第2章
「さらに良いもの」
ノーブー女性扶助協会
1842年の春,イリノイ州ノーブーの末日聖徒は,自分たちの町に神殿を建設するため熱心に働いていました。預言者ジョセフ・スミスはすべての人に支援を呼びかけました。男性は神殿の実際の建設に携わり,女性は貢献できる方法を積極的に探しました。サラ・M・キンボールは次のように語っています。
「ノーブー神殿の壁は約1メートルの高さまで達していました。作業を進展させるための支援を大管長とその周辺から強く求められていました。
〔マーガレット・〕クック姉妹はある日,……作業に携わっている人々とその家族のために食糧や衣類,寝具その他の物資を調達してほしいとの呼びかけについてわたしと話していたところ,できれば針仕事で貢献したいと言いました。そこでわたしは材料の提供を申し出て,同じように考えている人がほかにもいるのではないかと言いました。これがきっかけとなって,裁縫協会の設立についての話し合いが開かれました。目的は神殿の建設を支援することでした。
呼びかけに応じて,付近に住む12名ほどの姉妹が次の木曜日に我が家に集まりました。」1
当時は,女性の間で自分たちの組織を作ることが流行していました。組織を運営するために規約と付則を作ることが普通に行われていました。サラ・キンボール家に集まった女性たちは規約と付則を決めることにしました。エライザ・R・スノーがそれらを起草する責任を引き受けました。その後女性たちは,ジョセフ・スミスに内容の検討と意見を求めました。預言者はそれらを読むと,『これほどすばらしいものは見たことがありません』と言いました。『けれども,これは皆さんが望んでいるものではありません。姉妹たちに伝えてください。皆さんのささげ物は主に受け入れられており,主は皆さんに,記された規約以上に良いものを備えておられます。来週の木曜日の午後,わたしと数名の兄弟が出席して集会を開きますので,……全員集まってください。わたしは女性たちを神権の下に,神権の規範に倣って組織します。』」2
扶助協会を組織する
翌週の1842年3月17日木曜日,20名の女性が「赤れんが造りの店」と呼ばれる建物の2階に集まりました。そこはジョセフ・スミスが執務室を置き,家族を養うための店を開いていた場所でした。集会はジョセフ・スミスとジョン・テーラー長老とウィラード・リチャーズ長老の二人の十二使徒定員会会員の指示の下で開かれました。3
預言者ジョセフ・スミスは当時女性の組織として広く行われていた形式を採りませんでした。末日聖徒の女性の組織は,神の啓示に基づく,正規の方法で組織されたのです。
集会が始まると間もなく,預言者は姉妹たちが「貧しい人の必要に気を配り,慈愛を注ぐ対象を探し求め,必要なものを与えることによって兄弟たちを善い行いへと駆り立て,……地域の人々の道徳を正し,女性社会の徳を強め,兄弟たちを助ける」ことになると言いました。4
ジョセフ・スミスの妻であるエマが召されて,この新しい協会の会長を務めることになりました。そして預言者は,「この協会を管理し,貧しい人に配慮し,すなわち彼らの必要なものを与え,この協会の様々な業務を執行するため」にともに働く顧問を選ぶよう妻に勧めました。スミス姉妹はサラ・M・クリーブランドとエリザベス・アン・ホイットニーを選びました。後にテーラー長老は二人の頭に手を置き,それぞれを会長会で顧問として働く召しに任命しました。5
集会の中でジョセフ・スミスは妻の召しがおよそ12年前に啓示された預言の成就であることを明らかにしました。主はその啓示の中でエマを「わたしが召した,選ばれた婦人」と呼び,また,「あなたはわたしの御霊により知らされるままに,聖文を説き明かし,教会員に説き勧めるために,彼の手の下で聖任を受けなければならない」と言われたのです。6 ジョセフ・スミスは出席者の前で,現在は教義と聖約25章となっているその啓示の全文を読み上げました。7
主は啓示の中で,夫の筆記者を務め,聖徒のために賛美歌を選定するなどエマに与えられる特権について語られました。また,警告に耳を傾け,忠実で高潔であり,つぶやかず,夫を慰め,助け,聖文を教え,教会員に説き勧め,筆記し,学び,「この世のものを捨てて,この世に勝る世のものを求め」,聖約を守り,柔和な心を持ち,高慢に気をつけ,戒めを守るようにと勧告されました。8
