「わたしたちはそれぞれに与えられた比類ない賜物,個性を認め,たたえるべきです」『障害と奉仕:リソース』
「わたしたちはそれぞれに与えられた比類ない賜物,個性を認め,たたえるべきです」『障害と奉仕:リソース』
わたしたちはそれぞれに与えられた比類ない賜物,個性を認め,たたえるべきです
「天の御父の子供たちには多少の個人差があります。しかし,どの子供も,人類全体に深みと豊かさを与える独自の音色を持っているのです。」(ジョセフ・B・ワースリン「個人に関心を寄せる」『リアホナ』2008年5月号,18)
「神の聖歌隊において異なる声の人がいるのは神の計画〔です〕。豊かな音楽を奏でるためには,ソプラノやアルト,バリトンやバスといった,いろいろな声が必要なのです。二人のすばらしい末日聖徒の女性の楽しい手紙のやり取りから言葉を借りると,『神の造られたどの生物にも,それぞれに聖歌隊の持ち場がある』のです。飽くことのない消費者文化に振り回され,実現可能な域を超えて理想化された虚像が,ソーシャルメディアによって作り出されています。自分の個性を過小評価したり,そのような虚像に自分を合わせようとしたりすると,神が多様性に富んだ世界を創ったときに目指しておられた豊かな音色や音質を,わたしたちは失ってしまいます。
これは,神のコーラスでは各自がてんでんばらばらに自分のオラトリオを大声で歌い始めてもよいと言っているわけではありません。多様性は不協和音ではありませんし,聖歌隊には鍛練が必要です。今日の話の目的を考えて,……『鍛練』という言葉を使います。神から示された歌詞や,世界が存在する前に作られた美しいハーモニーの音楽をわたしたちが受け入れるならば,天の御父は喜んでわたしたちにほかの人の声ではなく,自分の声で歌わせてくださいます。自分を信じてください。神を信じてください。自分の価値を過小評価したり自分の力を低く見たりしてはいけません。何よりも,コーラスの中で自分が果たしている役割を放棄しないでください。なぜでしょうか。皆さんは個性的で,皆さんの代わりはいないからです。現世でわたしたちが歌うこの大いなる聖歌隊では,社会の片隅や教会の片隅にいる人も含めて,たった一人の声が失われるだけで,ほかのすべての歌い手の声の響きが弱くなるのです。」(ジェフリー・R・ホランド「歌われる歌と歌われない歌」『リアホナ』2017年5月号,49-50)