セッション9
結果を課す
子供が悪い行動をしたときにその結果を刈り取らせない親は,従順の価値を学ぶ機会を奪っているという点で,子供にひどい仕打ちをしていることになります。
セッションの目的
このセッションでは,親が以下を達成できるように助けます。
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行動に結果を課すことの重要性を理解する。
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「当然の結果」と「論理的な結果」の違いを知り,正しい行動に導くときに,それらをいつ,どのように使い分けるのが効果的かを理解する。
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「論理的な結果」を課す方法を知る。
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結果の一つとして,タイムアウト(小休止)の使い方を理解する。
結果を課すことの重要性
子供は日々選択し,その選択の結果を身に受けることによって学習します。神の戒めを守り,熱心に働き,社会の規則に従う子供は実りある生活を送り,人生で成功を収める可能性が高くなります。怠惰で反抗的な子供は,人生で成功を収める準備ができないまま成人してしまうことになります。いずれにしてもわたしたちは皆,自分の行動がもたらす結果を身に受けます。義にかなった人は永遠の命を受けるのに対して,悔い改めない人は追い出されます(マタイ25:46参照)。親は,結果を課すことにより,子供に責任ある行動を学ばせることができます。
H・デビッド・バートン管理ビショップはこのように述べています。「さらに多くのものを得るのに成功した親は,欲しがるものは何でも与えてきた子供の要求を拒めないことがしばしばあります。そのため子供は,懸命に働くことや,目標を達成して満足を味わうには長きにわたる努力が求められること,正直,思いやりなどの大切な価値あることを学ばないという危険に陥るのです。」1
スタンフォード青年期研究センター(StanfordCenteronAdolescence)のディレクター,ウィリアム・ダモンは,多くの親の行動が,子供に自己中心的な考えを植え付け,無責任な行いを助長していると指摘しています。2 このような親は子供の自尊心を高めようと褒めそやすだけで,実際は何の行動も求めません。3 この実のない称賛は,怠惰で,無作法で,要求ばかりする子供を作り出しています。放任主義の親は子供にほとんど何も求めず,反抗的な言動や,義務を果たさないことに対しても,ほとんど,あるいはまったく,それに対する結果を課していません。
ジョセフ・F・スミス大管長は,子供に過ちの責任を取らせることの重要性について次のように教えています。「子供に対する愛情に関してわたしたちが無分別に甘やかしたり,思慮がなかったり,浅薄であったりするために,子供がわがままな生活をしていたり,間違ったことをしたり,また義に関することよりもこの世に関することを愛するという愚かな道を歩んでいたりしても,子供の感情を害することを恐れてそれを止めようとしないまま放置することのないように願っています。」4
拓也
10代の少年拓也は利発でしたが,非常に反抗的でした。父親は裕福なビジネスマンで,日曜日には教会の集会を管理していましたが,拓也はその間も無謀な飲酒運転を度々繰り返していました。拓也は飲酒運転で車を2台壊し,父親はその度に新しい車を買い与えていました。
拓也の父は息子が欲しがっているものを与えることは息子のためになると信じていました。拓也は自分の行動の限界を試しているかのようでした。目的が見出せないまま,拓也は戒めを破り,社会の規則を平然と無視し続けました。数年後,拓也は重罪を犯して刑務所に入れられました。刑期を終えてしばらくして,彼は自殺しました。自殺の原因ははっきりしませんでしたが,拓也を知る人々は皆,彼がずっと子供扱いされ,過ちの結果を課されずに守られてきたことを知っていました。
難しい時代に子供を育てるというチャレンジ
甘やかし,放任することで子供の行動に影響を与えようとしている両親がいます。拓也の父親はそのような人でした。彼は拓也の望むものは何でも与えてやることこそ愛情を示す最善の方法だと考えていました。求めに応じなければ,息子は怒るか,愛されていないと思うのではないかと心配していたのです。しかし,拓也は父親から与えられれば与えられるほど,もっと多くを欲しがり,与えられたものに対する感謝の心をますます失っていきました。
拓也に必要だったのは,両親からほかの方法で思いやりを示されることでした。分別のある大人に成長するには,限度や限界,責任を学ぶ必要があったのです。両親は適切でない要求を拒み,悪い決断をした場合にはそれに応じた結果を課す必要がありました。
