セッション1
子育ての原則と実践
「両親には,愛と義をもって子供たちを育て,……また互いに愛し合い仕え合〔う〕ように教えるという神聖な義務があります。」
「家族-世界への宣言」
セッションの目的
このセッションでは,親が以下を達成できるように助けます。
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子供を育てるという神聖な役割を理解する。
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子育ての基本となる福音の原則を理解する。
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子供に関する社会通念の中には親を誤った方向へ導き,子供にとって有害な考え方があることを認識する。
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子供を救いに導くために,聖約からどのような助けが得られるかを理解する。
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福音の教義から,子育てがどの程度うまくいっているかを知るための目安を見つける。
家庭の崩壊から子供を守る
現代ほど,愛にあふれ,子育てを効果的に行える親が必要とされる時代はありません。ゴードン・B・ヒンクレー大管長は1997年に次のように語りました。「世界中で〔家庭が〕崩壊しつつあります。かつて父親と母親と子供たちをつないでいたきずなが,あらゆる所で,解け始めています。……人々の心は張り裂け,子供たちは涙に暮れています。」1
サタンが家族を攻撃するのは,幸福と救いに関する創造主の計画の中で家族が重要な位置を占めているからです。主はサタンの攻撃から逃れる方法を明らかにしておられます。「わたしはあなたがたに,あなたがたの子供たちを光と真理の中で育てるようにと命じた」(教義と聖約93:40),なぜなら「光と真理はあの悪しき者を捨てる」からです(教義と聖約93:37)。
ヒンクレー大管長は子供を強め,愛し,守ることが早急に求められていることについて次のように力説しました。「わたしの願いは,もっとうまく語りたいのですが,子供を救うことです。あまりにも多くの子供たちが苦痛と恐れ,孤独,失意の中を歩んでいます。子供には日の光が必要です。幸福が必要です。愛とはぐくみが必要です。思いやりと励まし,愛情が必要です。家の大小を問わず,すべての家庭が愛という環境を子供に与えることができます。それが救いをもたらすのです。」2
幸せで,仲むつまじい家庭は親と子供にとって祝福です。そのような家庭は永遠の命を受ける備えの場となります。まことに,「永遠の命とは,慈しみに満ちた天父,また自分の先祖や子孫と,家族として生活することなのです。」3
子育てに関する社会通念
子供を育てるに当たって親が取る行動の多くは,子供に対する一般的な見方から影響を受けています。具体的には次のようなものがあります。(1)子供は生まれながらにして悪である(2)子供は生まれながらにして善である(3)子供は白紙のようなものである(4)子供は遺伝的要因によって形成される(5)子供は周囲の環境を読み取り,自分の行動を決め,親から受けた価値観を変えたり捨てたりすることができる。
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子供は生まれながらにして悪である。アダムとエバの堕落によって,子供は生来邪悪な存在だと考える人々がいます。そのため,子供の中に潜む「悪魔を追い出す」には,厳しい罰を与える必要があると信じています。このような考えを持つ親は子供に対してほとんど愛情を表現することがなく,思いやりを示すことは子供にとって害になるとさえ考えています。子供を虐待する親は形こそ違え,このような考えを持っていると思われます。4
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子供は生まれながらにして善である。一方,子供は生まれつき善であって,正しい動機を持っており「ただ腐敗した大人の社会のために堕落しやすいだけである」という見方もあります。フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーは,子供は「放っておけば,その子の持つ最大の能力を発揮するだろう」と言っています。このため,親は子供に経験から学ばせ,その望みのままに行動させようとします。カール・ロジャースやアブラハム・マズローなどの人間性心理学者も同じような見方をしています。5
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子供は白紙のようなものである。ジョン・ロックは,子供は白紙のようであって,善でも悪でもないという見方を広めました。ロックは,子供の人格はほとんどその経験によって形成されると考えました。ジョン・B・ワトソンやB・F・スキナーなどの行動心理学者はロックに近い考えを示し,親は環境を管理したり,変えたりすることによって望むままに子供を訓練し,形成できるとしています。6
