第6章
全世界に広がる姉妹たちの輪
預言者ジョセフ・スミスはノーブーで扶助協会の姉妹たちと会合を持ったとき,物質的な養いを与えるだけでなく,人々を霊的に強めなくてはならないと教えました(第2章参照)。この勧告を礎として,扶助協会の姉妹たちは互いに仕えながら愛を見いだし,人生の
ユタ州オグデンで開かれた扶助協会の集会で,中央扶助協会第2代会長エライザ・R・スノー姉妹は,この世的な事柄においても霊的な事柄においても互いに強め合う姉妹たちの努力を認めて感謝しました。そして困っている人々を助けるために行われた寄付について,教会はすべてを記録してはいないが,主は姉妹たちの救いの業をすべて記録しておられると述べました。
「決して記録されることのない多くのものが寄付されていることをわたしはよく知っています。ジョセフ・スミス大管長は扶助協会が組織されたのは人を救うためであると述べました。道に迷った人を連れ戻すために,姉妹たちはどのようなことをしてきたでしょうか。福音に対する熱意が冷めた人の心を温めてきたのではないでしょうか。皆さんの信仰と親切,善い行いや言葉は別の書物に一つ残らず記録されています。別の記録があるのです。忘れ去られているものは一つもありません。1
熱意が冷めた人,信仰と思いやり,善い行いや言葉を必要としている人に手を差し伸べる扶助協会の姉妹たちの行いは,天で記録されています。
全世界に広がる姉妹たちの輪
1900年代中ごろ,世界が戦争や自然災害の影響に苦しんでいたとき,扶助協会の業は広がり続けました。信仰と個人の義を深め,家族と家庭を強め,困っている人を探して助けるという扶助協会の目的を果たすために,扶助協会は末日聖徒の姉妹たちに避け所を与え,永続する影響を及ぼしました。1947年に中央扶助協会会長会(ベル・S・スパッフォード姉妹,マリアンヌ・シャープ姉妹,ガートルード・ガルフ姉妹)はこう教えました。「わたしたちの任務は,より寛容な心,より思いやりに満ちた触れ合い,より堅固な意志をもって人々を
当時,政府が政治的な障壁,さらには物理的な壁を作る国もありました。こうした障壁や壁は「鉄のカーテン」や「ベルリンの壁」という名で知られており,その目的は一部の人々の自由を奪い,ほかを排斥することでした。それとは対照的に,扶助協会の姉妹たちは人々を守り,受け入れるために霊的な避け所の壁を作りました。姉妹たちの輪を全世界に広げ,ほかの人々に加わるよう招きました。
宗教活動に公に参加することを認めない政治的境界や法律を持つ国々でさえ,扶助協会の姉妹たちは世界中の姉妹たちとのつながりを感じていました。回復された福音に対する
1980年,十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長は妻のドナと一緒にチェコスロバキア(現在のチェコ共和国とスロバキア共和国)の扶助協会を訪問しました。当時を思い出して,後にこう述べています。
「ビザの取得は容易ではなく,会員たちの安全や生活を脅かさないよう細心の注意を払いました。彼らは何世代にもわたり,言葉で言い表せないほどひどい弾圧の下で,信仰を守るために戦ってきました。
最も心に残った集会は,ある建物の2階で開かれました。ブラインドが下ろされ,夜になり,出席者はばらばらの時間に,あちこちの方角からやって来ました。人目を引かないようにするためです。
12人の姉妹が集まりました。わたしたちは歌詞だけが印刷された50年以上前の本から,シオンの賛美歌を歌いました。……レッスンは,手作りのテキストを使って
わたしはその姉妹たちへの話の中で,彼女たちが地上で最も規模の大きい,あらゆる点で最も偉大な女性組織に属していると言いました。そして,預言者ジョセフ・スミスと兄弟たちが扶助協会を組織したときの言葉を引用しました。……
わたしは,国に帰ると扶助協会の大会で話す責任があることを彼女たちに伝えて,何かメッセージがあるか尋ねました。数人がメモを書きました。どの言葉も,どの姉妹も,何かを求めるのでなく,与える精神にあふれていました。一人の姉妹の言葉が忘れられません。『姉妹たちの小さな輪から,すべての姉妹たちに心と思いを込めて送ります。主の助けがありますように。』