多くの親は息子や娘に関して様々な難しい問題を突きつけられます。多くの子供たちが選んでいる道について教会の指導者や専門家たちも非常に心配しています。3ニーファイ第17章に描写されている,幼子を祝福しておられる救い主について,十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は次のように述べています。
「このような感動的な瞬間に救い主が抱かれた思いを正確に理解することはできません。しかし,あどけない子供たちの周りで常に荒れ狂っている破壊的な力について,救い主は確かに『心が騒いで』『心の中で苦悩』されました。子供たちのために祈り,子供たちを祝福することがぜひとも必要であると感じられたのは確かです。
……誘惑と罪の大波が子供たちを襲……うように思えることがあります。現在猛威を振るっている力の少なくとも一部は,個人の力では抑制できないように思えることがしばしばあります。」5
多くの子供たちが,麻薬やアルコール飲料,ポルノグラフィー,性的な誘惑という波に絶えずさらされています。これらは実に大きな誘惑です。親の導きを受けず,霊的な価値を教えられず,誤った行動に対する結果を課されない子供たちは,その誘惑に負けてしまうのです。
自分の責任を理解している親は,愛と関心をもって指導し,規則を与え,しつけを行います。そのような親が導く家庭のルールには意味があり,不適切な行動をすれば,それ相応の結果が課されることになっています。このような環境で育つ子供は失敗から学び,行動の結果をすぐには受け入れ難いことがあるにせよ,公平な結果を課せられていることを理解しています。
結果を課す
行動に対する結果を適切に子供に課す方法を知るため,以下の原則を両親に学んでもらいます。
子供の良い行動に気づき,褒める
子供には,親が自分に注意を向けるような行動を繰り返す傾向があります。末日聖徒で,親の教育を専門とするグレン・レイサムは,次のように報告しています。「ほとんどの親は子供の適切で良い行動の95から97パーセントを無視しています。しかし子供が行儀良くしていないときは,5倍から6倍注意を向けているのです。」6 親が子供の良くない行動だけに反応していると,子供は悪いことばかりをするようになるでしょう。
親が子供の行動に関心を示し,ほほえむ,感謝を表す,背中を優しくたたくなど,肯定的な信号を送っていると,子供はもっと良いことをしたいという気持ちになります。褒めるときは心から褒め,子供のしたことや,そのおかげで両親やほかの人々がどれだけ助けられたかを具体的に伝えます。例えば,「いつも台所の片付けを手伝ってくれてありがとう。一緒に片付けると楽しいし,あっという間に終わるわね」などと言います。(「あなたはほんとうに良い子ね」というような)子供自身に対する褒め言葉は,誠意が感じられず,操られていると受け取られる場合があります。
適切な「当然の結果」を子供に経験させる
「当然の結果は,行動に続いて自動的に起こります。例えば,試験勉強をしなければ,普通は成績が下がります。スピード違反の切符を切られれば罰金を納めなければなりません。いくら抵抗しても結果は起こってしまうため,「当然の結果」からすぐに学ぶことになります。スピード違反の罰金を子供に代わって払うなどして,「当然の結果」から子供を守ろうとする親は,貴重な教訓を学ぶ機会を子供から奪うことになります。
ただし,「当然の結果」を理解できる年齢に達していない子供は危険な目に遭う場合もあるので注意します。例えば,よちよち歩きの幼児は,熱いストーブに触れたり,川のそばを一人で歩いたり,交通量の多い通りで遊んだりすることのないように守ってやる必要があります。
しかし,幼い子供にも小さな「当然の結果」を経験させることはできます。おもちゃを歩道にたたきつければ壊れてしまうし,マジックインクにふたをしないでおけば使えなくなってしまうというようなことです。子供にルールを教え,そのルールを破るときに「当然の結果」が起こることを理解させておけば,そのような結果から良く学ぶことができるでしょう。
論理的な結果を課す
「論理的な結果」とは,子供の行動に対して納得できるような罰をあらかじめ決めておき,子供がその行動を取ったときにはその結果を課すというものです。例えば夕食中に騒ぐ子供は,静かに食べられるようになるまで食卓から離れさせるといったことです。「論理的な結果」が最大の効果を上げるのは,以下のような場合です。
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子供にとって納得できるものである。
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子供を尊重している。
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子供に代償を払わせるものである。