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子供は遺伝的要因によって形成される。20世紀に広く知られるようになったこの見方には,進化論,気質説,生物学説などの理論があります。これらの理論によれば,子供は誕生したときから白紙以上の存在であって,幼いときから見られる個々の違いは遺伝的要因からある程度まで説明できるとしています。ここから派生した多くの見方は決定論的であって,個人の選択の自由が果たす役割を重視しない傾向があります。
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子供は周囲の環境を読み取り,自分の行動を決め,親から受けた価値観を変えたり捨てたりすることができる。スイスの心理学者ジーン・ピアジェなどが提唱するこの見方は,周囲の環境を解釈する(場合よっては築き上げる)能力に焦点を当てています。他の見方よりも個人の選択の自由を重視しており,人は遺伝的要因や環境要因からの影響を変える力を持つとしています。しかし,この能力がどこから来ているかについての説明は与えられず,親や子にとって何が善で何が悪かを知る助けにもなりません。この理論の支持者は,子供は教えられた事柄を,自分なりに解釈して行動すると考えています。そのため,子供が親などから教わる価値観を捨てたり,変えたりすることもあるのは当然であり,避けられないとしています。
これらの見方のほとんどは幾らかの真理を含んでいます。例えば,子供は純粋で罪がありませんが,人は堕落した性質を持っています。そして,環境,遺伝的要因,個人の選択の自由などのすべてが,地上におけるわたしたちの生活に影響を及ぼしています。しかし,神から与えられる知識がないと,これら一つ一つの見方はもちろんのこと,いくつかを合わせたとしても,そこにすべての真理を見いだすことはできません。
最も重要なことは,これらの見方はいずれも,道義的な行動についてしっかりとした指針を与えていないことです。自分の子供を生まれながらにして悪だと考える親は,子供の最も悪い部分を探そうとし,そればかりに目を向けてしまいます。そのため,無邪気な行為を誤ってとらえ,大げさにとがめてしまいます。このような親は自分が子供を傷つけていても,親として当然のことを行っていると考えます。なぜなら,自分たちの方が道徳的に優れていると思っているからです。白紙のようだという見方は,子供があらゆる点で環境によって形成されると考えるため,子供の選択の自由を無視するだけでなく,道徳的なしつけも行いません。生まれながらにして善であると考える親は子供が自然に取るあらゆる行動を容認し,導くことも,しつけることもほとんど必要ないと考えます。このような親は,かつては逸脱した,不適切な行為とされていた行動を認め,受け入れます。
遺伝的要因に基づく資質が行動を決めると信じる親は,子供が自分の行動に対して全く責任を取ろうとしない現代の風潮を助長しています。自分で環境や性格を築き上げていくという見方を取る親は子供に理性的な選択をする能力があることは理解していますが,社会に受け入れられているもの以外に,善悪を判断する基準を与えることができません。さらに,子供が仲間の価値観に合わせて親の価値観を拒むとき,それはより高い段階に発達したととらえます。この見方によれば,善悪の判断基準を決めるのは,周囲のだれかであって,自分ではないということになります。
福音の真理という光
末日聖徒は啓示を通して,人の内に秘められた神聖な属性や,親が子供を育てるべき方法を知っています。大管長会と十二使徒定員会は家族に関する宣言の中でこう述べています。
「すべての人は,男性も女性も,神の形に創造されています。人は皆,天の両親から愛されている霊の息子,娘です。したがって,人は皆,神の属性と神聖な行く末とを受け継いでいます。……
……『子供たちは神から
聖文には,イエス・キリストの
神の霊の子供は一人一人が唯一無二の存在です。霊が宿る死すべき体もまた,それぞれに異なった遺伝子構造を持っています。このため,子供はそれぞれ独自の関心や才能,個性,欲求や能力を持っています。親,きょうだい,その他の人々も子供が成長する過程で影響を与えます。
科学的な調査によれば,遺伝的特徴は「子供の気質と気性」に影響を及ぼします。それには「内向的,社交的,衝動的……,活発……情緒的……といった傾向」が含まれます。さらに,子供はある程度,「その遺伝的要因に基づいて自分の環境を選び,部分修正し,さらには作り出すことさえあります。」9 例えば,社交的な子供は友人と交わる機会を求めるのに対して,内気な子供は多人数との交わりを避けます。両者とも,その行動パターンを強めていき,成人しても同じような傾向が見られる場合があります。
環境や遺伝的要因は子供の発育に影響を与えますが,神の子供はそれぞれ選択の自由を持っています。十二使徒定員会のニール・A・マックスウェル長老はこう教えました。「もちろん遺伝子や環境,境遇などはきわめて重要で,わたしたちを形成する大きな要因となっています。しかし,わたしたちの内には,自分から放棄しないかぎり自分でコントロールできる部分があります。そこにあるのが,個性と個人の責任の本質です。」10
