『わたしに従ってきなさい』
旧約聖書の研究がもたらす祝福
この古代の聖典の章や節を読むと,わたしたちは霊的に強められます。
『わたしに従ってきなさい』の資料をガイドとした,2022年の旧約聖書の研究へようこそ!旧約聖書は,わたしたちが読み,深く考えることができるように神の手によって保存されてきた神聖な正典です。この末日において,わたしたちにとっての祝福や導きになるものです。
旧約聖書には,およそ紀元前4,000年から紀元前500年までにわたる,3,500年間の信仰と献身の記録がパノラマのように記されています。旧約聖書には39の書が収められています。創世記では,アダム,エノク,ノア,アブラハムの4つの神権時代が取り上げられています。残りの38の書,すなわち出エジプト記からマラキ書までは,モーセの神権時代に関するものです。
旧約聖書を読むと,そこに登場する預言者やその教えに対する理解が深まります。旧約聖書の預言者たちは,イエス・キリストの福音について教えました。メシヤの来臨を預言し,その日を待ち望みました。彼らの霊感に基づく教えは,今日まで保存されてきました。
旧約聖書の章や節を読むと,わたしたちは霊的に強められます。聖霊は,救い主の再臨を待ち望むわたしたちの力となる特定の聖句に,わたしたちの注意を向けてくださるでしょう。
霊感を与える問いかけ
旧約聖書の一つの聖句がわたしの人生にどのような影響を与えてきたかについて話したいと思います。
1974年,わたしは17歳で,高校生としての生活を楽しんでいました。そして伝道に出るのを楽しみにしていました。1974年10月の機関誌Ensign(『エンサイン』)で,わたしは「この世が改宗するとき」と題するスペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)の力強いメッセージを読みました。1以来,わたしは何度もそれを読んできました。今日に至るまで,そのメッセージはわたしに霊感を与え続けています。
キンボール大管長は,この神権時代における末日聖徒イエス・キリスト教会の成長について,広くグローバルな見解を提示しました。そして,福音を全世界に広めるわたしたちの機会と責任について教えました。キンボール大管長は,創世記の聖句を引用しています。「主にとって不可能なことがありましょうか」というその聖句に,わたしはそのとき霊感を受け,また生涯を通して霊感を受け続けてきました(創世18:14。この聖句は2月に研究する予定です)。
キンボール大管長はアブラハムとサラの話を振り返りました。サラは,自分とアブラハムに息子が生まれるという主の約束を笑いました。二人は子供に恵まれていませんでした。そして当時,それぞれ90歳と100歳でした。二人は子供をもうけられる年齢をとうに過ぎていました。
「主はアブラハムに言われた,『なぜサラは……笑ったのか。
主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春,定めの時に,わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう。』」(創世18:13-14)
アブラハムとサラは信仰を働かせました。主は御自分の約束を果たされました。イサクが生まれたのです。アブラハムは多くの国民の父になりました。
困難に立ち向かう強さ
「主にとって不可能なことがありましょうか。」この旧約聖書の聖句は,人生の困難や心配事に直面したときにわたしを強めてくれました:
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新任宣教師として,圧倒されそうに感じた時がそうでした。「主にとって不可能なことがありましょうか。」
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伝道の後,結婚を考えていたアン・マリーとわたしが,食費,家賃,大学の学費をどう支払うかについて不安に思っていた時もそうでした。「主にとって不可能なことがありましょうか。」
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新婚の夫婦として子供を迎え,生活費のひっぱくを実感した時もです。「主にとって不可能なことがありましょうか。」
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大学院での困難,子供が増えていく家族としての困難,そして仕事を始めるうえでの困難に直面した時もです。「主にとって不可能なことがありましょうか。」
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わたしがスペイン・バルセロナ伝道部の会長を務めていたとき,アン・マリーとわたしは宣教師を教える際に,この聖句を繰り返し引用しました。「主にとって不可能なことがありましょうか。」わたしたちの宣教師たちへの手紙でも,「主にとって不可能なことがありましょうか」という言葉を頻繁に用いました。
聖文の土台
旧約聖書には,霊感を与える聖句が多く見つかります。ここで挙げたのは,その一例に過ぎません。すでに皆さんに霊感を与えている聖句も多くあるはずです。今年,誠実に,祈りの気持ちをもって旧約聖書を読むとき,聖霊がイエス・キリストとその福音への改心を強めてくれる特定の聖句に,わたしたちの注意を向けてくださるでしょう。
