第9章
「家庭の守り手」
家族を築き,養い育て,守る
1995年9月23日,第15代大管長であるゴードン・B・ヒンクレー大管長が,中央扶助協会集会で教会の女性たちの前に立ちました。ヒンクレー大管長は,年齢にも,既婚未婚の別にも,子供のあるなしにもかかわらず,末日聖徒の女性が皆忠実で熱心に働いていることに対して感謝の気持ちを伝えました。彼女たちが抱えている深刻な問題を理解したうえで,自分の責任を果たし,人生で喜びを見いだせるよう励まし,勧告と警告を与えました。そして,説教が終わりに近づいたときにこう言いました。
「皆さんに警告したいことがあります。現在起こっていることと,これから起こることの両方に対する警告です。今の世の中には,真理という仮面をかぶったこじつけがあふれており,偽りの倫理基準や価値観がはびこり,あまりにも多くの誘惑が,人々をじわじわと世の汚れに染めているからです。このことを踏まえて,わたしたち大管長会と十二使徒評議会は,教会員ならびに一般の方々に向けて一つの宣言を発表いたします。これは,わたしたちの教会の預言者,聖見者,啓示者が歴史を通じて繰り返し述べてきた,家族にかかわる標準と教義とその実践についての宣言を再確認するものです。」1それから,「家族-世界への宣言」を読み上げました。この宣言が公の場で読み上げられたのはそれが初めてでした。
この宣言で,大管長会と十二使徒定員会は,「家庭生活における幸福は,主イエス・キリストの教えに基づいた生活を送るときに達成されるに違いありません」と言い,「男女の間の結婚は神によって定められたものであり,家族は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画の中心を成すものであることを,厳粛に宣言」しています。また,夫と妻は「互いに愛と関心を示し合うとともに,子供たちに対しても愛と関心を示すという厳粛な責任を負ってい〔る〕」ことを指摘しています。2
宣言の題名にもはっきりと示されているように,これは「世界への宣言」として発表され,国の指導者を含むすべての人々の注意を家族の永遠の価値に向けさせました。この宣言が発表されてから8か月後,ヒンクレー大管長は東京で行われた記者会見で次のように語っています。「わたしたちはなぜ今,このような家族の宣言を出すのでしょうか。それは,家族が今危機にさらされているからです。世界中,どこを見ても家族が崩壊しています。社会の改善を始めるべき場所は家庭の中にあります。子供は,おおかた,教えられるとおり行動するものです。わたしたちは,家族を強めることによって,世界をより良いものとする努力をしているのです。」3
扶助協会の姉妹たちの
後に中央扶助協会会長会の顧問に召されたバーバラ・トンプソン姉妹は,ヒンクレー大管長がソルトレーク・シティーのタバナクルでこの宣言を読み上げたとき,その場にいました。トンプソン姉妹はそのときのことを思い起こしてこう語っています。「すばらしい集会でした。メッセージの重要性を実感しました。また,そのときこのように考えました。『これは親に対するすばらしい導きであると同時に,大きな責任でもある』と。また,自分は結婚していないし,子供もいないから,自分にあまり関係がないと,一瞬考えました。しかし,すぐに考え直して『でもやはり自分にも関係がある。わたしは家族の一員だ。娘であり,姉であり,おばであり,いとこであり,めいであり,孫娘なのだ。わたしにも責任があり,祝福もある。なぜなら,わたしも家族の一員なのだから。たとえ家族の中で生きているのがわたしだけだとしても,それでも神の家族の一員であり,ほかの家族を強めるのを助ける責任がある』と考えました。」4
後に中央扶助協会第14代会長を務めたボニー・D・パーキン姉妹も,ヒンクレー大管長が宣言を読み上げたときタバナクルにいました。パーキン姉妹はこう語っています。「静まりかえった会場には一種の興奮が感じられ,『そうです,わたしたちの家族には助けが必要です』という声が聞こえてくるかのようでした。宣言の内容について,まさにそのとおりと感じたことは,忘れられません。涙が
