な結果であるという考えが大昔からあります。しかしそれは偽りの教えです。」1救い主の生涯における次の出来事について研究することによって,わたしたちが経験する逆境や苦難について大切な真理を学ぶことができます。
「イエスが道をとおっておられるとき,生れつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねて言った,『先生,この人が生れつき盲人なのは,だれが罪を犯したためですか。本人ですか,それともその両親ですか。』
イエスは答えられた,『本人が罪を犯したのでもなく,また,その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが,彼の上に現れるためである。』」(ヨハネ9:1-3)