「1ニーファイ19-22章:たとえ彼らが忘れようとも,わたしはあなたを忘れない」『モルモン書 教師用手引き』(2024年)
「1ニーファイ19-22章:たとえ彼らが忘れようとも,わたしはあなたを忘れない」『モルモン書 教師用手引き』
1ニーファイ19-22章
たとえ彼らが忘れようとも,わたしはあなたを忘れない
あなたにとって大切な人に覚えてもらっていたら,どのように感じますか。ニーファイはイスラエルの散乱と集合について説きながら,イザヤの預言を用いて,主が散らされたイスラエルの家を忘れられることはないことを示しました。この課の目的は,あなたとすべての人々に対する主の愛と,あなたを主のもとに集めたいという主の望みを,感じられるよう助けることです。
生徒に発表してもらう。この課の中で,生徒に何かについての自分の気持ちを考えるよう促すタイミングを探してください。そしてその気持ちを分かち合うよう促すか,書き留めてから分かち合うことを促します。生徒が自分の考えや気持ちを声に出す機会を設けることで,証を表すことにさらに自信を深めることができます。
生徒の準備:生徒には,イエス・キリストが彼らをどのように感じているかを表す単語を2,3考えて,発表する準備をしてもらいます。
学習活動案
わたしたちへの救い主の愛
「主はわたしを愛してくださる」(music.ChurchofJesusChrist.org)など,イエス・キリストのわたしたちへの愛に関連した歌を歌って,クラスを始めます。生徒に,この歌から印象に残った単語や歌詞を分かち合ってもらってもよいでしょう。
わたしたちがそれぞれの生活で,神の愛を認識し感じることがありますが,それ以外のときにはまったく気づかないこともあるでしょう。あなたが友達と話をしているときに,神が自分を愛しているかどうか自信がないと言われたと想像してください。
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その友達の助けになるような聖典の言葉を,教えてあげられるでしょうか。
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あなた自身が天の御父とイエス・キリストの愛を知り,感じるようになった経験について,どのようなことを友達に分かち合えますか。
レッスン中に,時間を取って生徒に以下のことをしてもらいます。そして生徒が学習帳に自分の考えや疑問を記録し,レッスン中に答えを探してもらってもよいでしょう。
自分に対する神の愛についてのあなた自身の気持ちを,疑問や懸念も含めて深く考えてください。学びながら,天の御父とイエス・キリストのあなたへの愛をよりよく理解し,感じるのに役立つ真理を見つけてください。
ニーファイ,救い主のわたしたちへの愛について教える
1ニーファイ19章で,ニーファイはイエス・キリストの将来の生涯と使命について預言しました。1ニーファイ19:7-10を読み,イエス・キリストが地上で過ごされるときにどのように扱われるか,主はなぜそのように扱われることを望まれるのかについて,ニーファイが教えたことを探してください。
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これら聖句のどの語句や記述が心に残りましたか。それはなぜですか。
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これらの聖句の教えを理解することで,天の御父とイエス・キリストに対するあなたの気持ちに,どのような影響がありますか。
以下の段落を要約するか,一人の生徒にクラスで発表してもらいます:
ニーファイは,彼自身のイエス・キリストに関する預言を書き記した後,旧約聖書の預言者イザヤによるイスラエルの散乱と集合に関する預言を伝えました。これらの預言がニーファイとその家族にとって重要だったのは,彼らがエルサレムの地に住む人々の悪しき行いのため,その故郷を去ったからでした。イザヤの預言が示していたのは,多くのイスラエルの民が散らされ,主によって忘れ去られたと感じるということでした。
1ニーファイ21:14-16を読んで,忘れ去られたと感じている人々のための主の言葉を探してください。
「あなたの石垣はいつもわたしの前にある」(1ニーファイ21:16)という文が生徒に分かりにくいようなら,主が常に神の民を見守ってくださることを表現していると,説明するとよいでしょう。
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これらの聖句では,救い主の愛がどのように現れていると思いますか。
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あなたが今日これまでに学んだことに基づいて,イエス・キリストについて述べることができる真理は何ですか。
生徒が見いだす真理の一つは, 主はわたしたちを愛し,わたしたちを決して忘れない,ということでしょう。この真理をホワイトボードに書くとよいでしょう。
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一部の人々にとって,この真理を信じることが難しくなる状況はどのようなものでしょうか。
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イエス・キリストがわたしたちに持たれている愛をもっと認識し,感じるのに役立つものは何でしょうか。
救い主の愛は,主が人々をみもとに集めようと望まれていることに表れている
古代イスラエルの民は,エホバを礼拝するのをやめ,聖約と神の戒めを破る度に散らされました(2ニーファイ6:10-11;10:3-6参照)。イスラエルの民が,キリストのみもとに来て,バプテスマを通して主の福音を受け入れ,主の戒めを守るとき,彼らは集合します。救い主は散らされたイスラエルの民に,彼らを忘れ去らないこと,そして終わりの時には主のみもとに彼らを集合させることを約束されました(1ニーファイ15:13-14;2ニーファイ6:11;9:1-2;10:7-8参照)。
これらの章で,イザヤが何について預言し教えているのかをよりよく理解するには,1ニーファイ21章と22章の見出し部分を研究してください。
終わりの時のイスラエルの集合については,以下の聖句を研究してください。主の人々への愛を示す語句や記述に注目しましょう。
この研究活動では,生徒に参加してもらう方法を考えてみましょう。一つの方法は,各聖句の場所を別々のメモ用紙か紙片に書き,クラスの生徒全員に行きわたる数を用意することです。そして,紙にある聖句を研究して主がイスラエルの集合のためにされることを見つけてもらい,クラスメートの一人と紙を交換してもらいます。紙の交換は幾度か行ってください。
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これらの聖句で,主はどのような約束をなさいましたか。これらの約束は,どのように主のすべての人々に対する愛を示していますか。
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主が人々をみもとに集められたどのような例を,あなたあるいはほかの人々の人生で思い浮かべることができますか。
生徒に,自分の気持ち,経験,証を分かち合ってもらいます。イエス・キリストの愛がそれぞれの生徒に,また世界のすべての人々に注がれていることを生徒に証してください。