デジタル版のみ:ヤングアダルト
自分に厳し過ぎる
皆さんは,自分で思うよりはるかによくやっています。
筆者はアメリカ合衆国ユタ州在住です。
あまりにも多くの人が,程度の差こそあれ,自分は能力が低いとかうまく成果が上がらないなどと感じています。わたしも,人生のいろいろな時期に,そのような気持ちを感じてきました。そんな時期のうちでいちばんつらかった時の一つが,伝道が終わりに近づいたころでした。
わたしは最後の伝道部大会の一つに出席しました。そして,いつものように伝道部会長は,宣教師から受け取ったメッセージを一つ紹介しました。そのメッセージには,面白おかしいものもあれば,霊感を与えるものもあり,時には的を射たものもありました。そのとき伝えてくれたメッセージはやる気を出させることを意図していたのでしょうが,逆にわたしはひどく傷つきました。匿名で紹介された宣教師がその同僚にどれほど感謝しているかを伝道部会長は伝えていました。この宣教師が同僚からどれほど深い愛と心遣いを感じたか,同僚がいかにすばらしい模範をこの宣教師に示していたかを,伝道部会長は語りました。聞いていてわたしは,そんな同僚になりたいと,心の底から思いました。そんな深い心遣いと深い愛を持ち,それほどまでに良い模範を示せる同僚に自分はなりたい,と心の底から思ったのです。しかし,そのときわたしは,自分がそうでないことを悟って,心が折れるのを感じました。
それは自分ではありません。自分であるはずがなかったのです。そんな風に変わる時間もわたしにはありませんでしたし,もしあったとしても,どの道わたしは変わることができないでしょう。
その日,同僚と一緒にアパートに帰ると,同僚が,伝道部会長の話の,まさにわたしの心を粉々に打ち砕いた部分に触れて,あれはわたしについて自分が書いたのだと打ち明けました。あれは,わたしについての彼女の言葉だったのです。わたしは果てしない闇の中をのぞき込んでいて,なりたい人物になろうと必死に願っているのに,なれないでいました。しかし,彼女の言葉が光をともしてくれました。わたしは,果てしない闇ではなく,鏡の前に立って,すでにある自分の姿を見ていたのです。彼女の言葉は,わたしにとって非常に大きな意味がありました。わたしがあの手紙で描かれた人物の半分くらいだと彼女が思っていたとしても,わたしは喜びで満たされたことでしょう。
わたしがこの経験を紹介するのは,自慢するためではありません。自慢などできないほど,これはわたしにとって大きな意味を持つのです。ただ,人はいかに不必要に(そして,たいていの場合は的外れに)自分に対して厳しいかということを説明するために,紹介しているのです。わたしは自分へのまさにこの称賛を素直に受け入れて,自分を批判的に見るのをやめました。
これは,もっとキリストのようになる努力をやめなさいと言っているのでもありません。「分かった,人に心遣いを示したらチェックマークを入れて,そのことはもう心配しなくてよい」と考えているわけではないのです。そうではなく,わたしたちは,自分の成長を認め,自分の価値は時に自分が考えるよりも高いことを認める必要があります。十二使徒定員会のディーター・F・ウークトドルフ長老が言っているように,「あまりにも多くの人が自分には価値がないと思いながら生きていますが,実は,想像を超える無限の可能性を持つ美しい永遠の創造物なのです。」1
ですから,ちょっと立ち止まって,自分がこれまでしてきた善い行いや,磨いてきた特質,磨いている最中の特質を振り返ってみてください。皆さんは受け入れられ,愛されています。十分によくやっています。そのことを忘れないでください。
そして,どうしてもできていないと感じることがあるならば,努力してください。諦めないでください。ぜひとも,自分の目標を立ててください。でも,わたしがしたように,いつまでにもっとキリストのようになるかというタイムリミットを設けないでください。わたしは伝道後も自分が変わるということに対して頭の中で壁を築いていました。しかし,あのすばらしい言葉がわたしについて語られたのでなかったとしても,伝道を終えたわたしに成長する望みが何もなかったということではありません。
自分に満足だという考え方をするのは,いつでも簡単なわけではありません。わたしは今でも,自分に厳しくし過ぎないように気をつけています。しかし,あなたの価値が神の前に大いなるものであることを,忘れないでください(教義と聖約18:10参照)。自分が神の子であって,「神の子供であるわたしたちが,……自分を卑下したり責めたりするべきではない」ことを2忘れないでください。もっとキリストのようになれるよう,常に努力してください。でも,そのことで必要以上に自分を責めないでください。あなたは,自分では考えたこともなかったような理想的な人物に近づいているかもしれないのです。