子供はそれぞれ異なるため,親はその違いに応じて対応しなければなりません。元気のよい子供を持った親は,より多くの心配事を抱え,規則を増やし,目を離すことができないでしょう。内気な子供はそれほど長い時間見守ったり,注意したりする必要はないかもしれません。また,親が同じことを要求しても,子供はそれぞれの考えで違った受け止め方をします。例えば,気の弱い子供は親からの命令を脅しとして受け取ります。きちんと求めに応じはしますが,無力感と恐れを抱いています。別の子供は同じ命令を攻撃としてとらえ,反抗的な態度を取ったり,不平不満をもらしたりします。
親は知恵を用いて子供に対処していく必要があります。ブリガム・ヤングは「子供たちの気質や気性を理解して,それに応じて対処してください」と親に勧告しました。11
信頼型の子育て
子供が様々な気質や気性を持っているように,親たちの子育ての方法も様々です。その効果にも差があります。どの方法が効果的か,あるいは効果的でないかを判断するために,様々な子育ての方法を祈りの気持ちで研究するとよいでしょう。
子育てにおける三つのタイプ
子育てのあり方は,独裁型,放任型,信頼型の三つのタイプに分類できます。12
独裁型「独裁的な親は一定の行動基準に照らして子供の行動と態度を型にはめ,コントロールし,評価しようとします。」このような親は子供の行動を指導するに当たって,「親の言葉は正しいので子供は受け入れるべきだと思い込んでいる」ため,守るべきルールや親の期待について子供と話し合うことはしません。親は子供の行動を厳しくコントロールすることを重視し,温かい気持ちを表すことはほとんどありません。子供に自分の気持ちや考えを述べさせることをほとんどせず,しつけに関しては特にそうです。13
放任型放任型の親は普通,子供に対して温かい気持ちや愛情を表しますが,指導したり,指示を与えたりすることはほとんどありません。そのような親は「罰を与えることなく,受け入れ,肯定しようとします。……親の役目は子供が望むままに与えることだと考えて子供に接し,子供の現在と将来の行動を形成する責任者として積極的な働きかけをしません。子供の行動についてはできるだけ本人に決めさせ,コントロールすることを避け,規則に従うよう子供に強く求めることはしません。」このような親は「親の権力をふりかざすようなことはせず」あいまいな方法で子供の行動を規制しようとします。子供との衝突を避けているのです。14
信頼型信頼型の親は独裁的な親と同様に,子供に大きな期待を寄せますが,同時に子供を非常に温かい気持ちで包み込み,必要にこたえようという気持ちを強く持っています。愛情があり,協力的なのです。子供を導くに当たっては,「進んで子供に意見を求め,話し合いを通して互いの意見を伝え合い,親の方針についてその理由をきちんと説明します。」このような親は「親子で意見が食い違うときは断固とした態度でコントロールしますが,規則でがんじがらめにするようなことはしません。信頼型の親は
このコースで教える子育ての原則は信頼型に最も近く,聖文と教会指導者の教えと一致しています。
この標準によれば,親は説得と忍耐と愛によって子供を教え導きます(教義と聖約121:41-44参照)。自分たちが決定した事柄について喜んで子供と話し合い,その理由を説明します。また,
子育てを成功に導く原則
大管長会と十二使徒定員会は父親と母親にとって子育ての指針となる9つの原則を宣言しました。「実りある結婚と家庭は,信仰と祈り,悔い改め,赦ゆるし,尊敬,愛,思いやり,労働,健全な娯楽活動の原則にのっとって確立され,維持されます。」16 親はこれらの原則を様々な方法で教え,応用することができます。
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信仰親は,子供がイエス・キリストを信じる信仰を持ち,その信仰を働かせ,強め,福音の原則を個人の生活の指針とするように教えなければなりません(マタイ17:20;へブル11:6;3ニーファイ18:20;教義と聖約68:25参照)。
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祈り子供は個人としてまた家族として祈ることを学ばなければなりません。子供は幼いときから祈りの力について学ぶことができます(エノス1:1-5;モーサヤ27:8-14;アルマ34:17-27;37:37;3ニーファイ18:21参照)。
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悔い改め 親は,聖霊の導きと影響を受けられるように,自らの罪を認め,告白し,捨てる必要があります。また,子供が生活の中でこれらの原則を理解し,応用できるように助けることができます(アルマ34:33;3ニーファイ9:22;モロナイ10:32-33;教義と聖約6:9;58:42-43参照)。
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赦し 親は,自分と
