末日聖徒の声
犠牲のエプロン
キャンディス・A・グローバー(アメリカ合衆国,アイダホ州)
何年も前のあるクリスマスのことです。心配事がたくさんあってクリスマスを楽しめないでいました。夫のアンディーがせきをし始め,幾つか検査を受けましたが,あっという間に肺損傷に移行してしまいました。その後,手術と食道再建術を受け,「念のために」生検(訳注─患部の一部を切り取って調べる検査)も受けました。夫が手術を受けたのは,わたしたちが新居に引っ越す1週間前のことでした。
クリスマスの数週間前,近所に住むジャネーと話す機会がありました。ジャネーは,クリスマスの準備はできたかと尋ねました。わたしは何とか,これ以上の準備はできそうもないと答えました。いつもはクリスマスの直前に祖母と一緒にクリスマスクッキーを作ること,そして娘たちのためにエプロンを作ってあげたかったけれど,多分できないだろうと言い添えました。
それから一週間後,わたしはクリスマスツリーのそばの,座り心地のよい布張りの椅子に座ってくつろいでいました。娘たちはもう眠りに就き,アンディーは書斎で仕事をしていました。すると,玄関のベルが鳴りました。ドアを開けると,ジャネーが3つの箱を抱えて玄関先の階段に立っていました。背後には雪がはらはらと舞っています。
わたしは「お入りになって」と招きながら,彼女にはわたしが驚いているのが分かるに違いないと思いました。
「結構よ。すぐに戻らないといけないので」と彼女が言いました。「これをお嬢さんたちにあげて。」
そう言って,ジャネーは箱を手渡しました。
「エプロンよ。大したものじゃないけど,今晩仕上げられたから。」
わたしは驚き,謙遜な気持ちで,ありがとうとささやきました。わたしたちは抱き合い,わたしは家路に就く彼女の姿を見送りました。
椅子に戻ると,わたしは箱の一つに掛けられた白いサテンのリボンを丁寧にほどきました。箱を開けると,クリスマス柄の生地の,手作りのエプロンが入っていました。親指と人差し指で縫い目をなでながら,ジャネーのことを思いました。彼女には1歳になったばかりの双子を含め,小さい子が4人いました。ピアノ教室をしながら,ワードでは忙しい重要な召しを果たしていました。
いつエプロンを作る時間があったのだろうと考え始めたとき,すぐに答えが分かりました。時間があったのではないのです。彼女は時間を作ったのです。
ジャネーを通して授けられた天父の愛を感じ,わたしは涙をこぼしました。「〔御父の〕愛の腕の中に」(教義と聖約6:20)抱かれているような,温かさと慰めが感じられました。
エプロンを贈られてから何年もたちました。娘たちの成長とともに,その時のエプロンはもうだいぶ前に小さくて着られなくなってしまいました。しかし,そのエプロンは今も,食品庫のフックのもっと新しいエプロンの下につるされています。ジャネーの贈り物を目にするたびに,わたしはあの夜に感じた慰めと愛を思い出します。彼女の贈り物はわたしがどのような人間になりたいのかを思い起こさせてくれます。それは,啓示を受けるふさわしさを持ち,進んで奉仕をするイエス・キリストの弟子です。