障害
イエス・キリストの弟子として,わたしたちは貧しい人や助けを必要としている人の世話をする必要があります


「イエス・キリストの弟子として,わたしたちは貧しい人や助けを必要としている人の世話をする必要があります」『障害と奉仕:リソース』

「イエス・キリストの弟子として,わたしたちは貧しい人や助けを必要としている人の世話をする必要があります」『障害と奉仕:リソース』

イエス・キリストの弟子として,わたしたちは貧しい人や助けを必要としている人の世話をする必要があります

Man in wheelchair with others coming out of church

「世界を救ったとしても,いちばん身近な,最も愛する人々の必要をおろそかにしていたら,何の益になるでしょうか。世直しをしても,周りにいる人々がくじけそうなのに気づけなかったとしたら,いったいどれほどの価値があるのでしょうか。天の御父は,わたしたちがその必要を満たすのに最適だと御存じだからこそ,わたしたちを必要とする人々を,わたしたちのいちばん近くに置かれたのかもしれません。」(ボニー・L・オスカーソン「目の前の必要『リアホナ』2017年11月号,26)

「教会で人々に効果的に奉仕するには,親の目,すなわち天の御父の目を通して人々を見なければならないと,今実感しています。そうして初めて,人の真の価値を理解し始め,天の御父が御自分のすべての子らに対して抱いておられる愛を感じることができます。また,そうして初めて,救い主が御父の子らに対して抱いておられる思いやりに満ちた気遣いを感じることができます。神の目を通して人々を見ないかぎり,悲しむ者とともに悲しみ,慰めのいる者を慰めるという聖約の義務を完全に果たすことはできません。」(デール・G・レンランド「神の目を通して『リアホナ』2015年11月号,94参照)

「御父が御自身と救い主の代わりに,だれに向けて君たちを愛による奉仕へと遣わそうとしておられるかを知るために祈るんだよ。」(ヘンリー・B・アイリング「善を行うように導く御霊を信頼しなさい『リアホナ』2016年5月号,18参照)

「わたしたちは個人に気を配らなければなりません。キリストはいつも個人について話をされました。病人を一人一人癒されました。たとえの中で個人について話をされました。この教会は,会員が多いにもかかわらず,個人に関心を払います。会員数が600万,あるいは1,000万,1,200万,5,000万であろうと,個人が大切であるという事実を決して見失ってはなりません。」(『歴代大管長の教え—ゴードン・B・ヒンクレー』289参照)

「このように救い主はメシヤとしての御自身の務めを初めて公言されました。しかしこの言葉は,贖罪の犠牲と復活という究極の業が行われるまでの間は,メシヤとしてのイエスの最大の務めが,心の貧しい人も含め,貧しい人々を祝福することであると明示したのです。

イエスは初めから,貧しい人々や,恵まれない人々を並外れた方法で愛されました。イエスは貧しい両親のもとに生まれ,貧しい人々の中で成長されました。生活の詳細は分かりませんが,イエスはかつて『きつねには穴があり,……鳥には巣がある。 しかし,人の子にはまくらする所がない』と言われました(マタイ8:20)。天地と『その中にある万物』(2ニーファイ2:143ニーファイ9:15)を創造された御方の少なくとも成人後の生活は,住居のないものだったようです。」(ジェフリー・R・ホランド「わたしたちは皆,物乞いではないだろうか『リアホナ』2014年11月号,40)