伴 侶 と子供の欠点を赦すことによって赦しの模範を示すことができます(マタイ6:14-15;エペソ4:32;モーサヤ26:29-31;教義と聖約64:8-10参照)。 -
尊敬家族は互いに尊敬し合うことを学ばなければなりません。親と子供は互いに対して最高の敬意を払いつつ,礼儀と優しさをもって接することを学ぶことができます(マルコ9:42;教義と聖約121:41-46参照)。両親は互いに,また子供に対して批判的な思いを持ったり,そうした言葉を口にしたりするのを避けるように努めなければなりません。
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愛親はパウロやアルマ,モルモンが述べたように,忍耐,親切,優しさ,無私の心,謙遜けんそんさをもって子供を愛さなければなりません(1コリント13章;アルマ7:23-24;モロナイ7:45-48参照)。
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哀れみ両親は互いに,そして子供に対して哀れみを示すことができます。家族が試練を受けるときにはともに悲しみ,困難な状況にあるときには家族を理解し,支えるように努めるべきです(ルツ1:11-17;ゼカリヤ7:8-10;ルカ15:11-32参照)。
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労働家族で共に働くこと,特に親と子供が一緒に働くことは,子供にとって労働の大切さを学び,達成感を味わう良い機会となります(教義と聖約42:42;58:27-28参照)。子供に達成感と自信を与えるため,個々の年齢と能力に合わせた仕事を計画してください。
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健全な娯楽家族は健全で楽しい活動に参加するときに強められ,新たな活力を得ます。
これらの中で最も大いなる原則は愛です(マタイ22:36-40;1コリント13:13;モロナイ7:46参照)。親が子供のためにできる最も大切なことは,キリストが教えておられるような方法で子供を愛することです。子供は自分が愛されていることを知り,心で感じるとき,親の教えに耳を傾け,模範に従い,しつけに従うようになるものです。子供を育てるうえで,愛こそがあらゆる行いを駆り立て,導くものとならなければなりません。
親の影響力に関する福音の標準
親としてどのようにその影響力を使うべきかについて,主は預言者ジョセフ・スミスを通して,一つの標準を与えられました。
「いかなる力も影響力も,神権によって維持することはできない,あるいは維持すべきではない。ただ,説得により,寛容により,温厚と柔和により,また偽りのない愛により,
優しさと純粋な知識による。これらは,偽善もなく,偽りもなしに,心を大いに広げるものである。
聖霊に感じたときは,そのときに厳しく責めなさい。そしてその後,あなたの責めた人があなたを敵視しないために,その人にいっそうの愛を示しなさい。
それは,あなたの誠実が死の縄目よりも強いことを,その人が知るためである。」(教義と聖約121:41-44)
この標準によれば,親は説得と忍耐と愛によって子供を教え導きます。自分たちの決めたことについて喜んで子供と話し合い,その理由を説明します。子供が必要とする導きを与え,御霊に導かれたときには子供を叱責します。叱責した後,自分が愛されていることを子供が分かるように,親はいっそうの愛を示します。
聖約の力
親は子供を救いに導くために努力しますが,それを自分の力だけで行うわけではありません。天の御父は子供が祝福を受けられるように,神聖な聖約を授けておられます。男女が永遠の結婚の聖約を交わし,その聖約の定めに従うとき,御父は彼らに永遠の命を授けると約束しておられます(教義と聖約132:20参照)。ジョセフ・スミス,ブリガム・ヤング,ジョセフ・フィールディング・スミスは,神殿結婚の聖約によって結び固められた両親のもとに生まれ,天の御父のもとに戻るために両親の薫陶を受けた子供は,いっそう大いなる祝福を受けると教えました。17 ブリガム・ヤングは,この結婚の聖約のもとに生まれる子供は「王国の正当な世継ぎ〔となり〕,王国の祝福と約束をことごとく受ける世継ぎ」となると語りました。18
子供が道から迷い出てしまうこともあります。十二使徒定員会のオーソン・F・ホイットニー長老はこれらの迷い出た子供をあきらめることのないように,親たちに強く勧告しました。
「子供の気まぐれや強情さに悩まされている親の皆さん,あきらめないでください。彼らを見捨てないでください。まったく希望が失われたわけではないのです。羊飼いが御自分の羊を捜し出してくださるでしょう。皆さんの子供になる以前は,彼らは主のもとにいたのです。彼らが皆さんに託されるはるか以前からそうでした。しかも,主は人に勝る大きな愛をもって愛していらっしゃるのです。子供は,ただ知らずに正義の道からさまよい出たにすぎません。神は無知に対して慈悲深い御方です。完全な知識を持った人だけが,完全な責任を要求されるのです。神はその
