セミナリー・インスティテュート
第28課:イエス・キリストについての個人の証


第28課

イエス・キリストについての個人の証

はじめに

大管長会と十二使徒定員会は,「わたしたちは正式に聖任を受けたイエス・キリストの使徒として証します。イエス・キリストは生けるキリスト,不死不滅の状態にある神の御子です」と宣言している(「生けるキリスト—使徒たちの証」『リアホナ』2000年4月号,3)。本課程では,イエス・キリストの永遠の務めと,預言者によるキリストについての証を学んできた。わたしたちが聖霊を通して,イエスが生けるキリストであるという個人の証を得るときに,救い主についての自分自身の証を他の人々と分かちあう備えができる。

背景となる読み物

教えるための提案

2ニーファイ25:26モーサヤ18:8-11

キリストの証人になる

ある状況下で,自分が唯一の教会員であったことや,教会の標準を進んで示そうとしたのは自分一人だけだったという経験があるか生徒に尋ねる。次の質問に答えてもらう。

  • イエス・キリストに従う者として,そのような状況に対処するとき,どのように感じましたか。

  • そのような経験の中で,価値のあったこと,困難だったことは,どんなことですか。

生徒たちに,モルモン書のアルマの話の中で,預言者アビナダイの教えによって改宗したのは誰だったかを思い出してもらう。改宗した後,アルマ自身も福音を教え始めた。モーサヤ18章の中に,バプテスマの聖約についてのアルマの教えを読み取ることができる。一人の生徒に,モーサヤ18:8-11を読んでもらう。他の生徒も同じ聖句を読み,人がバプテスマの聖約を交わし,それを守る備えができていることを示す態度や行動を探してもらう。生徒たちが答えた後に,9節にある「いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても,……神の証人になる」という聖句に注目させる。その後,質問する。

  • 「いつでも,どのようなことについても,どんな所にいても」父なる神とイエス・キリストの証人になるということは,どういう意味でしょうか。(モーサヤ18:9

十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老の次の話を見せて,生徒の一人に読み上げてもらう。

Elder Dallin H. Oaks

「使徒は全世界でキリストの御名を証する特別な証人としての召しを持っています(教義と聖約107:23参照)。しかし,聖霊の証を受けた全ての教会員には,いつどこにあってもキリストの証人となる義務があるのです。」(「キリストの証人」『聖徒の道』1991年1月号,33)

  • オークス長老は,イエス・キリストの証を述べ伝える責任は誰にあると教えていますか。(生徒たちが,次の真理を認識しているかを確認する。全ての教会員は,天父とイエス・キリストの証人になるという聖約を交わしている。

  • わたしたちの信仰と証を言葉で分かち合う以外に,どのような方法でキリストの証人となることができるでしょうか。(この質問に答える助けとなるように,マタイ5:14-16および3ニーファイ18:24を学ばせてもよい。)

十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老の次の話を見せて,生徒の一人に読み上げてもらう。

Elder D. Todd Christofferson

「救い主は,西半球で教え導かれていたときに次のような戒めを与えられました。『あなたがたの光を掲げて,世の人々に輝き渡るようにしなさい。見よ,あなたがたの掲げる光とは,わたしである。すなわち,わたしが行うのをあなたがたが見た,その行いである。』(3ニーファイ18:24)人々が,わたしたちを通して少しでもイエス・キリストを見ることができるようでなければなりません。わたしたちの行動,話し方,見方,そして考え方までもが,キリストを,そしてキリストの方法を映し出すものとなるのです。」(「キリストの証人になる」『リアホナ』2008年3月号,60)

  • イエス・キリストへの信仰を映し出すような,誰かの行動,話し方,見方をがあなたはどのように見てきたでしょうか。

  • イエス・キリストの証人になることの気後れや恐れを克服するよう,どのように人に勧めることができますか。

ホワイトボードに次の言葉を書く。

キリストのことを話す

キリストのことを喜ぶ

キリストのことを説教する

キリストのことを預言する

キリストのことを書き記す

生徒たちに,2ニーファイ25:26を黙読してもらい,ホワイトボードに書き出した方法で,イエス・キリストの証をどのように分かち合えばよいかを説明してもらう。クラスの話し合いを助けるために,D・トッド・クリストファーソン長老の次の話を使う。

Elder D. Todd Christofferson

「ニーファイの『わたしたちはキリストのことを話し』〔2ニーファイ25:26〕という言葉は,わたしたちが日常の会話や普段の何げない状況でも,喜んで救い主についての気持ちを話すということを示しています。そうした状況では,1対1になっていることが多く,キリストとはどのような御方なのか,何を行い,何を教えられたのかについて,打ち解けた親しい雰囲気の中で話し合うことができます。……

『キリストのことを喜び』という言葉には,わたしたちが,基本的に明るい展望をもって生きているという意味を含んでいます。明るい展望はキリストを信じる信仰の表れです。わたしたちは,『神の恵みは……十分であ〔る〕』ことを知っています。神の恵みは,わたしたちが死と罪から贖われ,キリストによって完全になるために必要です(モロナイ10:32-33)。失意,そして悲劇にさえ見舞われることがありますが,キリストのおかげで永遠の幸福が保証されていることを知っています。イエス・キリストへの信仰は輝きを放つので,その信仰によってわたしたちは『重荷を負うて苦労している』他の人々に対し,どうすればキリストにあって休みを得ることができるのかを示すのです(マタイ11:28-30参照)。