主は最後に,エマに告げたことは彼女だけでなく,「すべての者への……声」であると宣言されました。9 ジョセフ・スミスはこの啓示が新たに組織された協会の全会員に向けられたものであることを強調するため,預言者としての権能によってこの点を繰り返しこう述べました。「〔エマ〕だけでなく,ほかの人々も同じ祝福にあずかるためです。」10 この啓示は末日聖徒の女性にとっての基本原則となりました。
姉妹たちは話し合いの後に,自分たちの組織をノーブー女性扶助協会と呼ぶことにしました。エマ・スミスはこう言いました。「わたしたちはすばらしいことを成し遂げるでしょう。……思いも及ばない出来事に出遭い,緊急を要する働きを求められるでしょう。」11
集会の最後にジョン・テーラー長老は自分の思いを次のように述べました。「あらゆる徳を行使し,女性の心にあふれる慈愛の発露を促すそのような大義のために立ち上がったすばらしい人々を目にして,心に喜びがあふれました。」また,「この協会が天の
神権の権能,規範,祝福
6週間後に開かれた扶助協会集会で預言者ジョセフ・スミスはしばらくの間姉妹たちに教えを説いてから,こう言いました。「この協会は,神が確立された秩序によって,すなわち指導者として任じられた人々を通して指示を受けます。わたしは今,神の名によって皆さんのために鍵を回します。これから後,この協会には喜びがあり,知識と英知が注がれるでしょう。この協会にとって明るい未来が今始まったのです。」13
ジョセフ・スミスは主の預言者として,地上における神権の権能のすべての鍵を持っていました。ですから,ジョセフ・スミスが自分の全般的な指示の下で運営される組織として扶助協会を組織したとき,ジョセフ・スミスは教会の女性たちに,主の王国で重要な役割を果たす機会を開いたのです。その結果姉妹たちは神権の権能の下で奉仕を行い,すでに受けていた以上の祝福を約束されることになりました。これらの祝福は各自の忠実さと勤勉さに応じて与えられます。神殿で神権の完全な祝福を受けることによって,彼女たちに知識と英知が流れ込むことになりました。女性たちは儀式を受け,聖約を交わすことになりましたが,これは彼女たち自身とその家族にとって,永遠の命を受ける備えとなるものでした。(扶助協会と神権について,詳しくは第8章を参照。)
扶助協会創設時の喜び
ノーブー女性扶助協会は急速な成長を遂げ,1842年8月には会員数が1,100人以上に上りました。当初,協会には教会の女性会員全員が自動的に加入したわけではなく,加入するには申請しなければなりませんでした。そして,申請者が善良であり,高潔な人物である場合に入会が認められました。ジョセフ・スミスはこう言いました。「世のあらゆる悪から離れ,最高で,高潔で,
ノーブーの姉妹たちは我先にと扶助協会に入りました。組織化された正規の方法で物質的な面でも霊的な面でも助けを与えることができることに胸を躍らせていたのです。さらに高い霊的な知識と神殿の祝福に備えるため,預言者から教わるまたとない機会であることを知っていました。姉妹たちは姉妹同士が一致団結し,また神権者とも一致してこの大義を推し進めることに喜びを感じました。
この特権を手にした姉妹たちには,それにふさわしく生活する責任がありました。ジョセフ・スミスはこう言いました。「皆さんは神が植え付けられた思いやりの精神に従って行動できる状態に置かれているのです。これらの原則に添って生活するなら,それはどれほど偉大で輝かしいことでしょうか。」15それから長い年月を経て,十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長は言いました。「男性にとって,神権によって養われる人格の規範を自分の生活に生かすことが一つの義務であるように,扶助協会によって養われる徳を自分の生活に吸収することは,女性の義務です。」16