なぜ大管長会はこの家族に関する宣言を中央扶助協会集会で発表することにしたのでしょうか。ヒンクレー大管長は宣言を読み上げた後で,その疑問に答えて姉妹たちにこう言っています。「皆さんは家庭の守り手です。子供たちの生みの母です。子供たちを養い育て,生活の習慣を教え込むのは皆さんです。神の息子,娘を養い育てることほど神に近い仕事はありません。」6
ヒンクレー大管長の第二顧問であるジェームズ・E・ファウスト管長は,次の説明を付け加えています。「どの家族においても母親が中心であることを考えれば,それ〔『宣言』〕が,まず最初に中央扶助協会集会で読み上げられたのは適切なことでした。」7
「標準と教義とその実践についての宣言を再確認」するもの
家族の宣言の教えは,1995年に初めて与えられたものではありませんでした。ヒンクレー大管長が述べたように,それは「標準と教義とその実践についての宣言を再確認」するものでした。8その教えは,神が地球を創造される前からすでに「創造主の計画の中心を成すもの」だったのです。9
中央扶助協会第15代会長であるジュリー・B・ベック姉妹は次のように教えています。「末日聖徒イエス・キリスト教会には,創造と堕落,
福音がこの地上にあるときはいつでも,忠実な男女はこの家族の教理を守り,これらの標準と教義,慣習に従ってきました。「わたしたちの栄光ある母エバ」と「父祖アダム」はその子供たちの指導者であり,「
福音の回復に伴い,教会の初期の会員は,家族の大切さについて理解を深めていきました。16神権の力によって,家族を永遠に結ぶ神殿の儀式と聖約を受けられるということを知りました。この約束を励みに,末日聖徒たちは神の息子,娘としての義務を果たしたのです。
初期の扶助協会の指導者は,家庭を生活の中心にするよう姉妹たちを励ましました。中央扶助協会第2代会長であるエライザ・R・スノー姉妹は,自分には子供が一人もいませんでしたが,それでも母親の影響の大切さを理解していました。スノー姉妹は扶助協会の姉妹たちに,「家庭での義務を果たすことを自分の第一の務めとしてください」と勧めています。17中央扶助協会第3代会長であるジーナ・D・H・ヤング姉妹は,姉妹たちに次のように教えました。「家庭を最も魅力的な所にしてください。愛と平和と一致の精神が宿り,悪事を少しも考えないすばらしい慈愛が常にとどまる場所にするのです。」18
メアリー・フィールディング・スミスは,気丈で愛の深い母親の模範でした。第6代大管長となった息子のジョセフ・F・スミスはこう語っています。
「わたしはノーブー時代の母を思い出すことができます。暴徒によるノーブーの町の砲撃が始まったとき,母が無力な子供とともに,家から持てるだけのものを持ち出し,急いで舟に向かったときのことをわたしは覚えています。ノーブーで,またウィンタークォーターズへ向かう道中で,さらにはミズーリ川で教会員が受けた苦難,そして母が苦しい旅の間子供たちと家族のために祈ったことを思い出します。……イスラエルの陣営とともに脱出して,荷車を引かせる牛馬にも不足する状態で山の中のこの盆地までやって来るという,わたしたちの壮大な試みに付きまとった試練をことごとく思い出すことができます。母は,旅に必要な牛を買う資力がなかったため,子牛と乳牛を仕立て,荷車を2台つなぎ,このように粗末で無力ないでたちで,ユタへ向かって旅立ったのです。母はわたしたちにこう言いました。『主が道を開いてくださいます。』けれども,主がどのようにして道を開いてくださるのか,だれにも分かりませんでした。わたしは当時幼い子供でしたが,牛を駆り,自分の務めを果たしていました。自分の使命を果たすことができるようにしてください,と母が隠れて神に祈っている姿を偶然見かけたことがあります。このようなことは人の心に感動を与えるとは思いませんか。わたしが母の模範を忘れられると思いますか。決して忘れることはありませんでした。それどころか,母の信仰と模範はわたしの記憶の中に今なお光り輝いています。わたしがこのことについてどう考えているかというと,母が聖徒であったこと,清く忠実な神の女性であったこと,自分に寄せられた信頼を裏切るよりもむしろ死を選ぶ女性であったこと,バビロンに残るよりも荒れ野で貧困と悲嘆に耐え,家族の一致を図る方を選んだことを,わたしは全身全霊をもって神に感謝しています。これが母と子供たちの心にしみ込んでいた精神です。」19