『姉妹たちの輪』という言葉に御霊を感じました。姉妹たちがその部屋から全世界に広がる輪の中に立っているかのように見えました。3
その集会を思い出しながら,パッカー会長はこう述べています。「わたしはその輪の中にしばし立ち,周囲から押し寄せては返す信仰と勇気と愛の脈動を感じました。4
そのような信仰と勇気と愛が一体となり,各地で扶助協会の姉妹たちの業が受け継がれています。大管長会顧問を務めるヘンリー・B・アイリング管長はこうした受け継ぎを分かち合うよう扶助協会の姉妹たちを励ましています。「人が心に慈愛の
避け所
扶助協会の初期のころから,姉妹たちは避け所,すなわち癒し,愛,親切,世話,帰属の場所を提供してきました。ノーブーでは互いの信仰と技能に頼り,食料や衣類を分かち合い,扶助協会に避け所を見いだしました。これは大平原を越え,ユタ地域に入植するときにも続きました。今や教会は全世界で成長していますが,姉妹たちはやはり扶助協会に避け所を見いだしています。
ボイド・K・パッカー会長はこう述べています。「この大きな姉妹たちの輪は皆さん一人一人を,そして家族を守ってくれるでしょう。扶助協会は安全と保護を約束する避け所,古代の聖所にたとえられます。その中にいる皆さんは安全です。それは防護壁となって姉妹たち一人一人を守ってくれるのです。」6
1999年,若い妻であり母親のボビー・サンドバーグ姉妹は家族と一緒に合衆国から台湾へ移りました。引っ越してまだ半年しかたっていませんでしたが,夫妻は英語のクラスを教えました。台湾の姉妹たちは,サンドバーグ姉妹に扶助協会の守りの力を及ぼしました。
この守りの力が特に顕著に現れたのは,台湾が恐ろしい地震に襲われたときです。震源地はサンドバーグ家の近くでした。夫妻の住んでいた学校の両側の建物が崩壊しました。最初の大きな揺れがあってから数時間以内に,扶助協会会長が慈愛に満ちた天使のように家族のもとへやって来て,彼らに必要なものを調べ,助けてくれました。道路や建物の多くが崩壊し,通信手段がすべて断ち切られたため,この思いやり深い会長は自分が見いだせた唯一の交通手段を使いました。
物理的には大変な混乱状態のさなかにあって,サンドバーグ姉妹は扶助協会の安全な守りの下にありました。彼女の扶助協会会長がワード内の姉妹一人一人の安全と必要について心を配ってくれたのです。
サンドバーグ姉妹のように,世界中の多くの末日聖徒は,パッカー会長の次の言葉が真実であると証言することができます。「〔家族〕がどこに行こうと,教会員の家族が待ってくれていると思うと,どんなに慰められることでしょう。引っ越したその日から,夫は神権定員会に,妻は扶助協会に所属するのです。」7
影響を及ぼす場所
1945年4月,ベル・S・スパッフォード姉妹が中央扶助協会第9代会長に召されると,その約6週間後,ジョージ・アルバート・スミス大管長が教会の第8代大管長に任命されました。スミス大管長はスパッフォード姉妹と扶助協会の姉妹たち全員に,第二次世界大戦の被害にまだ苦しんでいる人々に物質的な支援を与えるよう勧めました。また,世界中の女性たちの間で自分たちの良い影響力を及ぼすように励ましてこう述べました。「預言者ジョセフ・スミスは女性たちが束縛から解放されるための
扶助協会ビル,影響力の中心
1945年10月,扶助協会の建物を建設する計画が発表されました。91947年10月,大管長会はベル・S・スパッフォード姉妹が提案した計画を承認しました。その計画は,当時10万人に達していた扶助協会の各会員に対し建築プロジェクトに5ドル献金するよう求めるものでした。世界中の姉妹たちが献金しました。建物の内部を美しく飾るための手工芸品を故国から送ってくれた姉妹もいました。ある年には,55万4,016ドルもの基金が集まりました。
スパッフォード姉妹はこう明言しています。「この業績は金銭的に大きな価値を表していますが,それだけではありません。ここには目に見えない多くの価値,この上ない価値が表されています。すなわち,福音の計画の中で女性たちに与えられた名誉ある地位に対する認識,扶助協会の業が神聖なものであるという証,教会の姉妹たちに与えられた奉仕の機会に対する感謝……,指導者への忠誠心,大義のための無私の献身など,扶助協会に固有の偉大な価値の表れです。」10
