末日聖徒の声
自分にとって一番大切なこと
大学に入って3年目の半ばに,わたしは家賃と光熱費のためにためておいたお金が夏の終わりまで持ちそうにないことに気づきました。次の学期の支払いのために働くよい機会だったので,店員のアルバイトを見つけました。
全て順調だったのですが,ある日,仕事のスケジュールが変わり,日曜日も働かなければならなくなりました。面接のとき,日曜日に働けないとは言いませんでした。当時,店は日曜が定休日だったからです。けれども,仕事は大切でしたし,気に入ってもいました。友人が同じ店で働いていたので,月に2回は日曜日に休めるよう,交代で日曜勤務をこなすことにしました。そうすることで,出席できる集会もあり,召しを果たすこともできました。
しかし,やがてこのスケジュールには無理があることが分かりました。実のところ,毎週日曜日働いていなくても,日曜日の責任を十分果たせていないと感じていたのです。状況を変えるにはどうしたらよいか,自問し始めました。上司の心を和らげる方法を願い求めて祈った後で,ニーファイ第一書第7章を読みました。19節を読んだことを覚えています。ニーファイが祈った後に兄たちの心が和らいだと記されています。ようやく雇用主に会い,日曜日に働かないことについて言うことができました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員だと言うと,上司は末日聖徒の信条について質問しました。日曜日に休ませてもらいたいとお願いすると,だめだという答えが返ってきました。最初の面接のときに,何曜日でも働けると言ったこと,そして宗教的な必要について何も言わなかったことを指摘されました。
そのまま数か月が過ぎたある日曜日,わたしは教会の集会が終わると,急いで仕事に向かいました。そして,「あなたにとって一番大切なものは何か」と自問しました。答えは即答で,間違えようがありませんでした。教会,福音,召しを果たすこと,日曜日の集会に真心を込めて出席すること,そして言葉と行いにおいて善き弟子であることです。
わたしは日曜日に休ませてもらえるよう,もう一度お願いすることにしました。そして今度は,再び断られたときのために辞表を手にしてお願いすることにしたのです。
それまで祈り,断食し,友人から励ましの携帯メールをもらっていました。
話し合いに臨んだとき,胸がどきどきしてはいましたが,気持ちは落ち着いていました。正しいことをしていると知っていたからです。今度は,上司は認めてくれました。祈りがこたえられたのです。アパートに帰るやいなや,わたしは辞表を破り捨てました。
この経験から多くの祝福を頂きましたが,即座に与えられた最も具体的な祝福は,仕事を続けながら,安息日を聖く守ることができたことです。そのことを,主に心から感謝しています。