預言者ジョセフ・スミスは次のように宣言し,この上ない慰めに満ちた教義を説いています。『忠実な両親が受けた永遠の結び固めと,真理の大義における彼らの雄々しい奉仕に対して授けられた神の約束は,当人のみならず,子孫をも救う力があります。』中には迷い出る羊がいるかもしれませんが,良い羊飼いの目は彼らに注がれています。囲いに連れ戻そうと差し伸べられている神の
大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長はホイットニー長老の教えをこのように解説しています。
「この声明にある原則は,しばしば見過ごしにされますが,迷い出た彼らは完全に悔い改め,『自分の犯した罪のために苦しみ』,『正義に対する負債を支払わなければならない』ということです。……
……忠実な両親の結び固めの力は,キリストの贖いと,本人の悔い改めという条件が満たされたときにのみ,道をそれた子供たちに及びます。悔い改めた反抗的な子供は,救いとそれに伴うすべての祝福を享受しますが,昇栄はそれ以上のことです。昇栄を受けるふさわしさを完全に得る必要があります。だれが昇栄するかという質問は,主の
どんなに反抗的で邪悪な罪を犯した人であろうとも,『悔い改めの力が及ばない』ほど重大な罪を犯してしまった,という人はほとんどいません(アロンゾ・A・ヒンクレー,ConferenceReport, 1919年10月,161)。裁きもまた主にゆだねるべきものです。主はこう言われました。『主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる』(教義と聖約64:10)。」20
同じ説教の中で,ファウスト管長は,「義にかなった両親の結び固めのきずなが子供との間でいかに持ちこたえるのか」をこの世において理解することは恐らくできないであろうと語りました。さらに,道をそれた子供たちが天の御父のもとへ戻るために,幕のかなたにいる愛する先祖の影響力や「わたしたちが知らない多くの助けが差し伸べられる」であろうと教えています。21 預言者の言葉から,親が聖約を交わし,それを守るときに,子供たちを救う力は最大限に発揮されることが分かります。
子育ての成功を測る指標
子育てをどの程度よく果たせているかを測る指標が欲しいと言う親がいます。ハワード・W・ハンター大管長はこのように教えています。「立派な親とは,子供に愛を示し,犠牲を払い,世話をし,教え,子供の必要を満たす人のことです。もしこれらのことをすべて行っても,子供が不従順で世のものを追い求め,手に負えないようであれば,それでも,皆さんはなお立派な親であると言えます。恐らくどのような環境のもとでどのような両親のもとに生まれて来ようとも,親に苦労をかける子供もいるのではないでしょうか。同様に,どのような両親であっても,その生活に祝福と喜びをもたらす子供もいるでしょう。」22
ファウスト管長は,次のように教えました。立派な親とは「模範と勧告によって子供たちに『祈ることと,主の前をまっすぐに歩むこと』(教義と聖約68:28)を教えるために,優しく,祈りをもって,熱心に努めてきた人々です。たとえ不従順な子供や世俗的な子供がいたとしても,これは真実です。……成功する両親は,それぞれの家族が抱える事情の中で最善を尽くすために犠牲を払い,苦労している人々です。」23
子供を立派に育てている親は,子育てに失敗したと感じているかもしれない人々に配慮すべきです。成功していると感じている親は,感謝すべきであって,ほかの親たちに大きな悲しみを与えるような自慢は避けるべきです。ファウスト管長は次のように勧告しています。
「子供たちが反抗したり,親の教えと愛から迷い出たりしたという理由で,誠実で忠実な両親が裁かれるとしたら,これほど不公平で冷酷なことはありません。慰めと満足を得させてくれる子供や孫を持つ夫婦は幸いです。わたしたちが思いやらなければならないのは,不従順な子供のためにもがき苦しんでいる,義にかなったふさわしい両親です。
友人の一人がよくこう言いました。『子供の問題をまだ経験したことがなければ,ほんの少し待ちなさい。』」24
失敗したと感じている親に対して,スペンサー・W・キンボール大管長はこう助言しています。「〔家族について〕難しい問題に直面したとき,努力することをやめたときに初めて,失敗したと言えるのです。」25 問題が起き,たとえ間違ったとしても,それらの経験から学び,改善するために努力している親は自分を責めてはなりません。親は自分の子供についてあきらめてはなりません。引き続き子供たちを愛し,子供たちのために祈り,彼らを助けるために知恵を使ってあらゆる機会を活用すべきです。
ファウスト管長は,このような慰めを与えています。「悲嘆に暮れた両親は,不従順な子供たちを,義にかなって,勤勉に,祈りの気持ちで教えてきました。わたしたちは皆さんに申し上げますが,良い羊飼いが彼らを見守ってくださいます。神は皆さんの深い悲しみを知って,理解しておられます。希望があります。エレミヤの言葉から慰めを得てください。『あなたのわざに報いがあ』り,子供たちは『敵の地から帰ってくる』のです(エレミヤ31:16)。」26