ソルトレーク神殿のすぐ北東にあるこの建物は,1956年10月3日に奉献されました。奉献の祈りの中で,教会の第9代大管長デビッド・O・マッケイ大管長はこの建物から世界に発せられる影響力についてこう語りました。「教会の内外を問わず困っている人や苦しんでいる人に対する奉仕をいっそう効果的に行うために,扶助協会は教会員の助けによりこの美しい扶助協会の家を建てました。」11
1984年以来,この建物は中央若い女性会長会と中央初等協会会長会の事務所としても使われています。
ほかの宗教を持つ人々に及ぼす影響力
スパッフォード姉妹は教会の価値観を全世界の女性たちと分かち合うことについて,ジョージ・アルバート・スミス大管長から大きな教訓を学びました。中央扶助協会会長に支持されてから間もなく,「全国女性協議会から,ニューヨーク市で年次大会が開かれる旨の通知が届きました。
スパッフォード姉妹はかつてその集会に出席した経験がありました。そこで扶助協会会長会は以前の経験から,招待を受諾するべきかどうかを何週間も慎重に検討しました。
その結果,扶助協会は全国女性協議会からの脱退を大管長に提案することとし,理由を連ねて書類を作成しました。
体が震え,気持ちが定まらないままに,スパッフォード姉妹は,ジョージ・アルバート・スミス大管長の机の上に書類を差し出し,『扶助協会会長会は,この書面にある理由により,扶助協会中央管理会が全国女性協議会と国際婦人連合から脱退することを提案したいと思います』と言いました。
スミス大管長は書面を注意深く読んだ後,次のように尋ねました。『この組織は,半世紀以上前から姉妹たちが所属しているものではないのですか。』
スパッフォード姉妹は,ニューヨークまでの旅費は高く,時間も取られ,侮辱された経験もありますからと説明しました。そして,『協議会からは何も得るものがない』ので脱退したいと言いました。
すると知恵に満ちて円熟した預言者は,いすの背に寄りかかり,困ったような表情をして『何も得るものがないから脱退したいと言われるのですか』と尋ねました。
『そのとおりです』と姉妹は答えました。
大管長は,『それでは,皆さんは協議会にどのような貢献をしておられますか』と聞きました。そして,こう続けました。
『スパッフォード姉妹,驚きました。あなたはいつも何を得られるかで物事を考えているのですか。何を提供できるかと考えてもよいのではないでしょうか。』
大管長はその書類を返し,手を差し伸べました。そして確固たる口調でこう言いました。『協議会は続けてください。皆さんの影響力をぜひ発揮してください。』」12
スパッフォード姉妹は確かに自分の影響力を発揮しました。全国女性協議会と国際婦人連合に参加し,長年指導的な地位に就きました。イエス・キリストの福音の原則と扶助協会の目的を強く擁護したのです。
スパッフォード姉妹は国際婦人連合(ICW)へ行く度に,「社会道徳福祉」セッションへ割り当てられます。姉妹はこう述べています。
「一度わたしは社会道徳福祉〔セッション〕へ戻ることに抗議しました。当時はICW会長と懇意にしていました。……それでこう言いました。『わたしはいつもこのセッション担当です。新鮮味がなくなってきていますから,変化が欲しいですね。』すると会長は言いました。『確かにそのとおりですね。検討しましょう。』
それから会長は彼女のところへ来て言いました。『あなたの要望におこたえできません。なぜなら,あなた自身の国の評議会が社会道徳福祉にとどまるよう主張していますので。その理由を聞きたいかもしれないので言いますが,あなたの国の会長の話では,こうした問題であなたはいつもご自分の教会の立場から発言しておられるそうですね。モルモン教会の立場はよく知られているので,あなたに担当していただければ安心だと皆さんが感じておられるのです。』13
