「わたしはお父様の子供なのでしょうか」
カミル・ネルソン
(アメリカ合衆国ユタ州)
数回しか教会に行っていませんでしたが,ホームティーチャーは忠実にわたしを訪問してくれました。ある夜,彼が電話をかけてきて,次の福音の原則クラスのレッスンで永遠の家族に関する考えを分かち合ってもらえないかと尋ねました。
「はい,いいですよ」とわたしは言いました。
翌朝までそれについてあまり深く考えませんでしたが,永遠の家族についてすでによく知っているであろう人たちに話すと承諾してしまったことに気づいたのです。どんなことを話せばよいか見当もつきません。
ここ何年もの間,わたしは福音から遠ざかるような選択をしていました。自分が信じているかも分からないことについて何と話せばよいのでしょう。当惑していると,「神の子です」(『賛美歌』189番)の歌詞が心に浮かびました。この賛美歌の歌詞を何年も耳にしていませんでしたが,まだ覚えていました。次の瞬間,わたしがほんとうに神の子供なのか神に尋ねる必要があると思いました。
そのとき,わたしは寝室の家具の配置換えをしていたところだったので,部屋の真ん中にベッドが無造作に置かれた状態でベッドの横にひざまずき,思い浮かぶ言葉を待っていました。神に何と言えばよいのでしょう。神がおられるかどうかさえ分かりません。その瞬間,わたしの心からの望みが簡潔な言葉として出てきました。「神様は,ほんとうにいらっしゃるのですか。もしいらっしゃるのなら,わたしは神様の子供ですか。」
答えはすぐに来ました。わたしが尋ねるのを待っておられたかのようでした。神がまるで「はい,カミル。わたしはここにいますよ。そしてあなたはわたしの子供です」とおっしゃっているように感じました。
目を開けたとき,わたしはまだ整頓中の寝室にいました。周りの物は皆雑然としていましたが,自分の人生の秩序が完全に整ったような気分でした。自分が神の子供であることを知りました。そしてそれこそがほんとうに大事なことなのです。
日曜日,クラスでは自分が神の子供であると知るに至った経験を簡潔に話しました。「わたしが神の子供なら,ほかの人もそうです。」
自分が行う必要のあるすべてのことを改めるのにさらに3年半かかりましたが,わたしの人生は一変しました。あの日以来,自分が何者であるか疑問に思ったことはありません。天の御父がいつもそばにおられ,わたしを愛してくださっています。なぜならわたしは神の子供だからです。