2018
主もあなたがたをゆるして下さったのだから,そのように,あなたがたもゆるし合いなさい
May 2018


主もあなたがたをゆるして下さったのだから,そのように,あなたがたもゆるし合いなさい

自分に過ちを犯した人を惜しみなく赦すことができるようになると,だれでも,言葉に尽くせない平安を得,救い主のパートナーとなることができます。

「週の初めの日,夜明け前に,女たちは用意しておいた香料を携えて,墓に行った。

ところが,石が墓からころがしてあるので,

中にはいってみると,主イエスのからだが見当らなかった。

そのため途方にくれていると,見よ,輝いた衣を着たふたりの者が,彼らに現れた。

女たちは驚き恐れて,顔を地に伏せていると,このふたりの者が言った,『あなたがたは,なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。

そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ。』」1

明日,復活祭の安息日に,わたしたちは特別な方法で,イエス・キリストがわたしたちにしてくださったことを思い出します。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。」2永遠に生きるため,最終的にわたしたちは主と同じように復活するのです。

また,悔い改めの機会と責任を受け入れるならば,イエス・キリストの聖なる贖いの奇跡を通して,わたしたちも罪と悪い行いに対する赦しの賜物を頂くことができます。そして,必要な儀式を受けて聖約を守り,戒めに従うことによって永遠の命と昇栄を得ることができるのです。

今日わたしは特に,救い主,贖い主であるイエス・キリストが与えてくださった,とても大切で貴重な賜物である赦しについて話したいと思います。

1982年12月のある晩,妻のテリーとわたしは,アイダホ州ポカテロの自宅にかかってきた電話で目が覚めました。電話に出ましたが,姉のすすり泣く声が聞こえるだけでした。やっとのことで,姉は苦しそうに言いました。「トミーが死んだの。」

コロラド州デンバーの郊外で,酒を飲んだ20歳の男性が運転する車が,時速85マイル(136キロメートル)以上のスピードで無謀にも赤信号を無視し,わたしの末の弟トミーが運転する車に激突したのです。弟と妻のジョーンは即死でした。二人はクリスマスパーティーの後,幼い娘が待つ家に帰る途中でした。

妻とわたしはすぐにデンバーに飛び,遺体安置所へと向かいました。両親やきょうだいとともに,愛するトミーとジョーンの死を悲しみました。愚かな犯罪行為によって,わたしたちは二人を失ったのです。わたしたちの胸は張り裂け,事故を起こした若者に対する怒りが湧き上がってきました。

トミーはアメリカ合衆国司法省の弁護士を務めており,それからの数年間,アメリカ先住民の土地と天然資源の保護を強力に推し進めようとしていた矢先でした。

しばらくして,危険運転致死罪に問われた若者の判決公判が開かれました。嘆きと悲しみの中で両親と姉のケイティーが公判に出席しました。同じく公判に出席していた飲酒運転者の両親は,公判が終了すると,ベンチに座り込み泣いていました。その二人のそばに座っていたわたしの両親と姉は,なんとか気持ちを立て直そうとしていましたが,しばらくして立ち上がり,運転手の両親のもとへ歩み寄ると,慰めと赦しの言葉をかけました。男性たちは握手し,女性たちは手を握り合いました。そこには全員の深い悲しみと涙がありました。そして,どちらの家族もひどい苦しみに遭っていることを知りました。母と父,そしてケイティーは,内に秘めた力と勇気の模範を示し,赦しとはどのようなものかを家族に見せてくれました。

こうした場面で赦しの手が差し伸べられたことで,わたし自身の心は和らぎ,癒しの道が開かれました。長い時間をかけて,わたしは赦しの心を持つにはどうしたらよいのかを学びました。苦しい重荷が取り除かれたのは,唯一,平和の君の助けがあったからです。これからもずっと,トミーとジョーンがいなくなったことを寂しく思うでしょう。しかし今は,赦しによって無上の喜びとともに二人のことを思い出すことができます。そして,わたしたちが再び家族として一緒になれることをわたしは知っています。

わたしは,違法な行為を見逃してよいと言っているのではありません。人は自分が犯した犯罪行為や市民としての不正行為に対する責任に問われることは,皆が十分に承知していることです。しかし同時に,わたしたちは神の息子,娘としてイエス・キリストの教えに従い,赦しに値しないように思える人をも,赦さなければならないことを知っています。

主はこう教えておられます。

「もしも,あなたがたが,人々のあやまちをゆるすならば,あなたがたの天の父も,あなたがたをゆるして下さるであろう。

もし人をゆるさないならば,あなたがたの父も,あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」3

自分に過ちを犯した人を惜しみなく赦すことができるようになると,だれでも,言葉に尽くせない平安を得,救い主のパートナーとなることができます。主のパートナーになることで,はっきりと,決して忘れることのできない方法で,救い主の力がわたしたちの生活にもたらされます。

使徒パウロはこう勧告しました。

「だから,あなたがたは,神に選ばれた者……であるから,あわれみの心,慈愛,謙そん,柔和,寛容を身に着けなさい。

互いに忍びあい,……ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから,そのように,あなたがたもゆるし合いなさい。4

主はこう述べておられます

「それゆえ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪が残るからである。

主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。」5

救い主,贖い主であられるイエス・キリストの教えは明白です。つまり,罪人が赦しを得たいのであれば,まず自分が進んでほかの人を赦さなければなりません。6

兄弟姉妹,皆さんの人生であなたを傷つけた人はいませんか。恨みや怒りを覚えて当然だと思えることをいつまでも引きずってはいませんか。高慢な気持ちがあるために,赦し,忘れることができないでいませんか。皆さんにお勧めします。完全に赦し,心からの癒しを得られるようにしましょう。そして今日,赦すことができなくても,赦したいと望んで努力するなら,わたしが弟の死後,最終的にそうなったように,必ず赦せるようになることを知ってください。

そしてもう一つ,赦しの大切な要素に,自分自身を赦すことが含まれていることも忘れないでください。

主は言われました。「自分の罪を悔い改めた者は赦され,主なるわたしはもうそれを思い起こさない。」7

今日,皆さんにお願いします。イエス・キリストの模範を思い出し,それに従ってください。ゴルゴタの十字架の上で,主は,激しい苦しみの中でこう言われました。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」8

赦しの心を持ち,その心に従って行動するなら,わたしの両親や姉のように,救い主の次の約束を実現することができます。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは,世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな,またおじけるな。」9

人を赦すことで,イエス・キリストの教えに心を留め,模範に従うなら,わたしたちにこの平安がもたらされることを証します。わたしたちが赦すとき,救い主はわたしたちを強めてくださることを約束します。そうすれば主の力と喜びがわたしたちの生活に流れ込んでくることでしょう。

墓は空です。キリストは生きておられます。わたしは主を知っています。わたしは主を愛しています。主の恵みに感謝しています。その恵みは強める力であり,すべてのものを癒す十分な力です。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。