2017
最良の書物から探し求めなさい
2017年11月


最良の書物から探し求めなさい

最良の書物を研究するときに,わたしたちは霊的な根を食い荒らそうとする人々の恐ろしいあごの力から身を守ることができます。

ある早朝,美しいバラの木に,おなかをすかせたイモムシが葉っぱの陰に隠れているのを見つけました。葉っぱの付いていない若枝を見れば,このイモムシがその恐ろしいあごの力で柔らかい葉っぱを食べ荒らして進んでいることは,だれの目から見ても明らかでした。象徴的な意味で,わたしたちの周りにはこのイモムシのような状態の人々がいると考えずにはいられませんでした。そのような人は世界中にいますが,とても巧妙に姿を隠しているため,時折わたしたちは自分の生活へ侵入するのを許してしまうことがあり,知らないうちに,わたしたちの家族や友人の霊的な根っこを食い荒らされてしまいます。

現代に生きるわたしたちの身の回りには,わたしたちの信条についての正しくない情報が満ちあふれています。そのような状況において,自分の霊的な根を守り,より深く根差すのを怠ることは,キリストを信じる信仰と主の回復された教会に対する信仰を絶やそうとねらっている者たちを招き入れて食い滅ぼさせることを意味します。モルモン書の時代の例では,ゼーズロムが信者たちの信仰をくじかせようとしました。

彼の行いや言葉は,「この民を捕らえるために敵対する者の仕掛けたわなであり,これによって彼は,〔民〕を自分に服従させ,鎖で〔民〕を縛」ろうとしました(アルマ12:6)。それと同じようなわなが今日も存在するため,わたしたちは霊的に用心深くあり,贖い主の上に堅固な基を築くのでなければ(ヒラマン5:12参照),サタンの鎖につながれて,モルモン書に述べられているような禁じられた道へと巧みに惑わされてしまいます(1ニーファイ8:28参照)。

使徒パウロは当時,次のような警告の声を上げていますが,それは今でも有効です。「わたしは知っている。……あなたがた自身の中からも,いろいろ曲ったことを言って,弟子たちを自分の方に,ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。」(使徒20:29-30

パウロやそのほかの預言者や使徒たちの警告は,反対する言葉や惑わす言葉に対する霊的な守りを固めるために,自分たちにできることをすべて行わなければならないことを思い起こさせてくれます。教会のワードやステークを訪問するとき,救い主とその僕たちの教えに快く,また忠実に従っている聖徒たちの行いを見たり,聞いたり,感じたりする度に,わたしは高められます。

預言者の招きに従って霊的な守りを固める会員たちの中には,安息日をさらに守るように努めている人たちがいます。神殿や家族歴史の業にさらに積極的に取り組み,神殿の儀式を通して先祖を結び固める家族には,さらに堅固な守りが確実にもたらされます。心からの個人や家族の祈りを信仰のとりでとし,日々悔い改め,聖霊が伴侶となるように求め,救い主と主の特質について学び,主のようになろうと努めるときに,わたしたちの霊的な根はより深く根付くのです(3ニーファイ27:27参照)。

わたしたちの救い主,イエス・キリストは世の光であり,わたしたちに従うように招いておられます。どのようなときでも主の方を向いているように,特に,疑いや不確かな思いが霧のように渦巻いて忍び寄ろうとする暗い嵐の夜は,主の方を向かなければなりません。「水の流れている川の向こう側に〔建っている〕,一つの大きく広々とした建物」にいる人たちが(1ニーファイ8:26),自分を指差してばかにしたり蔑んだりしながら手招きしているように感じるときは,すぐに顔を背け,真理とそこからもたらされる祝福から皆さんを引き離そうとする,狡猾な悪巧みに誘われないようにしてください。

しかし,道理に反した事柄が伝えられ,出版され,放送されている現在においては,それだけでは十分ではありません。ロバート・D・ヘイルズ長老は次のように教えています。「福音に忠実に従って生活しないかぎり,つまり『心と,勢力と,思いと,力』を尽くして生活しなければ,闇を追い出すだけの霊的な光を発生させることができないのです。」(「闇を出て,驚くべき主の光の中へ『リアホナ』2002年7月号,78)もちろん,世の光(ヨハネ8:12参照)であられるキリストに従いたいという望みは,主の教えに従って行動しなければならないということを意味します。神の言葉に従って行動するときに,わたしたちは霊的に強められ,堅固にされ,守られます。

生活において,光が増し,影は薄れます。しかし,豊かな光の中にいたとしても,わたしたちは,わたしたちの信条を誤解したり,わたしたちの信仰を試そうとしたりする人々や発言にさらされています。使徒ヤコブは次のように記しています。「信仰がためされることによって,忍耐が生み出される〔。〕」(ヤコブの手紙1:3)これについて,ニール・A・マックスウェル長老は次のように教えています。「忍耐強い弟子は,教会について誤って伝えられたとしても,驚いたり,滅ぼされたりすることはありません。」(“Patience”[Brigham Young University devotional, Nov. 27, 1979], speeches.byu.edu