この世での責任と永遠にわたる役割
家庭と家族が神聖なものだといういつの時代にも変わらない原則に従い,メルキゼデク神権の定員会では,男性が息子,兄弟,夫,父親としてその責任を果たせるよう助けています。扶助協会では,女性が娘,姉妹,妻,母親としてその責任を果たせるよう助けます。扶助協会の姉妹たちは,家族を強め,家庭を住みよい所にするために役立つ実用的な技術を学び,家庭を
家族を養い育てる
愛情を込めて子供を育てる母親であったジーナ・D・H・ヤング姉妹は,自分が家庭で指針としていた原則を扶助協会の姉妹たちに教えました。ヤング姉妹は次のように勧めています。「ここにいる母親たちの中に自分の子供をきちんと教え,指導していない人がいるならば,……それをするようお願いします。子供たちを集めて……一緒に祈ってください。……わたしたちを取り巻く悪について警告してください。……子供たちがこのような悪のえじきにならずに主の前に
バスシバ・W・スミス姉妹は中央扶助協会第4代会長を務めていたときに,家族を強める必要があると感じて,扶助協会の姉妹たちを対象にした母親教育のレッスンを作りました。レッスンには結婚生活や出産前の注意,育児についての助言などが盛り込まれました。このレッスンは,扶助協会は女性が家庭での役割を果たせるよう助けるべきだというジョセフ・F・スミスの次の教えを支持するものでした。
「家族の義務や,夫婦や親子が果たすべき義務に関して無知であったり,理解が不足したりしている人がいれば,そのような人のためにこの組織が存在します。いつでも手の届くところにあって,この組織が元来授かっている
養い育てる能力は,自身の子供を持つ女性だけが持つものではありません。シェリー・L・デュー姉妹はこう語っています。「主以外には測り知ることのできない理由で,子供を持つのを待たなくてはならない人もいます。義にかなった女性にとっては,この遅延はたやすく耐えられるものではありません。しかし,わたしたち一人一人に定められた主の時刻表は,女性の天性を否定するものではありません。ですから,わたしたちの中には,単に母性を発揮するほかの方法を見つけさえすればよいという人もいるのです。周囲には,愛と導きを必要としている人がたくさんいるのですから。」23
教会の姉妹には,指導者や教師の召しを受けたときや訪問教師として奉仕するときに人を養い育てる機会があります。自分の子ではない子供に母親のような愛や影響を与える姉妹もいます。独身の姉妹はしばしば先頭に立ってこのような働きをし,義にかなった女性からの影響が必要な子供たちの生活に祝福を注いできました。このように養い育てる働きは,何日も,何週間も,何年も続くことがあります。無私の奉仕と個人の信仰によって,女性たちは多くの子供たちを情緒的,霊的,肉体的な危険から救ってきました。
家庭を強さの中心とする
イリノイ州ノーブーで扶助協会が開かれていた初期の時代から,姉妹たちは集まって,自分たちの慈善奉仕や実際的な責任について学んできました。信仰と個人の義を増し加え,家族を強くして家庭を霊的な強さの中心とし,困っている人を助けるのに役立つ技術を実践してきました。賢明な生活と霊的,物質的な自立の原則を実践してきました。また,互いに教え合い,助け合うことによって姉妹同士の友情と連帯感を深めてきました。このような訓練によって,あらゆる境遇にある姉妹たちが祝福を受けました。ボニー・D・パーキン姉妹は,このような集会によっていかに自分が強くなれたかを次のように語っています。
「末日聖徒イエス・キリスト教会の扶助協会の会員として,家族という単位を養い育て,支えるのはわたしたちの祝福であり,責任です。すべての人は家族に属していて,すべての家族が強められ,守られる必要があります。
家庭を切り盛りするうえで,わたしが最も助けを得たのは,まず母親と祖母からでした。次に,引っ越した先々の扶助協会の姉妹たちからも学びました。技術を学び,そこにいたいと感じられるような家庭を築くことからもたらされる喜びを,
