2016
神の3つの園
2016年3月号


神の3つの園

ブルース・R・マッコンキー「ゲツセマネの清めの力」『聖徒の道』1985年7月号,9-11参照。原文〔英語〕では,句読点,大文字は標準用法に修正されています。

これは,マッコンキー長老がこの世における使徒として最後に述べた証です。長老はこの2週間後に亡くなりました。

皆さんもわたしとともに贖罪について正しく確かな知識を得てください。

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神の3つの園

「エデンの園を追われるアダムとエバ」の一部,ゲーリー・L・キャップ画。「ゲツセマネのキリスト」の一部,ハリー・アンダーソン画。「復活」ハリー・アンダーソン画

これはわたしが心に感じていることで,御霊もそれに賛同しておられると思えることですが,わたしが断言できる最も大切な教義であって,わたしが述べることのできる最も力強い証は,主イエス・キリストの贖いの犠牲に関することです。

創造の夜明けに始まり,決して終わることのない永遠に至る全ての時代を通して,過去に起こったこと,そしてこれから起こることの中で,主の贖いは人知を超える最も偉大な出来事です。

贖いは神のみが行われ得る善と恵みに満ちた至高の行為です。この贖いを通して初めて,御父の永遠の救いの計画が効力を持つよう,必要な全ての条件が整ったのです。……

これらの驚嘆すべき事柄について語るとき,わたしはわたし自身の言葉を使います。皆さんはそれを聖文の言葉であるとか,他の使徒や預言者が語った言葉であると思うかもしれません。

確かにそれらの言葉は初め,別の人たちによって宣言されました。しかし,今はわたしの言葉です。それは,まるで主が最初に明らかにされたのがわたしに対してであったかのように,神の聖き御霊がわたしにその言葉が真実であることを証してくださったからです。ですから,わたしは主の声を聞き,主の言葉を知っているのです。……

皆さんもわたしとともに贖いについて正しく確かな知識を得てください。

わたしたちは人の哲学や賢者の知恵を捨て,わたしたちをあらゆる真理に導くために与えられた御霊に耳を傾けなければなりません。

また聖文を研究し,それを主の御旨,御心,御声として,また救いに至らせる神の御力として受け入れる必要があります。

聖文を読み,深く考え,祈るとき,わたしたちの心の中に神の3つの園が見えてきます。エデンの園,ゲツセマネの園,そしてイエスがマグダラのマリヤに御姿を現された,空になっていた墓のある園です。

エデンでわたしたちは,万物がパラダイスの状態に創造されたことを知ります。そこでは,死も,子供をもうけることもなく,試しの経験もありません。

そしてこの創造が,まだ人には知られていませんが,堕落をもたらすための唯一の方法であったことが分かるようになります。

そして,最初の男性と女性であったアダムとエバが不死不滅とパラダイスの栄光から降りて,この地上において死すべき肉体を持った最初の人間となったことを理解します。

子供をもうける力と死を伴う肉体がこの世にもたらされたのです。そして背きにより,試練と試しの状態が始まります。

その後ゲツセマネで,神の御子が,堕落によってもたらされた霊と肉体の死から人をお救いになるのを目の当たりにします。

そして最後に,空になった墓の前で,わたしたちの主であられるキリストが死の縄目を断ち切り,墓に対して永遠の勝利を収められることを知るのです。

このように,創造から堕落が生じ,堕落によって肉体と死がもたらされ,そしてキリストによって不死不滅と永遠の命がもたらされたのです。

もし死をもたらしたアダムの堕落がなかったなら,命をもたらすキリストの贖罪もなかったでしょう。

さらに,神の血を流すことによってなされた完全な贖罪に関し,わたしはそれがゲツセマネとゴルゴタで行われたことを証します。またイエス・キリストに関して,イエスが生ける神の御子であり,この世の罪のために十字架におかかりになった御方であられることを証します。イエスはわたしたちの主であり,神であり,王であられます。わたしはこのことを,誰に頼ることなく自分自身の証として知っています。

わたしは主の証人の一人であり,いつの日か主の手と足の釘跡に触れ,主の足を涙でぬらすことでしょう。

しかし主が神の全能の御子であられ,わたしたちの救い主,贖い主であられ,また救いが主の贖いの血以外の何ものからももたらされないという知識は,これからも今と何ら変わることがないでしょう。

父なる神が光の中におられるように,わたしたち全てが光の中を歩むことを神が許してくださいますように。それは,約束されているとおり,御子イエス・キリストの血によってわたしたちのあらゆる罪が清められるためです。