これらの団体の女性たちは,彼女たちの友人であるベル・スパッフォード姉妹が教会の原則をいつも守っていることを知っており,そのような知恵と確固とした強さが必要とされていたのです。1954年,スパッフォード姉妹はフィンランドのヘルシンキで開催された国際婦人連合の合衆国代表団の団長に選ばれました。大会の開会式で華々しく行進する女性たちの先頭に立った姉妹は昔のことを思い出しました。
「多くの国々の人々から成る輝かしい観衆を見ながら,……突然,『世界の女性たちの先頭に立って』……『シオンの女性たち,そしてすべての国々の女性たちの権利を守る』というわたしたちの〔扶助協会〕の開拓者時代の指導者の言葉を思い出しました。……開拓者時代の女性指導者たちは神の導きにより,扶助協会の行く末に関する知識を与えられていたのです。……今や扶助協会の影響力が全世界の女性たちの間に広がる時が来たと確信しています。」14
1987年,大管長会は扶助協会に全国女性協議会と国際婦人連合から退会するよう勧告しました。中央扶助協会はほかの国内外の団体よりも,世界中で急速に成長する自分たちの組織にもっと多くの力を注ぐ時が来たのです。しかし,教会が成長するにつれて,末日聖徒の女性たちは,地域社会,学校,適切な地元の組織など,世界中でその影響力を及ぼし続けています。スミス大管長とスパッフォード姉妹によって打ち立てられた模範に従い,何を得られるかではなく,何を提供できるかを考えているのです。
求道者と新会員を養い教える
教会が全世界で発展するのに伴い,扶助協会は求道者と新会員に影響を及ぼす場所となってきました。この影響力には奉仕し指導する機会を新会員に与えることも含まれています。中央扶助協会会長会の顧問シルビア・H・オールレッド姉妹は,エルサルバドルのサンサルバドルにある支部の扶助協会会長を務めていた自分の母親のヒルダ・アルバレンガ姉妹についてこう述べています。
「わたしの母がサンサルバドルの小さな支部で扶助協会会長に召されたのは,教会に改宗して間もなくのことでした。自分には経験も,準備も,能力も不足していることを支部会長に説明しました。当時,母は30代で,正規の教育はほとんど受けておらず,夫と7人の子供の世話に自分の生活のすべてをささげてきました。それでも支部会長は母を召しました。
わたしは母が召しを十分に果たしていくのを見ました。務めを果たす中で指導技術を学び,人を教えたり,人前で話したり,集会や活動,奉仕プロジェクトを計画してまとめたりするなど,新しい才能を伸ばしていきました。母は支部の姉妹たちに良い影響を与え,姉妹たちに自ら仕えました。また互いに仕え合うことを教えました。姉妹たちから愛され尊敬されました。また,ほかの姉妹たちが賜物や才能を見つけ,使い,伸ばすのを助け,主の王国と堅固で霊的な家族を築けるように助けました。神殿で交わした聖約に忠実でした。亡くなるときには,安らかに創造主とお会いする用意ができていました。
母が亡くなって何年も後に,扶助協会で母の顧問として奉仕していた姉妹からこのような手紙を受け取りました。『今わたしがあるのはあなたのお母さんから道を教えられたおかげです。彼女から慈愛,親切,正直,召しを果たす責任を学びました。わたしの良き相談相手であり模範でした。わたしは今80歳ですが,救い主と主の福音にずっと忠実に生きてきました。伝道の奉仕を通して,主から豊かな祝福を頂きました。』15」
この献身的な扶助協会会長はすでに支部の会員であった姉妹たちの証を強めることに貢献しました。また,求道者や,バプテスマと確認の儀式を受けて間もない姉妹たちの信仰をはぐくみました。扶助協会をそのような人々を歓迎し養う場所にするために率先して努力したのです。
福音を分かち合うことによりほかの人に影響を及ぼす
パッカー夫妻がチェコスロバキアのあの小さな姉妹たちの輪を訪れてから間もなく,霊的な避け所,愛,人生の意味を探していた若い女性が,まさにその輪に加わりました。オルガ・コバルジョバという名の姉妹で,当時ブルノ市にある大学の大学院生でした。その大学では学生に無神論の教えを課していました。オルガは,学生も周りの人々も皆,進むべき方向を見失っているように思いました。もっと霊的に深い人生を渇望しており,自分の友人や同僚たちも同様に渇望しているように感じていたのです。