扶助協会は世の中で何か善いことをしようとする女性グループの一つではありませんでした。それとは別のものでした。神権の権能の下で組織されていましたから,「さらに良い」ものでした。それは地上で神の業を展開するために必要な一段階でした。神権の儀式と聖約を受けるために教会の女性を備えさせ,家族の責任を果たせるよう助けるものでした。
ジョセフ・スミスの指導
ノーブー女性扶助協会の創立集会で,書記に任命されたエライザ・R・スノー姉妹は,集会の内容を毎回,入念にまた詳細にわたって書き留めました。それは議事録と呼ばれました。ジョセフ・スミスはこれらの議事録が協会の「規約と付則」となるであろうと姉妹たちに言いました。17
ほとんどの扶助協会集会では,大半の時間が姉妹たちの指導に費やされました。姉妹たちは預言者ジョセフ・スミスから6回にわたって教えを受けるという祝福にあずかりました。ジョセフが教えると,姉妹たちはあふれ出る御霊を感じました。そのような集会の最後に,スノー姉妹は次のように記しています。「主の御霊が非常に力強くほとばしり,この興味深い場に居合わせた姉妹たちにとって,決して忘れることのできない出来事となりました。」18
スノー姉妹が記録したすべての議事録の中で最も強い影響を与えたのは預言者の話でした。預言者がこれらの集会で与えた教えは扶助協会の姉妹たちの働きと,姉妹たちと一緒に奉仕する神権指導者の指針になりました。これらの教えは現代の教会の活動に引き続き影響を与えています。
ジョセフ・スミスは扶助協会設立の土台となった「貧しい人に慰めを与え」,「人々を救う」という原則を,扶助協会の姉妹たちが実践することができるように教えました。19 この土台のうえに築かれた扶助協会は存続し続け,影響力を強めていきました。扶助協会創設時の集会以来,姉妹たちは預言者の教えを実践して信仰と個人の義を増し加え,家族と家庭を強め,困っている人々を見つけ出し,助けてきました。
信仰と個人の義を増し加える
ジョセフ・スミスは,姉妹たちには自分の救いの達成に努めるという神聖な義務があることを教え,こう言いました。「わたしたちは神を礼拝することによってのみ生きることができるのです。人は皆これを自分自身で行わなければなりません。これはほかの人のためにできることではないのです。」20義にかなった人となり,聖なる民となり,神殿の儀式と聖約を受ける準備をするよう教えました。また,主に対しても,周りの人に対しても,自分自身に対しても安らかな気持ちで生活するよう勧めてこう語りました。「……姉妹の皆さん,皆さんの中に争いがあってよいでしょうか。わたしはそのようなことを許しておけません。悔い改めて,神の愛を得なければなりません。」21「皆さんが大いなる者と〔なる〕のは,柔和と愛と純粋さによるのであり,争いや口論,反対,反論ではないのです。」22
預言者ジョセフは扶助協会のある集会で,1コリント12章を採り上げて,姉妹が各々の役割を果たすことが教会全体にとって重要であることを強調しました。彼は「〔教会の〕様々な職について教え,また,各自が与えられた領域において行動し,それぞれが任命されている職を果たすことの必要性」について教えました。また,「教会における低い職を軽視し,他人の地位を
ジョセフ・スミスは「神の
家族と家庭を強める
初期の扶助協会の姉妹たちは地域社会に溶け込み,隣人に奉仕する心構えができていましたが,自分の家族と家庭に対する責任を決して見失うことがなく,母親として,養育者として,生来受けている
「あなたが召された務めは,……あなたの夫……を,彼が苦難に遭うときに,慰めの言葉をもって柔和な心で慰めることである。26
「シオンにおいて,または組織されているそのいずれかのステークにおいて,子供を持つ両親がいて,八歳のときに,悔い改め,生ける神の子キリストを信じる信仰,およびバプテスマと
これが,シオン,または組織されているそのいずれかのステークに住む者への律法である。
その子供たちは,八歳のときに罪の
また,彼らはその子供たちに祈ることと,主の前をまっすぐに歩むことも教えなければならない。」27
「……わたしはあなたがたに,あなたがたの子供たちを光と真理の中で育てるようにと命じた。
……まずあなたの家を整えなさい。……