中央扶助協会第11代会長であるバーバラ・W・ウインダー姉妹は,家庭を清潔で秩序のある所にするときに霊的な祝福が与えられることを思い起こすよう女性たちに言いました。「家事をこなす技術というものがあります。わたしたちにとっても,家族にとっても,聖なる場所があるということは大切なことです。この世を離れて安らげる場所,ほかの人が来ても,同じように安らげる場所が必要なのです。」25
扶助協会の姉妹たちは,家庭と家族を強める働きにおいて個人でも集団としても互いに模範を示し合っています。中央扶助協会第9代会長であるベル・S・スパッフォード姉妹は,扶助協会が神から与えられた組織であって,女性が妻として,母としての役割を果たせるよう助ける役割を担っていることを証しました。「扶助協会には家庭に善をもたらす多大な影響力があると思います。善い母親がいる所には良い家庭があり,扶助協会に属する善い母親がいれば,必ず家庭は知恵と良い影響力に満たされるでしょう。」26
すべての姉妹には養い育てる責任,つまり「母親のように優しく人をいたわる」責任があります。十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は次のように教えています。「姉妹の皆さん,創世の前から神が皆さんに与えられた業をわたしたち兄弟が行うことはできません。やってみようとしても,皆さんだけに与えられた賜物をまねしようと望むことすらできません。この世には,義にかなった女性の影響力ほど個人的で,人を養い,人生を変えるものはないのです。……,神の属性として,すべての女性には母親のように優しく人をいたわるという生来の能力と責任があるので〔す。〕」27
母親の務めという言葉は,女性の永遠の役割を説明しています。養い育てる者という女性の天性を表現しているのです。養い育てるとは,奥の深い意味を持つ言葉です。訓練し,教え,教育し,発達を促し,成長を促進し,栄養を与える,つまり食べさせることを意味します。女性には,「養い育てる」という言葉が意味するすべてのことを行う偉大な特権と責任が与えられてきました。そして扶助協会には,女性が母親であり養い育てる者であるという神から定められたかけがえのない役割を果たせるよう教え,助ける責任があります。28
ジュリー・B・ベック姉妹は養い育てる役割について次のように教えています。「養い育てるとは,養い,世話をし,成長させるという意味です。ですから,真理を知る母親は,家庭を霊的および物質的に成長できる環境に整えます。『養い育てる』に代わる別の言葉は『家事』です。家事には,料理,洗濯,食器洗い,家庭を整えることなどが含まれます。家庭は,女性がその力と影響力を最も発揮できる場所です。ですから,末日聖徒の女性こそ,世界一の主婦であるべきです。子供と一緒に家事をすれば,子供たちに見習ってもらいたい資質を教え,模範を示す良い機会になります。養い育てる母親は博識ですが,どんなに高い教育があっても,霊的な成長を促す環境を作る家事の能力がなければ何の役にも立ちません。……養い育てるためには,秩序と忍耐と愛と働きが必要です。養い育てることによって成長を助けることは,まさに女性に与えられた力と影響力のある役割なのです。」29
家族と母親の務めを擁護する
家庭を内側から強めることに加えて,扶助協会は,家庭に襲いかかる外部からの影響力に対しても
「現代の世の中を取り巻く悪の潮流を食い止め,救い主の
……そこでお願いですが,皆さんにもその力強い影響力を発揮して善のために奉仕し,家庭と教会と地域社会を強めていただきたいのです。」30
扶助協会の指導者は,従来の家族の形態を揺るがし,妻として,母親としての神聖な務めを軽視しようとする動きに対して反対する意見を公に述べてきました。中央扶助協会第8代会長であるエーミー・ブラウン・ライマン姉妹は,母親は子供のそばにいるべきであると主張しました。ライマン姉妹が会長を務めたのは第二次世界大戦のさなかでした。夫の従軍中に国の経済を支えるため,女性が外に出て働くことを政府の指導者も市民団体の指導者も奨励していた時代です。家族の必要を満たすために外に出て働かなければならない姉妹もいました。ライマン姉妹はこのような問題を承知のうえで,それでも家にいて子供を教えられるように,できることをすべて行うよう姉妹たちに勧めたのです。