オルガは大学にいる間,75歳の末日聖徒オタカール・ボイクブカ兄弟に会いました。後に当時を思い出し,こう述べています。「彼の外見は75歳でしたが,心は18歳に近いと言えるくらい喜びに満ちていました。これは皮肉なものの見方が風潮のチェコスロバキアでは非常に珍しいことでした。……彼は教養があるだけでなく,喜びに満ちた生き方を知っていました。」オルガはオタカールとその家族に人生の意味について尋ねました。それからほかの教会員に紹介されました。どのようにして喜びを見つけたか,神についてどこで読んだのかを知りたいと思いました。そこでモルモン書をもらい,熱心に読み始めました。
オルガは回復された福音に改宗し,バプテスマを受ける決心をしました。宗教活動に対する注目を引くのを避けるために,夜森でバプテスマを受けなくてはなりませんでした。ところが残念ながら,バプテスマの夜は森に多くの釣り人がいました。しかし,オルガと友人たちはじっと待ち,最後の手段として熱心に祈ると,釣り人は去って行きました。
オルガのバプテスマに同席したある教会員は彼女にこう尋ねました。「今晩湖のそばに多くの釣り人がいたのはなぜか分かりますか。」そしてこう言いました。「思い出してください。イエスはガリラヤ湖畔を歩いておられるときに,湖に網を打っていたシモン・ペテロとアンデレに言いました。『わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう。』」オルガは「若者たちを教会へ連れて来るために,自分はまもなく神の
オルガはまさしくそのとおりに行いました。真理と幸福を探し求めている多くの人に影響を及ぼしました。国内では伝道が許されていなかったので,オルガとその家族は「知恵の学校」と呼ばれる教室を開きました。そのような状況の中で,人々が生活の中で霊性と喜びを見いだすのを助けるために,道徳的倫理的な価値観を教えました。生徒の多くが御霊の力を感じました。また,選ばれた生徒たちが天の御父やイエス・キリストの福音について話し合う機会がしばしば生まれました。16
後に,バーバラ・W・ウインダー姉妹が中央扶助協会第11代会長を務めていたとき,若いときに宣教師だった夫のリチャード・W・ウインダー兄弟と一緒にチェコスロバキアへ旅行する機会がありました。集会が開かれる家に入ると,活発な若い女性が元気よく近づいて来てこう言いました。「ようこそいらっしゃいました。わたしの名前はオルガです。扶助協会会長をしています。」ウインダー夫妻は彼女の表情が光り輝いており,主の御霊にあふれているのに気づきました。小さな支部の扶助協会会長としてオルガ・コバルジョバは,政治的な弾圧と宗教的な迫害の世界にあって消えることのない影響を及ぼしていました。また,教会に入り扶助協会の会員になった人に,避け所を与える助けをしました。キリストのもとへ導くことによって,人々を救う助け手となったのです。
コバルジョバ姉妹の改宗談と伝道活動は,第12代大管長スペンサー・W・キンボール大管長が次のように述べた預言の一部を成就するものです。「末日に当教会において驚くべき発展が見られますが,その多くは世の立派な(優れた霊性を備えている)女性たちが,大勢この教会に入って来るおかげであると言えるでしょう。これは,教会の女性が義にかなった生活を送り,自分の考えを明確に表す度合いに応じ,また幸福な生活を送り,世の女性たちとは
奉仕を通してほかの人に影響を及ぼす
1992年,世界中の姉妹たちは地域社会で奉仕プロジェクトに参加し,扶助協会150周年を祝いました。中央と地元の神権指導者の指示の下で組織されたこの活動を通して,姉妹たちは扶助協会の影響力を世界中で発揮しました。当時,中央扶助協会第12代会長を務めていたイレイン・L・ジャック姉妹はこう述べています。
「わたしたちは地元の各ユニットにそれぞれの地域の必要性を見極め,いちばん必要としている地域の奉仕は何かを判断するよう要請しました。その結果,この世の中がどうなったか想像できるでしょう。
