ルカ9:24-26,57-62
イエス・キリストの弟子たち
イエス・キリストは,わたしたちがどうすればキリストの弟子になれるかについて,多くの真理を教えてくださいました。この課は,イエス・キリストのまことの弟子になるための方法を理解するのに役立ちます。
学習活動案
イエス・キリストの弟子となる
イエス・キリストは,教導の業の間,御自分に従って弟子となるよう人々を招かれました。弟子とは,バプテスマを受け,イエス・キリストに従い,その教えに従って生きようと努める人のことです。 ルカ9章 には,従うことでイエス・キリストの弟子となるための助けとなる様々な原則が書かれています。
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あなたがイエス・キリストについて知っていることを踏まえると,イエスの弟子となるために多大な努力をする価値があるのは,なぜでしょうか。
以下の3つの項では,それぞれ救い主の教えの一つを取り上げています。これらは,イエス・キリストの弟子となるための努力をする際に役立ちます。各項に目を通し,一つ以上選んで実施しましょう。聖霊を招いて,学んだことを自分の人生に生かす方法について,個人的な啓示を求めましょう。
自分の十字架を負う
ルカ9:23 を読み,救い主の弟子となるために,救い主が課された条件を調べてください。
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この聖句は,イエス・キリストのまことの弟子になることについて,どのようなことを教えていますか。
この聖句は,天の御父の御心を果たすためにイエス・キリストが背負い,そこで苦しまれた物理的な十字架のことを指しています。わたしたちは,主のように物理的に十字架を背負うようには求められていませんが,困難なときでも天の御父の御心を果たし,主に従うことが求められています。
ジョセフ・スミス訳のマタイ16:26(「福音ライブラリー」にある「学習ヘルプ」内の「ジョセフ・スミス訳付録」)を読み,自分の十字架を負って,イエス・キリストに従うということの意味を見つけましょう。
十二使徒定員会のウリセス・ソアレス長老は,自分の十字架を負うということを,次のように説明しています。
「聖文から分かるのは,自分の十字架を負いたいと願う人は,自分自身を捨て,あらゆる不信心やこの世的な欲を捨て,主の戒めを守るという方法でイエス・キリストを愛するということです。
たとえ艱難や,自分の魂の弱さ,この世の圧力や,主の教えに反対するこの世の哲学に直面しても,神の御心に反することを捨て,求められるすべてを犠牲にし,神の教えに従う努力をしようと決意することによって,イエス・キリストの福音の道にとどまって堪え忍ぶ助けが得られるでしょう。」
(ウリセス・ソアレス「自分の十字架を負う」『リアホナ』 2019年11月号,113-114)
次の質問について深く考えてください:
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なぜ,あなたの人生において,神の御心に沿わないものやこの世的な欲をすべて拒む必要があるのでしょうか。
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神の御心に沿わないものやこの世的な欲を拒むことは,どのような点で十字架を負うことと同じなのでしょうか。
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「自分の十字架を負う」ことは,イエス・キリストのまことの弟子になるために,どのように役立つと思いますか。
自分の命を失う者はそれを救う
ルカ9:24-25 を読み,主がその弟子になることに関して教えられたことを見つけてください。
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これらの聖句はイエス・キリストのまことの弟子になることについて,どのようなことを教えていますか。
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自分自身の意思と自分本位な願いを重視する人々は,どのような点で結果的に自分の命を「失う」と思いますか。
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イエス・キリストのために命を失えば,それを救うことになるとは,どのような意味だと思いますか。
トーマス・S・モンソン大管長(1927-2018年)は,イエス・キリストのために命を失うという意味を,次のように説明しています:
「自分ためにだけ生きる人は,ついには枯渇してしまい,比喩的に言えば,命を失ってしまいます。一方,自分を捨てて人のために奉仕する人は,成長し,繁栄して,実際に自分の命を救うのです。」
(トーマス・S・モンソン「今日われ善きことせしか」『リアホナ』2009年11月号,85)
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イエス・キリストのために自分の命を失うことを選んだ人を,だれか知っていますか。その決断はその人にどのような影響を及ぼしましたか。
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イエス・キリストがこれらの聖句の教えを実践されたことで,あなたはどのように祝福されていますか。
妨げになるものや言い訳を克服する
ルカ9:57-62 を読み,ある人々が救い主に従う前にしたかった事柄を見つけてください。
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これらの聖句からイエス・キリストのまことの弟子になることについて,どのようなことを教えていますか。
イエス・キリストは,愛する人の死をいたむことや,友人や家族に別れを告げることが間違っていると言われたのではありません。そうではなく,イエスは弟子になることの代償について大切な教訓を教えられていたのです。ハワード・W・ハンター大管長(1907-1995年)は, ルカ9:62 の「すき」のたとえについて説明しています:
「すきを使って, まっすぐなうね(または溝)を掘るためには, 前方のある一点に目を向けてそらさないようにします。そうすると,まっすぐに進むことができます。しかし,もし後ろを振り返ったりすると, 曲がった方向へ進む可能性が強くなります。曲がりくねった不規則なうねになってしまうのです。……わたしたちのエネルギーを,後ろではなく前方に,すなわち永遠の生命と救いの喜びに集中させるなら,確かにそれらを得ることができます。」
(ハワード・W・ハンター「『生ける』教会員」『聖徒の道』1987年7月号,17)
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現代の人々が,主に従わないことを選択する理由として一般的に挙げることは,何でしょうか。
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どうすれば,救い主が今,そして将来あなたが行うように望んでおられる事柄に,集中し続けることができるでしょうか。
次のステップ
少なくとも3つの段がある階段を描いてください。階段のいちばん上に「イエス・キリスト」と書きます。階段のいちばん下に,自分自身を表します。
聖霊の導きを求めながら,イエス・キリストの弟子となるための努力についてと,どうすればさらによくイエス・キリストに従うことができるかについて考えてください。あなたが深く考えるとき,聖霊は,あなたの頭に考えを授け,心に思いをもたらすことができることを忘れないでください( 教義と聖約8:2-3 参照)。
イエス・キリストの弟子となるために努めるに当たって,あなたの助けとなり得るステップを挙げてください。主が,あなたが行うことを望んでおられると思うものを選んでも,試してみたい順にステップに印をつけてもよいでしょう。
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さらに忠実なイエス・キリストの弟子となるために,あなたが次に踏むステップは何ですか。
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このステップを踏むと,どのように成長できると思いますか。
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救い主は,このステップや今後のステップを踏む際に,どのような方法で助けてくださると思いますか。
注釈と背景情報
ルカ9:24 。自分の命を救うためにそれを失うとは,何を意味するのか
十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老は,次のように教えています:
「これについて考えれば考えるほど,イエスが一貫して御自身の人生を御父にささげられ,生きるも死ぬも,完全に御自身の人生を捨てて,御父の御心に従っていたことに,ますます驚かされます。……
わたしに従いなさいというキリストの戒めは,……神がわたしたち一人一人のために考えておられる真の生き方,本物の生き方,日の栄えの王国に住むことができるような生き方をするために自分の命を捨てなさい,という戒めです。」
(D・トッド・クリストファーソン「命を見いだす」『リアホナ』2016年3月号,18)