ライマン姉妹のメッセージは大管長会の教えに添ったものでした。大管長会は母親の務めが「神に対する献身」だということを忘れないよう教会員に勧告していました。31第7代大管長であるヒーバー・J・グラント大管長とその顧問のJ・ルーベン・クラーク・ジュニア管長とデビッド・O・マッケイ管長は,次のように宣言しています。
「母性は神性に近いものです。人間が行う最も高貴で聖なる務めです。その聖なる召しと業を尊ぶ母親は天使に次ぐ位置に置かれます。わたしたちはイスラエルの母親である皆さんに申し上げます。神が皆さんを祝福し,守り,皆さんに力と勇気,信仰と知識,義務に対する聖い愛と献身の気持ちを授けてくださり,それによって皆さんが自分に与えられている神聖な召しを十分に果たすことができますように。現在母親である皆さんと将来母親になる皆さんに申し上げます。皆さんの子孫が最後の世代に至るまで皆さんを祝福された者と呼ぶことができるように,純潔と清さを保ち,義にかなった生活を送ってください。」32
第二次世界大戦後の数十年間,家族と家庭に対する悪い影響は強くなる一方でした。第12代大管長であるスペンサー・W・キンボール大管長がバーバラ・B・スミス姉妹を中央扶助協会第10代会長として奉仕するよう任命したとき,スミス姉妹は「家庭を守り,その神聖な家庭で行う女性の働きを守る責任の重さ」を感じました。会長の任にある間,スミス姉妹は女性の神聖な役割と永遠の家族の祝福について啓示されている真理を一貫して擁護しました。スミス姉妹とその顧問たち,それに神権指導者たちは,当時の社会問題を熱心に研究するうちに,多くの人たちが推進している運動が,妻として,母親としての役割を果たす女性の特権を守っておらず,家庭を弱めるものであることに気づきました。33
ある新聞記者はスミス姉妹が繰り返し述べたメッセージを次のようにまとめています。「『妻であり母親であり,主婦である皆さん,皆さんは神聖な務めを果たしているのです。皆さんは命をこの世にもたらし,はぐくんでいます。その大きな影響力を,はかない,うわべだけのものと引き換えにしないでください。その力を大切にし,伸ばし,尊んで大いなるものにしてください。皆さんは重要な務めに就いているのです。』これがモルモンの女性の指導者バーバラ・B・スミスが語った趣旨です。」34
母親の務めと家族の神聖さに対する攻撃は,スミス姉妹が会長会で奉仕していたころからさらに激しさを増しています。しかし,あらゆる年代の扶助協会の姉妹たちは神を信じ,自分たちの責任が永遠の見地から見て大切なものであることを理解しており,家庭と家族を強める真理を掲げてそれを守っています。彼女たちは母親や祖母,娘や姉妹,おば,教会の教師や指導者といった様々な立場から,家庭の神聖さを守っています。女性は子供の信仰を強めることによって,現在と将来にわたって家族を強めることに貢献しているのです。
家族に関する末日の預言者の教え
ある父親と母親が,あるとき,最近の総大会でどんな話が良かったか子供たちに聞いてみました。すると,16歳の娘が言いました。「すばらしかったわ!霊感を受けた知的な預言者や指導者が,母性を擁護するのを聞けたのはすばらしかったわ。」この若い女性は心の奥底で,母親になりたいといつも思っていたのですが,母親の務めは世の中ではあまり好まれておらず,侮辱する人さえ大勢いることを懸念していたのです。自分のあこがれていることを預言者と使徒が擁護するのを聞いて,彼女はほっとしたのです。35家庭と家族を強める扶助協会の働きは,常に末日の預言者の教えと一致してきました。
第9代大管長であるデビッド・O・マッケイ大管長はよく,「いかなる成功も家庭の失敗を償うことはできない」と教えました。36
第11代大管長であるハロルド・B・リー大管長も同じような勧告をしています。「あなたが行う最も大切な主の業は,あなた自身の家庭という囲いの中にあります。」37
家族に対する絶え間ない攻撃を憂慮して,スペンサー・W・キンボール大管長は次の預言と警告を与えました。