親は
いずれの結果も,子供にとって納得できるものであり(自分の悪い行いと関連している),子供に代償を払わせています(遅れたために夕飯が食べられない,罪を犯したために拘留される)。いずれの場合も,子供はその結果を望んでいるわけではありませんが,親が意地悪な思いや,裁きを下すといった態度ではなく,愛に満ちた毅然とした態度で結果を課すならば,子供はそれを尊重します。結果というのは,良くない行いをしたときに自分の身に起こる事柄のことです。
子供が自分の務めを果たさないときにはテレビを見させないなど,あまり関連なさそうに見える結果を課すこともできます。その場合は,労働と褒美を関連づけます。責任を果たすことで,テレビを見るという褒美が得られるのです。責任を果たさない子供は褒美をもらうことができません。
結果を課すときに大切なのは,親は子供の行動をコントロールするのではなく,親自身の言動をコントロールすべきだということです。親はしようとしていることを子供に言うべきであり,子供がどうするかについては(親は子供の行動をコントロールできないので)言うべきではありません。例えば,反抗的な10代の子供にはこのように言います。「家の車を使えるのは,自分の責任を果たす人に与えられる特権だ。自分の仕事をやらないなら,車を使うことはできないよ。」
どのような場合にも,愛と親切にあふれた雰囲気の中で結果を課します。教義と聖約121:41-42で言われていることをよく考えてください。「いかなる力も影響力も,……維持することはできない,あるいは維持すべきではない。ただ,説得により,寛容により,温厚と柔和により,また偽りのない愛により,優しさと純粋な知識による。これらは,偽善もなく,偽りもなしに,心を大いに広げるものである。」
春夫
春夫は楽しいことが大好きな男の子ですが,頑固で,衝動的なところがありました。両親は春夫が幼いころから,この子は成長していくにつれて,自分たちを困らせるようになるだろうと思っていました。両親は愛を込めて福音を教え,家族を大切にすることや,社会のルールを守ることを教えました。しかし,春夫は教えられたことをなかなか守ることができませんでした。9歳のときに,家から数キロ離れた町の店で,数本のペンとトランプを盗みました。母親に見つかって,説明するようにと言われた春夫は,自分が盗んだことを認めました。
父親は,盗んだ物を返すために春夫を連れて店へ行きました。父親は春夫に,自分のしたことを店主に話し,品物を返して謝り,どのようなことを求められても受け入れるようにと言いました。罪の意識を覚え,悔いている様子で春夫は言われたようにしました。店主は熱心に耳を傾けてくれ,春夫が自分の罪を認め,品物を返したことに感謝してくれました。店主は春夫に大切なことを学んでほしいと言いましたが,それ以上のことは求めませんでした。その後の2週間,両親は町へ行くときには春夫に家で留守番をさせ,自分のしたことをよく考えるように言いました。そして,春夫が規則を守れることを証明できるように,また町へ連れて行くと約束しました。
春夫はその後も,きょうだいとけんかしたり,タバコやアルコールを試したり,門限を守らなかったり,学校を無断で休んだりと,数々の違反行為を続けました。両親はその度に,彼が過ちから学べるように論理的な結果を課しました。そして,18歳近くになったとき,春夫は悪いことをやめました。春夫は伝道へ行き,大学を卒業し,神殿で結婚して,立派な父親になりました。春夫は機会あるごとに,両親が自分の行動に対して結果を課し,規律を教えてくれたことに対して感謝の言葉を述べています。そのおかげで,責任ある,法律を遵守する大人になれたからです。
子供に責任を取らせる
子供が問題行動を起こしたときは,両親はその結果を課す前に,子供とその問題について話し合い,どのようにして行動を改めるつもりかを尋ねることが賢明です。この質問が大切なのは,これによって子供が責任を持って問題を解決できるように助けることができるからです。どのような行動を執るかを自分で考えさせることによって,子供がその行いを改めるようになる可能性はより高くなります。子供がこうした話し合いをしたがらない場合は,親は結果を課す必要があります。
結果から学ばせる
結果を課そうとする親に対し,子供は怒ったり,言い争いを始めようとしたりすることがあります。そのようなときは,親は何も言わず,とにかく結果を課すようにすると,子供は最もよく学びます。自分の問題行動と,それに対して課された結果の関係が明らかであれば,子供は責任を感じ,その経験から学ぶことでしょう。しかし親が結果を課した後で子供と言い争いを始めると,子供は親を言い負かすことばかりを考えて,結果を課された理由が分からなくなってしまいます。同様に,どなったり説教したりしても通常は効果がなく,子供をもっと怒らせるだけです。親はただ,子どもが結果から学ぶのを見守ることが大切です。