『キリストのことを説教し』という言葉は,もちろん専任宣教師または教会員による伝道活動のことを指しますが,キリストのことを学び教える場である礼拝行事や日曜学校のクラスでの行動にも当てはまります。教師として,また生徒としてそれらの集会に参加することによっても,わたしたちはキリストについて証できます。 ……

『キリストのことを預言し』という言葉は,わたしたちが御霊の力によってキリストの証を表すことを意味しています(1コリント12:3参照)。『イエスのあかしは,すなわち預言の霊である。』(黙示19:10)キリストの最初の降臨を預言した古代の人々と同じように,わたしたちも言葉や行いで,キリストの再臨についての預言が確かなものであることを示します。 ……

『また,……自分たちの預言したことを書き記す』という言葉は,キリストに関するわたしたちの証を永遠に記録するという知恵を示しています。わたしたちは,自分の述べる証が『天使たちが見るために天で記録されている……。そして,天使たちは〔わたしたちの〕ことを喜んで〔いる〕』ということを理解しています(教義と聖約62:3)。わたしたち自身の子孫やその他の人々の子孫は,自分たちのために書き記され,あるいは記録されたキリストについてのわたしたちの証を見て,この地上に生まれてくる前でさえも喜んでいるかもしれません。」(「キリストの証人になる」『リアホナ』2008年3月号,61-63)

レッスンのこの部分を終える際に,生徒たちがホワイトボードに書いた方法の一つを採り上げて,イエス・キリストのより強力な証人になるためにできることを目標として定めるよう勧める。

イエス・キリストのことを証する

今学期に学んだことを生徒たちに思い出してもらい,授業で話し合ったイエス・キリストに関連する事柄やイエス・キリストの役割の幾つかを挙げてもらう。ホワイトボードに生徒たちの答えをまとめる。(弁護者,救い主,贖い主,長子,独り子,エホバ,メシヤ,創造主など。学んだ事柄は次のものがある。神の計画の中心的役割を担うイエス・キリスト,キリストの前世での務め,キリストが生きておられるという事実,死後の世界での務め,再臨,福千年の統治,キリストの福音の回復,教会の統率者としてのイエス・キリスト,キリストが世の光であり命であられることなど。)

video iconゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)の次の話のビデオをダウンロードして見せる。ヒンクレー大管長はこのビデオの中でイエス・キリストについての彼自身の証を分かち合っている。日本語のビデオがない場合は,生徒の一人に話を読み上げてもらう。

President Gordon B. Hinckley

イエスはわたしの友です。イエスは誰よりも多くのものを与えてくださいました。『人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。』(ヨハネ15:13)イエスはわたしのために命を捨ててくださいました。永遠の命に至る道を開いてくださいました。これができるのは神をおいて他にいません。わたしは,イエスの友としてふさわしいと思われる人物でありたいと願っています。

イエスはわたしの模範です。イエスの生き方,まったく利己心のない行い,助けを必要とする人々に手を差し伸べること,そして最後の犠牲,全てがわたしにとって模範です。 ……

イエスはわたしの教師です。至福の教えで用いられた言葉ほどすばらしい言葉はありません。 ……

イエスはわたしを癒やしてくださる御方です。わたしは主が行われた奇跡に畏敬の念を覚えます。 ……

イエスはわたしの指導者です。わたしはイエスの誕生以来2,000年の間,イエスを愛し,イエスに従ってきた人々の長い行進に加われたことを光栄に思います。 ……

イエスはわたしの救い主であり,わたしの贖い主です。イエスは痛みと筆舌に尽くしがたい苦しみを経験した後に自らの命をお与えになることにより,死後の永遠の闇の深みからわたしと皆さん一人一人と,神の全ての息子と娘を引き上げてくださいました。……わたしの感謝はとどまるところを知りません。主に対するわたしの感謝は尽きることがないのです。

イエスはわたしの神,わたしの王です。イエスは永遠から永遠にわたって,王の王,主の主として治め,支配されます。主の権限に限界はありません。主の栄光に闇が訪れることはないのです。」(「わたしの証」 『リアホナ』2000年7月号,85)

次の状況を生徒たちに与える。もしも誰かが,イエス・キリストについてあなたが信じていることを尋ねたら,あなたが最も伝えたい事柄は何ですか。3つか4つあげてください。生徒たちに時間を与えて,考えたことを書き出してもらう。その後で,生徒たちに二人一組になってもらい,お互いに答えを分かち合ってもらう。なぜその事柄を選んだのか,また救い主への理解と愛を深めることになった経験を話し合うよう勧める。十分に時間を与えた後で,イエス・キリストについての証をクラスの皆と分かち合いたい生徒がいないか尋ねる。

生けるキリストの永遠の務めについての自分の証をして授業を締めくくる。長い間主イエス・キリストが果たされてきた多くの役割に対して感謝を表してもよい。その後で,生徒たちに次の課題を与える—本課程を終えるに当たって,あなたの知っている人で,救い主についてのあなたの証を聞くことで,最も強められる人は誰かよく考えてください。今週またはそれ以降に,あなたが感化したいのは誰か,また,あなたの証をその人とどのように分かち合うかを決めてください。

生徒の読書課題