教会の歴史や信条についての質問が挙げられることはもちろんあります。それに対する正しい答えをどこから見つけるのかについては,注意深くあるべきです。不十分な情報や間違った情報から成る見方や意見を調べて得られるものは,何もありません。最善の助言は,使徒ヤコブによって与えられています。「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,……神に,願い求めるがよい。」(ヤコブの手紙1:5

神に尋ね求める前に,入念な研究をする必要があります。聖典で「最良の書物から知恵の言葉を探し求め,研究によって,また信仰によって学問を求めなさい」と教えられているとおりです(教義と聖約88:118)。そのような最良の書物として,天からの霊感を受けた教会の指導者や,教会歴史と教義について認知され,ほぼ間違いのない,信頼できる専門家によって書かれた本がたくさんあります。それでも,正式な聖典に含まれている,神が明らかにされた威厳のある御言葉に勝るものはありません。それらの薄いページに記された深みのある霊的な洞察から,わたしたちは聖霊を通して真理を学び,それによって光が増すのです。

トーマス・S・モンソン大管長は,「モルモン書を毎日よく祈って研究し,深く考える」ように勧めています(「モルモン書の力『リアホナ』2017年5月号,87)。

数年前に,フィジーのスバ伝道部で伝道部会長として奉仕していたとき,モルモン書の改心させる力を実感する経験をした宣教師が何人かいました。ある蒸し暑い日,二人の長老たちはラバサという小さな開拓地にある家に着きました。

ドアをノックすると年老いた男性が出て来ました。彼は,モルモン書が真実だという宣教師たちの証に耳を傾けました。彼らはその男性にモルモン書を手渡し,彼ら自身がそうしたように,それを読んで,それが神の言葉であることを知るために祈るよう勧めました。男性はただ,「あしたから漁に出るんだ。船の中で読むから,戻って来たらまた訪問してほしい」と答えました。

彼が漁に出ている間に宣教師の転勤があり,数週間後に新しい同僚組の長老たちがその漁師を再び訪問しました。それまでに,彼はモルモン書を最後まで読んでおり,それが真実だという確証も得,もっと学びたいと切に願っていました。

この男性は聖霊によって改宗しました。遠い昔にあった出来事や教えられた教義について書かれたすべてのページにある大切な言葉が真実であることを,聖霊が証したのです。それらは,わたしたちの時代のためにモルモン書に記録されました。その同じ祝福を,わたしたち一人一人も受けることができます。

家族にとって,聖典や預言者の言葉,またLDS.orgにある教会の資料を研究して,大切な気づきや感じたことを分かち合うのに,家庭は理想的な場所です。そこから,最初の示現の記録などの福音のテーマについての情報をたくさん見つけることができます。最良の書物を研究するときに,わたしたちは霊的な根を食い荒らそうとする人々の恐ろしいあごの力から身を守ることができます。

すべての祈りや研究,熟考を通してもまだ答えを得られないような疑問もあるかもしれませんが,わたしたちの心にともる信仰の炎を消してはなりません。そのような疑問は,一時的に惑わそうとする疑いを強くするためのものではなく,信仰を築くための機会となるべきです。宗教というものは,すべての疑問に確実な答えがあるわけではないからです。なぜなら,それこそが信仰というものの目的の一つだからです。このことについて,ジェフリー・R・ホランド長老は,次のように教えています。「問題が発生したときに,なかなか解決しないときに,すでに知っていることに固くしがみついて,新たな知識を得るまで,強くあってください。」(「主よ,信じます『リアホナ』2013年5月号,94)

わたしたちのは,自分の信仰の根を継続的に養うことによって,強く立ち続けている周りの多くの会員たちが喜びを受けているのを目にすることができます。彼らの信仰と従順は,救い主に大きな希望を見いだし,その枝から大いなる幸福を受けるのに十分なものです。彼らはすべてのことを知っているとは公言しませんが,十分な知識を得るために必要な犠牲を払っています。そして,さらに知ろうと努めるときに,平安を得るとともに,忍耐を持って生活しています。教えに教えを重ねながら,彼らの信仰はキリストを基とした確固としたものとなり,聖徒たちと同じ国籍の者として堅く立っているのです。

人生の中でわたしたち一人一人が,姿をひそめているイモムシの恐ろしいあごに,今も,そしてこれからも,決して場所を与えないように生活し,「最後まで確固としてキリストを信じ」続けることができますように(アルマ27:27)。イエス・キリストの御名により,アーメン。