以下の例では,4歳児と両親のやりとりの中で,結果から学ぶことの意味と効果が分かりやすく説明されています。
母- |
さあ,お片付けの時間よ。もうすぐお友達が来ることになっているの。 |
息子- |
いやだよ。ぼく,マンガを見たいんだ。 |
父- |
(穏やかに)今すぐおもちゃを片付けないんだったら,お父さんが片付けてしまうよ。もしお父さんが片付けてしまったら,次は何か特別なお手伝いをしないと,おもちゃで遊べないよ。どっちにする。 |
息子- |
お父さんが片付けて。 |
父は穏やかにおもちゃを拾い上げるとバッグに入れ,物置にしまいました。翌日-
息子- |
ぼくのおもちゃは。 |
父- |
片付けたよ。 |
息子- |
おもちゃで遊びたいの。 |
父- |
昨日,おもちゃを片付けてと言ったら,いやだと言ったよね。お父さんが言ったとおり,もう片付けてしまったよ。 |
息子- |
返してよ。遊びたいんだから。 |
母- |
(子供の気持ちを尊重しながら)遊びたいでしょうね。大好きなおもちゃですものね。 |
息子- |
返して。返してよ。 |
母- |
(同情しながら)悲しいわよね。(どうしたらよいか考えている様子で,間を置く)おもちゃを返してもらうために,どんなお手伝いができるか考えてみたらいいんじゃないかしら。どう? |
息子- |
(怒って叫ぶ)何もしたくない。すぐに返してよ。 |
父- |
いいかい。大声を出したり,怒ったりせずに静かに話せるようになったら,どうしたらおもちゃを返してもらえるか,考えてみよう。でも,お父さんとお母さんは,今しなければいけないことがあるからね。 |
両親は,その場から離れました。およそ1時間後,息子は父親のところへ来ると,おもちゃを返してもらうために,いつもよりもっとたくさんお手伝いをすると言いました。そして,その日を境に,言われたときは,進んでおもちゃを片付けるようになりました。
この例から,あらかじめ決められた結果を課すことには,数多くの利点があることが分ります。
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親は言ったとおりに行うということを,子供は学びます。
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子供が無責任な行動をしたときは,その結果を受け入れなければなりません。
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子供は,おもちゃで遊ぶなど,自分がやりたいことをするには,責任を果たさなければならないということを,結果から学びます。
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親は,終始穏やかな態度でいることで,問題を解決するために感情をぶつけて相手を動かさなくても,冷静に協力しながら解決できることを子供に教えます。
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親が穏やかな態度を保つならば,子供は自分の正しくない行動だけに意識を向けることができます。しかりつけたり,言い争ったりすると,子供は親の言動にばかり意識してしまいます。
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親が言い争いを避けることで,対立を抑え,それ以上激しく口論したり,感情的になったりするのを防ぐことができます。
以下の例を読むとき,もし親が言葉で
真里
17歳の真里は妊娠8週目に入り,これ以上両親に隠しておくことはできないと覚悟しました。堕胎することはもちろん,相手の悟と結婚することも論外でした。両親が激怒することは分かっていました。真里には,ひどくがっかりした両親から延々としかられ,厳しい罰を受け,
予想どおり,両親はショックを受け,怒り,落胆しました。どうしてこんなことをしたのか。自分たちの教えは何の役にも立たなかったのか。真里には道徳心も原則もなかったのか。悟と一緒にいる時間が長すぎるとあれだけ言って聞かせたのに,なぜ耳を貸さなかったのか。
しかし,次に起きたことは予想外でした。怒りや傷つける言葉に代わって,愛と慰めの言葉が返ってきたのです。母親は涙をいっぱいためながら,真里を抱きしめて言いました。「つらかったでしょう。こんなことになってほんとうに残念だわ。せっかく話してくれたのに,ひどいことを言ってごめんなさい。どんな助けが必要なの。」父親は二人の肩を抱いて言いました。「真里,お父さんとお母さんはお前をとても愛しているよ。お前が何とか乗り越えていけるように,わたしたちはどんなことでもして助けるから。」真里は愛され,支えられているという思いに圧倒され,わっと泣き出しました。
