「主を覚えることが持つ人生を変える力」『For the Strength of Youth—青少年の強さのために』2023年6月号
わたしに従ってきなさい
主を覚えることが持つ人生を変える力
聖餐と聖霊を通して,わたしたちはイエス・キリストを覚え,強さと平安と喜びを見いだします。
現世でともに取る最後の食事となる過越のために,エルサレムのある二階の部屋に使徒たちを集めたとき,イエス・キリストは「自分の時がきた」(ヨハネ13:1)ことを御存じでした。程なく主は無限にして永遠の贖いの犠牲をささげられることになります。
使徒たちはそれまで,イエスとともに歩み,話をしてきました。主の教えを聞き,主の奇跡を目にしてきました。その主が去っていかれるというのでしょうか。主がおられない状態で,これからどうすればよいのでしょうか。
イエスは弟子たちに,主がいなくなった後に主を覚えるための方法をお教えになりました。イエスは聖餐を定め,聖霊が遣わされると約束されました。
末日における主の弟子として,わたしたちはいつも主を覚えるように命じられています。わたしは聖餐と聖霊が,わたしたちがイエス・キリストを覚え,イエス・キリストに従えるよう,どのように助けとなってくれるかを話しますが,その間ぜひ,自分が日々さらによく主を覚え,主に従うための方法について考えてみてください。
聖餐がもたらす祝福
最後の晩餐で,イエスはパンを祝福し,それを使徒たちに与えてこう言われました。「取って食べよ,これはわたしのからだである。」その後,「また杯を取り,感謝して彼らに与えて言われた,『みな,この杯から飲め。これは,……多くの人のために流すわたしの……血である。』」(マタイ26:26-28)
主は言われました。「わたしを記念するため,このように行いなさい。」(ルカ22:19)
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちは毎週聖餐を受けるよう命じられています(教義と聖約59:9,12参照)。この聖なる神権の儀式は,心から悔い改め,霊的に更新され,そしてイエス・キリストを覚えなさいという,繰り返し行われる招きです。
パンを食べ,水を飲むという行為は,罪の赦しをもたらしてはくれません。しかし,祈りを込めて誠実に備え,ふさわしい状態で儀式に参加するとき,わたしたちは自分の行いと心の望みを吟味し,悔い改めるようにという主の招きを受け入れるのです(モーセ6:57参照)。主が求めておられる犠牲,すなわち打ち砕かれた心と悔いる霊(3ニーファイ9:20参照)をささげるとき,わたしたちはいつも主の御霊を受けることが約束されています。また,絶えず聖霊を伴侶とし,その聖めの力を受けることで,罪の赦しを得,いつもそれを保つことができるのです(モロナイ6:4参照)。
ある指導者集会で聖餐を取った後,ラッセル・M・ネルソン大管長はこう言いました。「わたしは聖餐を取ったときに,喜んでイエス・キリストの御名を受け,喜んで主の戒めに従うという聖約を交わしました。バプテスマで交わした聖約を新たにするために聖餐を取るという表現をよく耳にします。それは真実ですが,さらに深い意味があります。わたしは新しい聖約を交わしました。皆さんは新しい聖約を交わしたのです。……さて,それに対して主は,常に主の御霊がわたしたちとともにあると宣言されます。何という祝福でしょう!」1
聖餐の間,わたしたちはイエス・キリストのことを,また主がわたしたちのために「十字架にて流されたる血」2を思い起こします。よく考えて聖餐に備え,心から聖餐を受けることは,霊的な更新,天の力,そして主の約束された祝福をもたらします。
聖霊を招く
イエスは使徒たちに,御自分が去った後,御父が彼らを祝福するために慰め主,すなわち聖霊を遣わされると約束されました(ヨハネ14:26参照)。
聖霊の役割は,わたしたちを導き(ヨハネ16:13参照),なすべきことを示し(2ニーファイ32:5参照),慰め(ヨハネ14:26参照),守り(モーサヤ2:36参照),聖める(3ニーファイ27:20参照)ことです。聖霊がわたしたちとともに,またわたしたちを通して働くことがおできになるのは,わたしたちが聖霊を常に伴侶とすることを心から望み,適切に備えて生活の中に聖霊を招き入れる場合に限ります。
聖霊を招くために,聖文にあるキリストの言葉を研究し,深く考え,よく味わってください(2ニーファイ31:20参照)。絶えず祈ってください。促しに忠実に従って行動してください。徳高い思いと,行いと,言葉を求めてください。家庭で,神殿で,教会で礼拝してください。
これらの義にかなった習慣を生活に取り入れるとき,皆さんは「いつも御子の御霊を受けられる」(教義と聖約20:77;強調付加)と,主は約束しておられます。
力強い変化
主の天使が息子アルマに現れ,悔い改めるように呼びかけたとき,アルマは地に倒れ,数日間話すことも動くこともできませんでした。
この間,息子アルマは自分の罪を思い出して苦しみます。しかしそのとき,かつて父が「イエス・キリストという御方の来臨について」預言していたのを思い出しました。「イエス・キリストは神の御子であり,世の罪を贖うために来られる」というのです。後に息子アルマはこう記録しています。「心にこの思いがはっきりと浮かんできたとき,わたしは心の中で,『おお,神の御子イエスよ,……わたしを憐れんでください』と叫んだ。さて見よ,このことを思ったとき,わたしはもはや苦痛を忘れることができた。」(アルマ36:17-19)
アルマを変えたのは,天使の現れではありませんでした。イエス・キリストとその贖いの犠牲を思い起こすことが,悔い改めと,赦しと憐れみを求める祈りへとアルマを導き,それによってアルマはほかにあり得ないほど麗しい喜びを感じ,献身的な弟子となったのです。
皆さんがイエス・キリストを覚え,熱心に主を求め,主に従うとき,主は聖文の物語の主人公であることをはるかに超えた重要な存在となります。主の神性と,主が確かに生きておられるということが,皆さんの日々の決断に影響を及ぼし,皆さんを祝福し,さらに主のようになれるよう活気づけてくれます。この力強い変化は,皆さんがイエス・キリストを覚えるときに始まるのです!
皆さんに望むこと
皆さんが主を覚え,主の御名を受け,主の戒めを守るときに,主イエス・キリストが皆さんを祝福してくださることを証します(教義と聖約20:77,79参照)。主は言われました。「そして,あなたがたは,いつもわたしを覚えているならば,わたしの御霊を受けるであろう。」(3ニーファイ18:7)
次回の聖餐でパンと水を受けるとき,皆さんが心の中でこう言うように願っています。「わたしは主と,主がわたしのためにささげてくださった犠牲を決して忘れません。わたしは主を愛し,主に従います。」皆さんが生涯にわたってこの決意を持ち続けるように祈ります。
いつもイエス・キリストを覚え,イエス・キリストに従うことによってもたらされる強さと平安と喜びをもって,皆さんが前進することができますように。