歴代大管長の教え
第19章:イエス・キリストの教会の神権指導者


第19章

イエス・キリストの教会の神権指導者

「主はこの業を見守っておられます。この教会は神の王国です。わたしたちは羊飼いのいない羊のようではなく,指揮官のいない軍隊のようでもありません。」

ゴードン・B・ヒンクレーの生涯から

ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように回想している。「わたしが教会で受けた初めての責任,初めての職は,執事定員会を管理する少年の顧問でした。尊敬するビショップがわたしを呼び,この召しについて話してくれました。わたしは非常に感動しましたが,不安であり,心配でした。信じられないかもしれませんが,わたしはどちらかといえば生来恥ずかしがり屋で引っ込み思案な少年でした。自分の年齢と経験を考えると,執事定員会の顧問として働くこの召しがとても気がかりでした。現在の責任についても,自分の年齢と経験を考えると,同じように感じます。」1

ヒンクレー大管長は1961年,十二使徒定員会の会員として奉仕するように召されたときにも同様の気持ちを抱いた。使徒として語った最初の総大会での話の中で,次のように述べている。

「主を受け入れようとしない世界を前にして主イエス・キリストの証人として立つこの責任に,少し重圧感を覚えています。『主イエスの愛にただ驚〔いて〕』います。主の預言者から寄せられた信頼と,この中央幹部の兄弟たちが示してくれた愛に恐縮しています。……わたしは力を求めて祈ります。助けを求めて祈ります。信仰と従う意思を求めて祈ります。」2

1995年4月1日,ヒンクレー大管長は預言者および大管長として初めて教会員から支持を受けた後,総大会の神権部会で話をした。それまでの14年間,他の3人の大管長の顧問を務め,彼らが神から召されていることを繰り返しし,彼らの勧告に従うよう末日聖徒に勧めてきた。今や自分自身がその立場となったわけであるが,主を頼りとする気持ちは,執事のときや新たに使徒に召されたときから薄らいでいなかった。むしろ,主の力に支えていただく必要のあることをさらに自覚するようになっていた。ヒンクレー大管長は次のように述べている。

「今朝の聖会における皆さんの挙手は,皆さんの兄弟でありであるわたしたちを信頼と信仰と祈りによって支持するという,皆さんの自発的な意思と望みの表明となりました。わたしはその表明に心から感謝しています。皆さん一人一人に感謝しています。皆さんも既に御存じのように,主が定められた方法にあっては,人が役職を望むということはありません。主は弟子たちに,『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして,あなたがたを立てた』と言われました(ヨハネ15:16)。この職は求めるものではありません。選ぶ権利は主にあるのです。主は命と死の主であられます。人を召す権限は主にあります。取り上げる権限も,とどめる権限も主にあります。全て主のの中にあるのです。

わたしは主の偉大な計画においてなぜ自分のような者に重要な務めが与えられるのか分かりません。しかし,この責任を受けた今,力や時間,才能,あるいは命であろうと,自分の持つもの全てを新たな気持ちで主の業にささげ,兄弟姉妹のために務めたいと思っています。再度申し上げます。……皆さんから今日頂いた支持の挙手に感謝します。わたしが切に祈るのは,ふさわしくなれるようにということです。皆さんが祈るとき,わたしのことを思い起こしていただけたらと思います。」3

〔大管長会の画像〕

大管長会,1995年。ゴードン・B・ヒンクレー大管長(中央),第一顧問トーマス・S・モンソン管長(左),第二顧問ジェームズ・E・ファウスト管長(右)

ゴードン・B・ヒンクレーの教え

1

主はそれぞれの大管長を,試み,精錬し,磨きあげた後に召される

わたしは……ヒーバー・J・グラント大管長以降代々の大管長とともに働いてきました。……これらの大管長の在任期間,全員の顧問たちと親しくしてきましたし,十二使徒評議会とも親しくしてきました。彼らは皆,人間です。人間的な特性を持ち,おそらく人としての弱さも多少持っていたと思います。しかし彼ら一人一人の生活には,そうした人としての特性や弱さの全てを超越して余りある,圧倒されるほどの神の霊感の示しがありました。大管長を務めてきた人たちは,真の意味で預言者でした。わたしは彼らに啓示の霊が注がれるのをこの目で見てきました。彼らはそれぞれ,十二使徒評議会の会員として,また他の職にあって長年にわたって数々の経験をした後,大管長会に入りました。主はそれぞれに落胆と失敗を理解させ,病と,また時には深い悲しみを経験させて,一人一人を精錬し,磨いてこられました。その全てが大いなる精錬の過程の一部となりました。そして,その過程が彼らの人生にすばらしい影響を及ぼしたことをはっきりと見て取ることができます。

