「第114課:教義と聖約101:1-42:彼らが罪を犯したにもかかわらず,わたしの心は哀れみに満たされている」『教義と聖約 セミナリー教師用手引き』
「教義と聖約101:1-42」『教義と聖約 セミナリー教師用手引き』
ミズーリの聖徒たちは,主が命じられたような義にかなった生活をするのに苦労しました。その結果,主の力と保護を大幅に失い,敵に家を追われました。そのような状況にあっても,主は彼らに対して愛と哀れみを保証されました。この課は,自分に対する救い主の思いやりと憐れみを生徒が感じられるようにすることを目的としています。
1833年,ミズーリの反対勢力が激しくなり,力づくで聖徒たちをインディペンデンスから追い出すようになりました。寒い季節となり,緊張が高まる中,聖徒たちは自分の土地にとどまるべきか逃げるべきか,答えが出ませんでした。そのとき預言者ジョセフ・スミスはオハイオ州カートランドにいましたが,聖徒たちから逐次状況は聞いていました。預言者には彼らの痛みと苦しみが分かったので,彼らがミズーリの家に帰れるかどうか天の御父に祈り求めました。そして,現在教義と聖約101章として知られる啓示を受けました。(聖徒たちの試練について詳しくは,『聖徒たち—末日におけるイエス・キリスト教会の物語』第1巻「『真理の旗』1815-1846年」17章を参照してください。)
教義と聖約101:1-2を読んで,主はなぜ聖徒たちが苦しみを受けるままにされたのかを見つけてください。
教義と聖約101:3-9を読み,聞いて慰めとなる事柄と,聞くのがつらい事柄を見つけてください。
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どのようなことが見つかりましたか。
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3節と9節によると,主は罪を犯した者をどのように見ておられるでしょうか。
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わたしたちが罪を犯したとき,主は罪を無視するのではなく,思いやりと憐れみを示してくださることから,主についてどのようなことが学べるでしょうか。
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イエス・キリストは,わたしたちの罪に対して,思いやりと憐れみを示すことがおできになるのはなぜだと思いますか。
次の言葉と聖句を読み,罪を犯した人の助けとなるイエス・キリストの特性について学べることを見つけてください。
十二使徒定員会のウリセス・ソアレス長老は,次のように教えています。
13:12
「〔皆さんやわたしと違い〕,キリストは,状況のあらゆる側面をはっきり理解することがおできになります。救い主はわたしたちの弱さをすべて御存じでありながら,すぐに非難はなさらず,時間をかけて思いやりをもって働きかけ続けてくださいます。」(ウリセス・ソアレス「救い主の不変の思いやり」『リアホナ』2021年11月号,15)
ヘブル4:14-16
教義と聖約101:16-19を読み,主が与えてくださる慰めと物の見方を見つけてください。
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これらの聖句は,救い主の物の見方を理解するのに,どのような助けになりますか。
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主はシオンについて,現在のわたしたちの生活に関連するどのようなことを教えられましたか。
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教義と聖約101:1-19のどの節を覚えておきたいですか。
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救い主の思いやりと憐れみがあなたの生活に祝福をもたらしてくれたと感じたのはどのようなときでしたか。
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感じたことを行動に移すために,どのような一歩を踏み出しますか。