それから間もなくして,真里の心に新しい思いが浮かんできました。それまで何週間も両親のこと,二人がどのような反応をするかということばかり考えて悩んでいました。言い争い,非難,拒絶の日々が続くだろうし,もしかしたら家出しなければならないかもしれないとさえ考えました。でも,そのような心配はもうなくなりました。それよりももっと恐ろしいことが待っていました。いったい自分は何をしてしまったのか。これからどうすればよいのか。お腹の中の赤ん坊はどうなるのか。活発な教会員として得ていた平安と幸せはどこに行ってしまったのか。そのようなことをあれこれ考えていると,両親について心配していたことは,もっとずっとたやすいことだったと分かりました。以前はただ,両親のことを意地悪で,冷たく,思いやりに欠け,無神経で,執念深い人たちだと思い込み,非難さえしていればよかったのですから。しかし今,それは間違いだったと分りました。今までは自分のことしか考えていませんでしたが,これから自分が立ち向かっていく現実は非常に厳しいということにようやく気づきました。それでも,自分一人で立ち向かう必要はないと分かっただけでも,幸せなことでした。
タイムアウト(小休止)を使う
子供に課す結果の一つとして,タイムアウトという方法があります。これは3歳から8歳までの子供に最も効果的です。タイムアウトとは,子供を混乱した状況から離して,違う場所や別の部屋に行かせ,独りきりにさせる方法です。
聞き分けのない子供には特に効果的ですが,親への対抗意識の強い乱暴な子供には効果がありません。このような子供はいすに座らされたり,部屋に閉じ込められたりすることに我慢できず,無理強いすると,物や家具を傷つけたり,壊したりするかもしれません。
タイムアウトを使うと,子供は,感情を抑え,暴力を使わずに問題を解決する方法を学べます。この方法を用いるとき,親は「柔らかい
怒りに任せて,罰としてお仕置き部屋に子供を引きずっていく親には,この方法は向いていません。怒りのままに行動し,子供を傷つけるような言葉を投げかける親は,無意識のうちに不適切な行動を子供に教え込み,さらに強化しているのです。パウロは教会員に強く勧めてこう語りました。「子供をいらだたせてはいけない」(コロサイ3:21)。
タイムアウトを効果的に使うために,親は以下のようにすべきです。
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してほしい行動と,してはいけない行動を前もって子供に話しておきます。タイムアウトとはどういうもので,どのように課せられるのかを子供に説明します。
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子供が悪いことをしたときに,なぜ今タイムアウトを課せられるのかについて穏やかに簡潔に説明します。悪い行為をすべて並べ立てるのでなく,最も悪い行為だけを選んで話します。(「弟をたたいたから,3分間静かにお部屋にいてもらいますよ。」)
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タイムアウトの間,自分がしたことと,どうしたらそれを直せるかについて考えるように言います。タイムアウトの後で,考えたことを話してもらうと伝えておきます。(まだ論理的に考えることのできない子供には,タイムアウトを使わない方がよいでしょう。)
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タイムアウトは子供が静かになった時点から時間を計り,なるべく短い時間で終えます。子供の年齢と同じ分数(5歳児なら5分間)がよいでしょう。子供が静かになったら,タイマーをセットします。
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決めておいた時間,子供が静かにできたら,子供の所に行きます。それまでは子供が親の注意を引こうとして泣いたり叫んだりしても,それに応じてはいけません。
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部屋から出す前に,子供が考えた解決方法を尋ねます。場合によっては,同じことを繰り返さないように,子供にその行動を実際に演じさせることも有効です。それが納得のいく解決方法であれば,家族の所へ戻してやります。もし子供に問題を解決する用意ができていないようなら,3,4,5を繰り返してもよいでしょう。
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子供がもうしないと決心したら,親の言うとおりにしてくれたことに対する感謝の言葉をかけます。その後も機会を見つけて,子供の良い行動を認め,積極的に褒めてください。教義と聖約121:43にあるように,いっそうの愛を示します。