わたしは一人に言うことをすべての者に言う。……
……家族の者に,家庭でもっと勤勉に家庭のことに携わり,常に祈るようにさせる必要がある。」28
ノーブー女性扶助協会の議事録から,ジョセフ・スミスと姉妹たちはこれらの啓示に示されている原則を決して軽視していなかったことが分かります。彼女たちの言葉と行動は自分やほかの人々の家庭を最も大切にしていたことを示しています。例えば,エマ・スミスは「母親は娘たちを見守り,徳の道を守るよう強く勧める必要がある」と教えました。29預言者ジョセフ・スミスは夫婦の関係に特別な関心を寄せていることを伝えました。「夫に対してどのように振る舞い,温厚と愛情をもってどのように接したらよいかをこの協会で教えましょう。男性が苦難によって打ちのめされるとき,また心配や問題を抱えて途方に暮れているとき,口論やつぶやきではなく,ほほえみに出会うことができるとしたら,もし優しさに出会うことができるとしたら,心が穏やかになり,気持ちが静まるでしょう。思いが絶望に向かっているときには,愛情と優しさのこもった慰めが必要なのです。……家庭にあって,夫に不機嫌な言葉や思いやりのない言葉を浴びせてはなりません。これからは,優しさと慈愛と愛で皆さんの行いを飾るようにしてください。30別の折に預言者は,男性に対しても同じような勧告を与えて,夫には「妻を愛し,いたわり,養い」そして「妻の気持ちに優しく注意を払〔う〕」義務があると語りました。31
地域社会の人々を助ける方法について話し合うとき,扶助協会の姉妹たちは多くの場合家族と家庭に目を向けました。次のような言葉が集会の議事録の随所に見られます。「ホークス夫人の話によれば,ドルーリー家族はまだ具合が悪く,わたしたちの祈りを特に必要としている。」32「ジョシュア・スミス姉妹……はマキューエン姉妹とモドリー姉妹を訪問した。そして,この二人とその家族が困っており,助けが必要なことが分かった。毎日世話をする必要がある。」33「P・M・ウィーラー……はフランシス・ルー・ロー姉妹に協会から施しを与えるよう提案した。ロー姉妹は病気で,住む家がなく,老齢の寡婦で,現在お金がなくて生活できない。」34「ペック姉妹の報告によれば,ガイズ氏とその家族が病気で生活できなかったため,支援が行われた。……キンボール夫人によれば,チャールストン氏とその家族が病気であり,妻の容体は非常に悪く,看護師がいなければどうにもならない。キンボール夫人は自分が看護したと言った。」35
ノーブーに神殿を建設するため聖徒が心を一つにしたのは,家族を愛していたからです。預言者ジョセフ・スミスは,亡くなった家族のためにバプテスマを施すことができると教えていました。一時期,聖徒は神殿の外でこれらの儀式を執行することを認められていましたが,主は次のようにお命じになりました。
「わたしの名のために一つの家を建てなさい……。
それは,いと高き者が来て,失われたもの,すなわちいと高き者が取り去ったもの,すなわち完全な神権を再びあなたがたに回復できる場所が地上にないからである。
それは,彼ら,すなわちわたしの聖徒たちが死者の代わりにバプテスマを受けるバプテスマフォントが地上にないからである。
すなわち,この儀式はわたしの家に属するものであ〔るからである〕。」36
彼らが神殿の建設を望んだのは結婚の新しくかつ永遠の聖約を受けることができ,それによって家族が永遠に結ばれるからでもありました。37
ノーブーの教会員は死者のためのバプテスマと永遠の家族の約束に大きな慰めを見いだしていました。その一人がサリー・ランドルという姉妹です。彼女は14歳の息子ジョージを亡くし,親族に悲しい知らせを書き送りました。しかし,その後間もなく死者のためのバプテスマについて知り,もう一度親族に手紙を書きました。今度は平安と確信を新たに見いだしたことを伝える次のような手紙でした。
「〔ジョージの〕父が息子のためにバプテスマを受けました。わたしたちは今,
子供を一人亡くしていた自分の母に,サリーはこう
助けの必要な人々を見つけ出し,助ける