扶助協会の会長会の一人がカリフォルニアの市議会へ行き,こう言いました。『この地域で必要だと思われることで,わたしたちにできることは何ですか。』するとこう聞かれました。『世界中にある2万のグループがこれと同じことをするのですか。』そうですと答えると,市議会議員の一人がこう言いました。『皆さんは世界を変えるでしょう。』確かにそう思います。わたしたちは世界をより良くしたと思います。それが一致して行うことの一つです。様々な奉仕がありました。……〔姉妹たちは〕南アフリカではホームにいる高齢者のためにひざ掛けを作りました。サモアでは時計塔の周囲に花を植えました。そのほか,ホームレスの収容施設で多くの手伝いをする,子供たちのために書籍を提供する,未婚の母親のための施設でペンキを塗るなどです。世界中でこうした地域の奉仕活動を行うことは,姉妹たちにとっても,また地域にとってもすばらしいことだと思います。」18
読み書きの能力を通してほかの人に影響を及ぼす
扶助協会の姉妹たちが地域社会の奉仕プロジェクトを行うときに,ジャック姉妹とその顧問たちは,読む能力が身に付くように姉妹たちを助ける世界的な奉仕活動に焦点を置きました。ジャック姉妹はこう述べています。「わたしたちは世界中の姉妹たちが読む能力を身に付ける必要があると思いました。その能力のない人が大勢いたのです。読む能力がないと,どのようにして子供たちを教え,生活環境を改善し,福音を勉強することができるでしょうか。ですからわたしたちは,読み書きの能力を向上させる取り組みを推進することほど有益なことはほかにないと考えました。……でもわたしたちが目指すのは,姉妹一人一人が生涯にわたって学ぶのを励ますことです。」19
教会の第16代大管長トーマス・S・モンソン大管長は,かつてルイジアナ州モンローで一人の姉妹に会いました。扶助協会の奉仕によって祝福を受け,その祝福をほかの人と分かち合った姉妹です。空港で大管長に近づき,こう言いました。「モンソン管長,わたしは教会に入って扶助協会の会員になるまでは読むことも書くこともできませんでした。家族の中で読み書きができる者はいませんでした。」彼女はモンソン管長に,扶助協会の姉妹たちが読むことを教えてくれたこと,今では彼女が,ほかの人が読めるようになる手伝いをしていることを話しました。モンソン管長はこう述べています。「わたしはその姉妹が聖書を開いて主の
ワードや支部で影響を及ぼし,姉妹たちを強める
扶助協会の忠実な姉妹たちは地域社会や世界各地で影響力を及ぼしてきましたが,自分たちのワードや支部で互いに強め合うことを忘れてはいませんでした。後に中央扶助協会第15代会長を務めたジュリー・B・ベック姉妹は,自分がまだ若く,子育てや家事の経験が浅かったときに,扶助協会に姉妹たちのきずな,避け所,影響力を見いだしました。ベック姉妹は当時を思い出してこう述べています。
「扶助協会は家族を強めるために組織され,その力を結集し,家庭をこの世からの神聖な避け所とするための手助けをする必要があります。何年も前の新婚時代にそのことを学びました。隣に住んでいた両親から,突然外国に引っ越すことになったと聞かされました。わたしを養い,知恵と励ましに満ちた模範を示してくれた母と長い間会えなくなるのです。当時はまだ,電子メールもファックスも,携帯電話も,テレビ電話もありませんでした。また郵便の遅さは周知のことでした。母が出発する前のある日,わたしは泣きながら母に尋ねました。『だれがわたしのお母さんになってくれるの。』母は深く考え込んでいました。そして御霊の導きとこのような女性特有の啓示の力をもって言いました。『もしわたしが二度と帰らず,二度と会えないことになり,あなたに何も教えられなくなるとしたら,扶助協会から離れないようにしなさい。扶助協会があなたのお母さんになってくれます。』
わたしが病気になったら姉妹たちが世話をしてくれ,出産のときには手伝ってくれることを母は知っていました。でも母のいちばん大きな望みは,扶助協会の姉妹たちがわたしにとって力強く霊的な指導者となってくれることでした。以来わたしは,気高く信仰深い姉妹たちからたくさんのことを学ぶようになりました。」21
広がり続ける姉妹たちの輪