福音における愛する友である皆さん,これは神の業です。この教会は神の教会であり,神の愛される御子の教会であって,御子のを冠する教会です。神は偽り者がその教会のとして立つのを決してお許しになりません。神は御自分の預言者を指名し,彼らに霊感と導きをお与えになるのです。4

大管長がほとんどの場合高齢であることに懸念を示す人たちがいますが,わたしはそれに対して,「何という祝福でしょう!」と答えます。……大管長が若々しくある必要はありません。大管長はもっと若い人たちを世界中に送って奉仕の業を進めており,今後もそのように行うことでしょう。大管長は管理大祭司であり,聖なる神権の全ての鍵を持つ人であり,神から神の民に伝えられる啓示の声となる人です。……

わたしは次のことを知っており,心にとても深い安心感があります。すなわち,……わたしたちの大管長となる人は,鍛えられ,訓練され,試練と試みを受けてきた人であり,に対する忠実さと大義における誠実さは奉仕という炉で鍛えあげられ,信仰は成熟しており,長い年月を掛けて神に近づいてきた人であることでしょう。5

この末日にわたしたちを導く預言者がいることへの感謝の気持ちをもって……申し上げます。主から召され,油を注がれた預言者に忠実であってください。確固として預言者を支持し,その教えに注意を払ってください。かつてわたしは,……預言者がいれば,わたしたちは全てを持っていることになる,と言ったことがあります。預言者がいなければ,何も持っていません。わたしたちには預言者がいます。この教会の設立以来,預言者を頂いてきました。わたしたちが預言者を頂くにふさわしい生活をする限り,預言者が取り上げられることはありません。

主はこの業を見守っておられます。この教会は神の王国です。わたしたちは羊飼いのいない羊のようではなく,指揮官のいない軍隊のようでもありません。6

2

大管長が死去すると,先任使徒が次の大管長となる

わたしは〔新しい大管長へと〕権能が継承される過程にこれまで何度も関わってきましたが,その明快さは見事です。その方法は,主が物事をどのように進められるかを示しています。主の手順に従い,ある人が預言者によって,十二使徒評議会の会員となるように選ばれます。その人はこれを職業として選ぶのではありません。イエスの時代の使徒と同じように,召されるのです。主は使徒に,「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして,あなたがたを立てた」と言われました(ヨハネ15:16)。歳月が流れ,その人はその職に伴う務めを果たしながら訓練され,鍛えられます。世界中を旅して,使徒の召しを果たします。それは長い備えの過程です。その間にあらゆる地の末日聖徒と知り合い,聖徒たちもその人のことを知るようになります。主はその人の心と本質を試されます。自然の成り行きとして,その評議会に空席が生じます。そして,新たな指名が行われます。この過程で,特定の人が先任使徒になります。彼と同僚の兄弟たちには,それぞれ聖任のときに授けられた神権の全ての鍵が内在しています。しかし,それらの鍵を行使する権限は大管長に限られているのです。〔預言者が〕死去すると,先任使徒がこの権限を行使できるようになります。それから十二使徒評議会の会員たちによって,預言者および大管長として指名され,任命され,聖任されるのです。

選挙運動はありませんし,宣伝活動もありません。ただ神の計画が静かに,明快な方法で進められて,霊感を受け,試しを乗り越えてきた指導者が与えられます。

わたしはこのすばらしい過程を自分の目で見てきた証人です。〔預言者を選ばれる〕のが主であることをします。7

〔ハワード・W・〕ハンター大管長の死去に伴い,大管長会は解散しました。顧問を務めてきたモンソン兄弟とわたしは,教会の管理機関となった十二使徒定員会の会員という立場になりました。

……生存する聖任された使徒が全員,断食と祈りの精神をもって,神殿の階上の部屋に集まりました。わたしたちはそこでともに神聖な賛美歌を歌い,祈りをささげました。そして,主のの聖餐を受け,その神聖かつ象徴的なしるしによって,聖なるい主である御方との聖約と関係を新たにしました。

その後,過去何代にもわたって確立されてきた慣行に従い,大管長会が再組織されました。

そこには役職を巡る選挙運動も論争も野心もありませんでした。静かで,平穏で,明快で,神聖なものでした。主御自身が定められた規範に従って行われました。8

3

主は大管長が職務を十分に果たせない場合に御自分の教会を管理するための原則と手続きを定めておられる

ヒンクレー大管長は1992年,大管長会の第一顧問を務めていたときに次のように述べている。この教会のは主イエス・キリストです。これは主の教会なのです。しかし,地上での指導者はわたしたちの預言者です。預言者は神聖な召しを授けられた人です。その召しは神から来るものですが,預言者は人間であって,死すべき状態に伴うさまざまな問題を免れません。