1830年に教会が組織されて以来,末日聖徒の女性は奉仕を行う方法を無数に見いだしてきました。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである」と言われた主の言葉に忠実に従ってきました。39
預言者ジョセフ・スミスの指導の下でオハイオ州カートランドに神殿を建設する作業が進められていたとき,姉妹たちは作業に携わる人々とその家族が多くの支援を必要としていることに気づきました。サラ・M・キンボールはこのように話しています。「女性たちはバターを作り,神殿で作業に従事する人々に喜んでそのバターを届けました。このため,自分の家の食卓からバターが消えてしまいました。」40 姉妹たちはまた,神殿でカーペットとカーテンを必要とすることを知りました。ポリー・エンジェルは,姉妹たちの働きを見たジョセフ・スミスが述べたことを記録しています。「姉妹たちはどんなときも,すべての善い業の先駆けとなってきました。〔マグダラの〕マリヤは〔よみがえられた主に墓の前でまみえた〕最初の人となりました。そして今皆さんは,神殿の内装に取り組む最初の人となるのです。」41
神権の権能の下で扶助協会が組織されたことにより,ノーブー神殿建設の支援の規模は拡大しました。ある扶助協会集会では,神殿で一生懸命に働く男性に役立つ実務に絞って話し合いました。「姉妹たちは一人一人その思いを語り」,「神殿を建築してシオンの大義を推し進めたいという望み」を皆同じく持っていることを表明しました。議事録には扶助協会の姉妹たちがささげた多くの事柄が記録されています。
「ジョーンズ姉妹は必要であれば,物資の調達に奔走し,さらに,神殿で働く人を一人宿泊させることができると言った。
ダーフィー夫人は協会の首脳部が望むなら,作業を促進させるため,馬車を駆って,羊毛などを集めてくることを申し出た。
スミス夫人は,商売をしている家の妻たちから物資を寄付してもらい,それによって作業員を雇うことを提案した。
ウィーラー夫人は自分の時間なら幾らでもささげると言った。
グランガー夫人は編み物,裁縫,看病など役立つことは何でも喜んですると言った。
エルス姉妹は寄付などを集めて来たいと言った。
エンジェル夫人は新しい材料が手に入らないならば,必要に応じて古い衣類の繕いを喜んですると言った。
スミス夫人は羊毛を手に入れて年配の婦人たちに渡し,毛糸の靴下を編んでもらって,冬に神殿で作業に携わる人々に提供することを申し出た。
ストリンガム姉妹は男性用の衣類を作り,また,神殿での仕事を引き受けることを申し出た。
フェルショー姉妹は石けんを寄付すると言っている。…
スタンレー姉妹は亜麻布の10分の1と毎日1リットルの牛乳を寄付することを申し出た。
ビーマン姉妹は衣類を作ると言っている。
スミス姉妹は,教会員ではないが,友好的な商人から綿モスリンなどを手に入れることを申し出ている。…
ジーン姉妹は自分で紡いだ糸を寄付することを申し出た。」42
これらの姉妹の心にわき上がっていたのは,善い業に携わりたいという大きな望みでした。羊毛と馬車,石けんと裁縫,食糧と装飾品,時間と才能を差し出すことによってその思いを表したのでした。教会の女性たちは,主の教会を築き上げたいという自然な思いを自分たちの新しい協会を通して行動に移しました。
預言者ジョセフ・スミスは困っている人々を力づけるよう扶助協会の姉妹たちに勧めました。扶助協会のある集会で,預言者は1コリント12章から教えた後(17-18ページ参照)1コリント13章から愛に関するパウロの教えを読み始めました。この章について預言者はこう言いました。「隣人の徳については限界を設けずに見てください。……もしイエスのように行いたい……と思うなら,互いに対して心を広げなければなりません。……純真さ,徳,善良さを増し加えるとともに,人々に対して広い心を持ってください。寛容であって,人の過ちや誤りを忍耐しなければなりません。人の魂は何と貴いものでしょうか。」43
扶助協会の別の集会で預言者はこう教えています。「人々に罪を捨てさせるには,手を取って導き,優しく見守る以外にありません。人々がわたしに少しでも愛と親切を示してくれたら,わたしはどんなにか心強いことでしょう。ところがその反対の行為は,あらゆる不快な思いを巻き起こし,人の心を憂うつにさせます。」44