ボイド・K・パッカー会長がチェコスロバキアの扶助協会の姉妹たちと経験したことを初めて公に話したのは,1980年の中央扶助協会集会のときでした。会長はこう述べました。「姉妹たちの非常に大きな輪を見ることができます。」221998年にはその経験について再び話しました。今度は総大会で教会全体に向けてこう述べました。「今や扶助協会は,単なる輪ではなく,大陸中に広がるレースの織物のようになっています。」23
扶助協会の姉妹たちは神の霊感を受けた組織に属しています。それは預言者ジョセフ・スミスが神権の権能の下で設立したものです。姉妹たちが扶助協会に参加して献身的な努力をするとき,扶助協会は避け所と姉妹のきずなを与え続け,いつまでも力強い影響を及ぼすことでしょう。パッカー会長はこの目的を達成するために奉仕する姉妹たちに大きな祝福を約束しています。
「皆さんのすべての必要が今も永世にもわたって満たされ,皆さんが受けた不履行や不正がすべて正されるのです。これらはすべて,皆さんが自らを扶助協会にささげるときに速やかに成就するのです。
扶助協会における奉仕は,姉妹一人一人を高め,清めてくれます。扶助協会の会員としての資格をいつも失わないようにしてください。扶助協会に自らをささげ,組織し,運営し,それに参加するときに,皆さんはそこに集うすべての姉妹に祝福をもたらす扶助協会を支持していることになります。」24
慈愛を表すことにより姉妹のきずなを強める
トーマス・S・モンソン大管長は扶助協会の姉妹へ向けた説教の中で,慈愛を表すことがいかに扶助協会の姉妹たちのきずなを強めるかについて,このような考えを述べています。
「慈愛,すなわち『キリストの純粋な愛』は,批判することや裁くことの対極にあるとわたしは考えます。慈愛といっても,ここでは物資を与えて苦痛を和らげるということには触れません。もちろんそれは必要で,行うべきことです。しかし今晩,寛大になり,人の行動をおおらかな心で受け止めるときに示す慈愛について考えています。
わたしが考えている慈愛とは,病気のときや悩み苦しむときだけでなく,相手の欠点があらわになったときにも,間違いを犯したときにも,相手の立場になって考え,同情し,慈しみを示すことです。
忘れ去られている人に目をかけ,落胆している人に希望を与え,苦しんでいる人を助ける慈愛が大いに必要とされています。
必要とされているのは,当事者のためになる場合を除き,他人の不幸なうわさを聞いたり人に話したりすることを喜びとしない慈愛です。……
慈愛とは,自分を打ちのめす者に忍耐することです。ささいなことに腹を立てないように気持ちを抑えることです。人の欠点や失敗を受け入れることです。人をありのままに受け入れることです。外見の奧にある,時が過ぎても衰えることのない特質に目を向けることです。レッテルをはろうとする衝動を抑えることです。
キリストの純粋な愛である慈愛は,独身ワードの若い姉妹たちが,自分たちの扶助協会の会員の母親の葬儀に出席するために一緒に何百マイルも行くときに表れます。慈愛は,献身的な訪問教師が,興味を示さず多少批判的な姉妹を何年にもわたって毎月訪問する姿の中に示されます。夫を亡くした年配の女性が忘れ去られずにワードの行事や扶助協会の活動に連れて来られるとき,そこに慈愛があります。扶助協会でぽつんと独りでいる姉妹に『一緒に座りましょう』と声をかけるときに慈愛が感じられます。
幾つもの小さな方法で,皆さんのだれもが慈愛を示すことができるのです。完璧な人生を送っている人などいません。互いを裁かず批判せず,この人生を一緒に旅する人たちにキリストの純粋な愛を示そうではありませんか。だれでも自分に降りかかる問題に全力で取り組んでいるのです。そのことを認めて,助けるためにわたしたちにできる最善を尽くしましょう。
慈愛は『最も気高く,尊く,しかも強い愛』と定義されています。慈愛は『キリストの純粋な愛であって,……終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は,幸い』です。
『愛はいつまでも絶えることがない。』長年にわたって引き継がれてきたこの扶助協会のモットーは永遠の真理です。このモットーが,何を行うときにも皆さんの指針となりますように。このモットーがまさに皆さんの魂に刻み込まれ,皆さんのすべての思いとすべての行動に表れますように。」25