タイムアウトに使う部屋は,子供の注意を引いたり,子供が壊したりするもの(テレビ,
ルールと結果について親子であらかじめ話し合い,合意しておく
一般に,子供たちが家族の決まりとそれを破ったときに受ける結果を理解し,受け入れるとき,より良い親子関係を築くことができます。家族会議,家庭の夕べ,個人面接などは,家族のルールとその根拠,またそれを破ったときに受ける結果について子供と話し合う良い機会となります。子供がルールに従うと約束した後でそれを破ったときは,親は子供にルールとその結果を思い出させ,その結果としてやりたいことができなくなったときには,心からの同情を伝えます。このようにすると,子供は結果を罰と感じることが少なくなります。以下の例を読んでください。
母- |
土曜日の夜について約束したことと,それを破ったときに受ける結果を覚えているわね。 |
娘- |
ええ,夜中までに帰らないと,次の土曜日の夜は外出できないわ。 |
父- |
それは,どういうことかな。 |
娘- |
来週の土曜日の夜は外出できないってことね。 |
母- |
そうね。あなたはコンサートに行く予定だったわよね。あなたが行けなくなってお父さんもお母さんも悲しいわ。楽しかったでしょうにね。 |
一度,親子で話し合ってルールを決めたら,その後,それに違反したときには話し合いや交渉は無用です。もしそんなことをすれば,自分の行動に対して責任を取らなくて済むように,何らかの方法を講ずるように子供に勧めていることになります。通常は,事前に決めておいた結果を課しますが,常識に照らしながら行うべきであって,関連した新たな情報が分かったときには調整が必要な場合もあります。
賢明に判断する
悪い行動でも,ささいなものに対しては結果を課しません。子供と話し合うだけで十分でしょう。親の気に障るような行動であっても,人に害を与えるものでなければ無視するのがいちばんです。子供は,言われなくてもいずれはそういった行動をやめるものです。いちいち口を出すとかえって悪い行動を助長することになります。
愛を込めてしつける
ジェームズ・E・ファウスト管長は,子供をしつけるときには愛が大切であり,個々の子供の違いを認識する必要があることについて教えています。「子供の育て方は子供の個性によって違ってきます。子供は皆それぞれ異なっており,一人の子供に合う方法だからといって,ほかの子供にも合うとは限りません。子供をいちばん愛しているその子自身の親以外に,しつけが厳しすぎるとか易しすぎるとか言えるほどの分別のある人はいないのではないでしょうか。親にとってそれは祈りの気持ちで識別すべき事柄であり,しつけは罰よりも愛の心によって行わなければなりません。」7
子供を育てるに当たって親に課せられている大切な責任は幾ら強調しても強調しすぎることはありません。このコースを終えるに当たり,教えることと良い親であることの大切さを強調したファウスト管長の言葉を読んでください。参加者にとって大いに助けになることでしょう。
「良い親であることは大きなチャレンジですが,これほど大きな喜びを与えてくれる機会はほかにありません。神を敬い,幸せで,社会に役立つような子供を育てること以上に重要な仕事は,この世にはほかにないのです。親にとって,両親を敬い,その教えを尊重する子供を持つこと以上に幸福なことはないでしょう。それは親であることの祝福です。ヨハネは『わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に,大きい喜びはない』と証しています(3ヨハネ1:4)。子供を育て,教え,訓練することは,人生で直面するいかなるチャレンジよりも多くの知性,深い理解力,謙遜さ,力強さ,知恵,霊性,忍耐力,労力を必要とします。これは,名誉や礼儀を重んじるという道徳の基礎が崩れている現代社会にあって紛れもない事実であると言えるでしょう。良い家庭を築くためには正しい価値観が教えられ,規則が守られ,標準が維持され,永遠に変わらぬ戒めがなければなりません。多くの社会では,道徳を教え尊ぶことに関して親をほとんど支援していません。多くの社会で文化的な価値観が失われ,大勢の若人たちは道徳が無意味なものだと思い始めています。
社会全体が腐敗し,道徳的標準がないがしろにされ,多くの家庭が破壊される昨今にあって,次の世代すなわち子供たちを指導することに心を砕き努力することこそ,わたしたちの最大の願いではないでしょうか。そのためにはまず子供たちの主要な教師を強めなくてはなりません。最も重要な教師は親と家族であり,家庭こそ最も良い環境であるはずです。何とかして家庭をもっと堅固なものにするよう努力し,周囲の不健康で腐敗した道徳から子供たちを守る場所としなければなりません。家庭の中の調和,幸福,平安と愛は,人生のチャレンジに立ち向かうのに必要な強い心を子供の内にはぐくみます。」8