「過去において家族の結束を強めるうえで少なからぬ働きをしていた社会規範というものが,次第に影の薄い在存となってきています。悪の力が押し寄せる中で,家庭の価値を深くまた積極的な気持ちで信じている人だけが自分の家庭を守ることができる,そのような日が必ず訪れることでしょう。
……中には歴史的な背景などをことごとく無視し,家庭などというものはもはや存在しないのだといった奇抜な説を持ち出す人もいます。……
わたしたちは皆,家族という単位をこの地上における社会の進化の過程において,ある特定の局面にのみ結びつくものとするもっともらしい議論に欺かれないようにしなければなりません。わたしたちは,家族の重要性を無視し,逆に利己的な個人主義の価値を前面に押し出そうとするこうした動きに対して,抵抗する自由を持っています。わたしたちは家族が永遠のものであることを知っています。家庭がうまくいかなければ,世の中のあらゆる機関がうまくいかなくなるのです。」38
末日の預言者たちは,このような厳しい警告とともに,福音の道から迷い出てしまった子供を持つ忠実な両親に希望の言葉をかけています。ジェームズ・E・ファウスト管長は次のように言いました。「悲嘆に暮れた両親は,不従順な子供たちを,義にかなって,勤勉に,祈りの気持ちで教えてきました。わたしたちは皆さんに申し上げますが,良い羊飼いが彼らを見守ってくださいます。神は皆さんの深い悲しみを知って,理解しておられます。希望があります。」39
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,扶助協会の交わりの中で強められる末日聖徒の女性は,必ず家庭への攻撃に耐えられるように家族を助けることができると言いました。ヒンクレー大管長は,扶助協会の姉妹たちは家族を守るために一致団結することができると述べています。
「教会の女性が主の計画から見て適切かつ正しいことのために力強く確固として立つのは,この上なく重要なことです。この教会の扶助協会に匹敵する組織はどこを探しても見当たらないとわたしは確信しています。……彼らが一つとなり,声を一つにして語るとき,その力は測り知れません。
教会の女性の皆さん,歩みをそろえて義を擁護してください。まず,自分の家庭から始めることです。クラスの中で義について教えることもできます。社会の中で義を守るために発言することもできます。
母親は自分の娘にとって教師であり,守護者でなければなりません。皆さんの娘たちは初等協会で,また若い女性のクラスで,末日聖徒イエス・キリスト教会の価値観について学ばなければなりません。一人の少女を救うときに,後に続く何世代もの人々をも救うことになります。この少女は力と義をまとって成長し,主の宮で結婚します。そして自分の子供たちに真理の道を教えます。その子供たちも母親の道を歩み,母親と同様に自分の子供たちに真理の道を教えるのです。そこには励ましを与えるすばらしい祖母の姿があります。」40
「天国の光景を見る」
スペンサー・W・キンボール大管長は,ある男性に「天国に行ったことがありますか」と聞かれたことがあります。ちょうどその日,キンボール大管長はある夫婦の結び固めを執行したのですが,夫婦の片方は8人きょうだいで,これで8人のきょうだい全員がこの神聖な儀式を受けたことになったのでした。キンボール大管長は男性の質問に答えて,その儀式を執行したときに天国の光景を見たと言いました。「そこにいたのは心の清い人たちでした。天国はそこにありました。」次に,あるステーク会長の家庭で天国の光景を見たときのことを話しました。小さな家に大家族が住んでいました。子供たちは一緒に働いて食卓を整え,幼い子供が食事の前に心を打つ祈りをささげました。キンボール大管長はまた,自身の子供を持つことはなかったものの18人の孤児を受け入れて家を「いっぱいにした」夫婦と話したときに,天国をかいま見たことを紹介しました。そのほかにも,言葉や行いで証を表現する忠実な末日聖徒の生活の中に天国の光景を見た経験を話しました。キンボール大管長はこう教えました。「天国は場所を指しますが,状態をも指しています。それは家であり,家族でもあるのです。天国は理解と親切,相互の助け合い,自分を度外視した行動であり,静かで穏やかな生活,個人の犠牲,心からのもてなし,人々に対する健全な関心です。それは,