旧約聖書には,時代を超えた重要性を持つ教義や原則が載っています。まだ成就していない預言が含まれています。旧約聖書はわたしたちがどこから来たかについて教えています。そして,今日もなお効力を持つ,アブラハムの聖約について教えています。
旧約聖書は,わたしたちのほかの聖典の土台を提供しています。旧約聖書について理解を深めるほど,ほかの聖典についてもよく理解できるようになります。旧約聖書の教えはほかの聖典にも出てくるからです:
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救い主はその務めの間,旧約聖書の聖句を用いて教えられました。
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リーハイとその家族が携えて行った真鍮の版には,旧約聖書に記されている聖文が載っていました。
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ニーファイは旧約聖書のイザヤ書を引用してヤコブを教えました。
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復活後にニーファイの民を訪れた際,イエス・キリストは旧約聖書のイザヤ書とマラキ書を引用されました。
旧約聖書の預言者や教えはまた,わたしたちの時代における福音の回復に関する,次のようなメッセージの中心を成しています:
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預言者ジョセフ・スミスを初めて訪れたとき,モロナイはマラキ書を引用しました。
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高価な真珠には,アブラハム書とモーセ書が含まれています。
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モーセ,エライアス,エリヤはカートランド神殿で,預言者ジョセフ・スミスに神権の鍵を委ねました。
その目的は何か
旧約聖書に収められている書を読むとき,わたしたちはそれぞれの書が神学上の理由のために特定の方法で選ばれ,強調され,配置されていることを考慮すべきです。「この情報はなぜ含められていて,どのような目的を果たしているのだろう」と自問するのは適切なことです。
旧約聖書には理解が少々難しい箇所があるかもしれませんが,この書物には無視すべきではない豊かさが含まれていることを覚えておく必要があります。ジョセフ・スミスが教えているように,「わたしたちは,正確に翻訳されているかぎり,『聖書』は神の言葉であると信じ」ています(信仰箇条1:8)。間違いなく,わたしたちは神の言葉を研究することで祝福を受けられるのです!
旧約聖書を研究する際には,テーマや洞察を探すことが有益かもしれません。わたしたちは,旧約聖書の神は新約聖書の神でもあられるという理解を深めるための方法を探すべきです。エホバはイエス・キリストです。旧約聖書の研究は,救い主をよりよく知るうえでどのように役立つでしょうか。
旧約聖書で見いだせるそのほかの主要なテーマとしては,聖約,聖さ,生ける預言者,犠牲と従順,信仰と悔い改め,主を賛美すること,神がお持ちの統治権が挙げられます。
末日の啓示はわたしたちに旧約聖書についてのより完全な理解を与えてくれています。研究の際にはそのことを覚えておくべきです。例えば,現代の啓示のおかげで,わたしたちは旧約聖書の預言者たちがメルキゼデク神権を持っていたことや,過去の神権時代の預言者たちがイエス・キリストの福音を知っていて,教えていたことを知っています。
預言者の約束
この神権時代において,わたしたちは再び,預言者や使徒は霊感による教えや勧告を与えるということを知る祝福にあずかっています。
十二使徒定員会のクエンティン・L・クック長老により,『わたしに従ってきなさい—個人と家族用』が2018年10月の総大会で初めて紹介されました。2この資料はそれ以来,わたしたち全員にとってすばらしい祝福となってきました。この3年間,わたしは人生の中でもとりわけ深く有意義な聖文研究の経験を得てきました。2022年にも同様の祝福がわたしたち一人一人に待っていることを,わたしは確信しています。
ラッセル・M・ネルソン大管長は,自分の家庭を信仰の聖所,福音学習の中心の場所に変えるならば,わたしたちは次の4つの具体的な祝福を受けると言っています:
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「やがて,皆さんの安息日は真に喜びの日となります。」
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「皆さんの子供たちは奮い立って救い主の教えを学び,教えに従って生活するようになります。」
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「皆さんの生活と家庭におけるサタンの影響力は減少します。」
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「皆さんの家族は劇的に変わり,その変化は持続します。」3
ネルソン大管長の約束は深遠なものであり,真実です。これらの祝福はこれまで現実となってきましたし,わたしたちが旧約聖書の研究と学習を行うとき,2022年にも続くことでしょう。