障害
障害は罰ではありません


「障害は罰ではありません」『障害と奉仕:リソース』

「障害は罰ではありません」『障害と奉仕:リソース』

障害は罰ではありません

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Man in wheelchair with children playing in leaves

「わたしたちには分からない理由により,肉体に障害を持って生まれてくる人がいます。体の一部に異常があるかもしれません。調節機能のバランスが崩れているかもしれません。そして,すべての肉体は,病気と死に直面します。しかし,肉体はきわめて貴重な賜物なのです。それなしに,完全な喜びを得ることはできません。

神聖な目的を達成するために,完全な肉体が必要なわけではありません。事実,最もすばらしい霊が,弱い体に宿ることもあります。肉体に障害があって日々チャレンジに直面する人が,卓越した霊的な強さを育む場合がよくあります。そのような人は,神が忠実で従順な人のために用意されたすべての祝福を受ける資格があるのです。

やがてその時が来ると,『霊と体は再び結合して完全な形になり,手足も関節も……その本来の造りに回復され』ます(アルマ11:43)。こうしてわたしたちは,イエス・キリストの贖いのおかげで,主にあって完全になることができるのです。」(ラッセル・M・ネルソン「わたしたちは神の子である『リアホナ』1999年1月号,95)

「まず初めに,特に強調したいのが次の点です。障害児を持つ親が『自分たちに何か悪い点があったのだろうか』と考えるのは珍しいことではありません。とにかく苦しみはすべて罪の直接的な結果であるという考えが大昔からあります。しかしそれは偽りの教えです。古代の使徒たちでさえも,主に正されるまでその教えを信じていました。」(ボイド・K・パッカー「水を動かす『聖徒の道』1991年7月号,7)

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