世界中で,扶助協会の姉妹たちとその家族はふさわしい生き方をすることによって天国に近づいてきました。
合衆国のある姉妹は,不治の病に倒れた母親を3年間看病しました。ところが,母親をみとってから1年もたたないうちに,今度は娘が奇病に侵されました。この献身的な母親は10年間にわたって毎日娘を看病しました。娘が17歳という若さで亡くなるまで看病し続けたのです。
トンガに住むある姉妹は,簡素な家で何人かの子供たちを独りで育てていました。最大の望みは,息子や娘が主に仕えて生活を改善することでした。この優先順位に従い,子供たちが福音に添った生活パターンを確立できるよう助けました。母親の指導のおかげで子供たちは良い教育を受けました。彼らは一緒に祈り,聖文を研究し,働き,礼拝しました。
合衆国のある姉妹は,14歳に満たない子供を8人抱えていました。毎日体力も,精神も,霊性も知恵も試され,感情を抑えるのにも苦労していました。しかし,正しいことを行いました。夫が教会で奉仕したり家族を養ったりできるよう支えました。子供たち一人一人のために夫婦で祈り,彼らが自分の責任と目標を果たせるようにどう助けたらよいか,一人一人について夫婦で考えました。家では作る料理もけた外れに多く,やり繰りも大変で,考えることも祈ることもたくさんあり,この姉妹の負担は相当なものでした。それに加えて,訪問教師の責任を受けて,励ましが必要なワードの姉妹を元気づけていました。そのような姉妹のために祈り,心を砕きました。彼女たちを訪問し,月に何度も様子を見に行っていたのです。
メキシコのある忠実な家族は,慌ただしく騒々しい都会に住んでいましたが,家は高い塀と金属の門の中にありました。母親は塀の内側に木や花や泉のある美しい庭の絵を描きました。家庭では本棚に本を並べ,家族が集まって一緒に勉強したり遊んだりする場所が常にあるようにしました。
ガーナのある姉妹は,家庭菜園を作っていました。
インドのある姉妹は,自分の町の支部の発展に尽力しました。会員が20人ほどの支部で,夫は支部会長,彼女は扶助協会の会長でした。彼らは3人の忠実な娘たちを育てました。聖なる家庭では,福音の原則によって家族が安全に守られました。
ブラジルのある母親は,赤れんがの塀に囲まれた赤土の敷地にある赤れんが造りの家に住んでいました。家の中には初等協会の歌が流れ,『リアホナ』から切り抜いた神殿や神の預言者や救い主の絵が壁いっぱいにはってありました。この母親は,夫とともに犠牲を払って神殿で結び固めを受けました。子供たちが聖約の中で生まれるようにしたかったのです。子供たちを福音の光と真理と力の中で育てることができるよう,必要な力と霊感を与えてくださいと常に祈りました。自分と夫が犠牲を払って交わした聖約を子供たちも交わし,それを守ってほしいと思うからでした。
ここで紹介した姉妹は代表であり,このような姉妹はほかにも数多くいます。彼女たちは確かに,ゴードン・B・ヒンクレー大管長の言葉にある「家庭の守り手」であり42,スペンサー・W・キンボール大管長の次の言葉を受けるに値する人たちです。
「義にかなった女性であることは,いつの時代においてもすばらしいことです。救い主の再臨に先立って,この地上における最後の時期に義にかなった女性となることは,特別に気高い召しです。
「今日のチャレンジに対抗できる強さを身に付けることができますように」
家族に関する宣言が読み上げられたあの歴史的な夕べに,ヒンクレー大管長は説教の最後に教会の女性たちに向けて次のような祝福の言葉を語りました。
「愛する姉妹の皆さんに主の祝福がありますように。……今日のチャレンジに対抗できる強さを身に付けることができますように。常に直面する問題に対して,皆さん自身の知恵を超えた力が授けられますように。皆さんの祈りと願いが皆さんへの祝福として,また皆さんが愛する人々への祝福としてこたえられますように。皆さんの人生が平安と喜びに満たされたものとなるよう,わたしたちの愛と祝福を残したいと思います。必ずそのようになります。皆さんの中の大勢の方々がそれを証してくださっています。今もこれから後も主が皆さんを祝福されますように。へりくだり,〔お祈り〕申し上げます。」44