扶助協会の姉妹たちは慈善奉仕を組織の基本原則としていました。毎週開かれる女性扶助協会の集会で,姉妹たちはそれぞれ困っている人々について報告しました。財政担当書記は寄付を受け取り,それらは困っている人々に慰めを与えるために配られました。金銭,日用品,才能,時間がささげられました。衣類や寝具を寄付する女性もいました。衣類の原材料となる亜麻,羊毛,毛糸が提供されました。リンゴや玉ネギ,粉,砂糖,パン,バターなどの食品も寄贈されました。
扶助協会会長のエマ・スミス姉妹は慈善奉仕のすばらしい模範でした。飢えている人,家のない人,病人のために家を開放しました。「邸宅」と呼ばれていたスミス家の丸太作りの家は居間と2部屋の寝室から成っていました。扶助協会が組織されたとき,家にはエマとジョセフ,4人の子供のほかに11人が住んでいました。
初期の扶助協会の姉妹たちは困っている人々を助けるだけでなく,時には自分たちも援助を受けることがありました。例えば,エレン・ダグラスは1842年3月に家族とともにノーブーに到着して間もなく,扶助協会に加わり,その3か月後に,夫のジョージが亡くなりました。残された家族は力を合わせて暮らしていましたが,夫であり父親である人を失った生活は苦しいものでした。それでもエレンは扶助協会の活動に参加して,苦しんでいる人,病人,貧しい人を積極的に助けました。しかし1844年4月,エレンと何人かの子供たちは病に倒れ,援助を必要とする事態に陥りました。そこでアンという友人を訪ねると,扶助協会が助けに来てくれました。エレンはどのように助けてもらったかをイギリスに住む家族に書き送っています。
「病状が快方に向かったので,町へ行って,アンの家を訪れ,そこで2晩泊まりました。……アンが住んでいた家の女性はわたしと家族が必要としていた衣類を支給してもらうよう,女性扶助協会に申請することを勧めてくれました。わたしはそれを断りました。すると彼女は,わたしは長い間病気だったのだから助けが必要であり,もし申請しないのなら,自分が代わりに申請すると言いました。」結局,ダグラス姉妹は援助を申請することに同意しました。「わたしたちは一人の姉妹を訪れました。すると彼女はわたしがいちばん必要としているのは何かと尋ねました。わたしは……多くの物を必要としていることを打ち明けました。病気の間針仕事ができなかったため,子供たちの服は擦り切れていました。彼女はわたしのためにできるかぎりのことをすると言ってくれました。数日後,アンが馬車でやって来ました。それまでに受けたことのないほどの贈り物を持って来てくれたのです。」45
「わたしたちすべてがともに天で座に着けるよう」
十二使徒定員会のジョン・A・ウィッツォー長老は扶助協会の基本となる働きについて説明しています。「貧困,病気,疑い,無知など,女性の喜びと進歩を妨げるすべてのものから解放することです。何とすばらしい務めでしょうか。」46
強い信仰と証を持つ末日聖徒の女性には「天使の務め」が与えられています。47 十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は次のように教えています。「主と聖約を交わした教会のすべての姉妹は,人々の救いの手助けをなし,世の女性を導き,シオンの家庭を強め,神の王国を築くようにとの神聖な命令を神から受けています。」48
サラ・M・キンボールとマーガレット・クックは裁縫協会を始めることに決めたとき,人々のために神殿建設の手助けをしたいと考えていました。しかし,預言者とほかの神権指導者の霊感と指導の下で,彼女たちは結局,神殿に入れるよう人々を備える手助けをしたのです。
この業は現在も続いています。扶助協会の姉妹はジョセフ・スミスが教えた原則に従い,女性とその家族が神の最も大いなる祝福を受けられるよう力を合わせて働いています。ジョセフ・スミスの母ルーシー・マック・スミスが与えた勧告に喜んで従っているのです。「わたしたちは慈しみ合い,見守り合い,慰め合い,導きを得て,わたしたちすべてがともに天で座に着けるようにしなければなりません。」49