わたしたちは現在の預言者,エズラ・タフト・ベンソン大管長を愛し,敬い,尊び,頼りとしています。大管長は偉大かつ有能な指導者であり,この業についてするその声は世界中に響き渡ってきました。ベンソン大管長は今日この地上で全ての神権の鍵を持っています。しかし,高齢となり,以前のようには多くのことができなくなっています。それによって預言者としての召しの重要性が損なわれるわけではありません。ただ,肉体的な活動が制限されるということです。9

ヒンクレー大管長は1994年,大管長会の第一顧問を務めていたときに次のように述べている。教会全体の人々が当然ながら大管長の様子を知りたがっています。ベンソン大管長は今,94歳です。……高齢と病気のために大変弱っていて,その神聖な職に関わる重要な責任を果たすことができていません。このような状況は,前例のないことではありません。この世の生涯を終える前の数か月,あるいは数年間,病気になったり職務を十分に果たせなかったりした大管長は他にもいます。今後も起こり得ることです。

主が御自分の教会を管理するために定められた原則と手続きには,そのような状況に対して規定が設けられています。大管長が病気であったり職務を十分に果たせなかったりするとき,教会の諸事やプログラムをつかさどる際に霊感や啓示を受ける権利を含め,教会の管理と預言者としてのの行使に関して,疑いや懸念が存在しないようにすることは重要です。

大管長会と十二使徒評議会は,神権の鍵を持つ者として召され聖任されていて,教会を治め,儀式を執行し,教義を説き明かし,慣行を確立し維持する権能と責任を受けています。使徒に聖任され,十二使徒評議会の会員として支持される人は皆,預言者,聖見者,啓示者として支持されます。前任者たちと同じように,ベンソン大管長は大管長として召されたとき,先任使徒でした。顧問は十二使徒評議会から選ばれました。ですから,大管長会の定員会と十二使徒評議会の全ての現職会員は,聖なる使徒職に関わる鍵と権利と権能を授かっています。

教義と聖約の言葉を引用します。

「メルキゼデク神権を持つ者の中から,この団体によって選ばれ,その職に指名され,聖任され,また教会員の信頼と信仰と祈りによって支持された三人の管理大祭司が,教会の大管長会の定員会を構成する。」(教義と聖約107:22

大管長が病気のときや,その職に関わる全ての責任を十分に果たせない場合,二人の顧問が大管長会の定員会を構成し,大管長会の日々の業務を遂行します。例外的な状況において,一人しか職務を果たせない場合には,教義と聖約第102章10節から11節に定められているとおり,その人が大管長会の職の権能を行使することがあります。……

……大管長会の顧問は……この職に関わる通常の業務を遂行します。しかし,方針,手続き,プログラム,または教義に関する主要な問題については,大管長会と十二使徒会が一緒に,慎重に祈りをもって検討します。これら二つの定員会,すなわち大管長会の定員会と十二使徒定員会は一緒に集会を持ち,全員が自由に意見を述べて,主要な問題を一つ一つ検討します。

ここで再び主の言葉を引用します。「これらいずれの定員会が下す決議も皆,その定員会の全会一致の声によってなされなければならない。すなわち,彼らの決議を互いに同等の力すなわち効力のあるものとするために,各定員会のすべての会員がその決議に同意しなければならない。」(教義と聖約107:27)……

……主の聖なる名を冠するこの教会の頭はイエス・キリストであられることを,全ての人に理解してほしいと思います。主はこの教会を見守り,導いておられます。天の御父の右に立ち,この業を指揮しておられます。主は御自身の方法によって人々を気高く神聖な職に召し,また天の家に呼び戻すことによってのままに彼らを解任する,特権と力と選択権を持っておられます。主は命と死の主であられます。現在わたしたちが置かれている状況について,わたしは心配していません。わたしはこの状況を主の御心の表れとして受け入れています。また,幹部の兄弟たちとともに,奉献の精神と愛,謙遜,義務感,忠誠心をもって,この聖なる業を前進させるために行えることを全て行うという責任を引き受けています。10

4

使徒は全世界におけるキリストの名の特別な証人である

聖なる使徒職に聖任され,十二使徒評議会の会員として任命された後,〔使徒たちは〕何よりもまず奉仕の業に自らをささげるよう期待されます。全世界におけるキリストの名の特別な証人として立つ責任を,他のあらゆる考慮すべき事柄以上に,生活で第一とします。……

わたしたち全員と同じように,彼らも人間です。長所もあれば弱点もあります。しかしこれから残りの生涯の間,忠実である限り,彼らの最大の関心事は地上における神の業を推し進めることとなるに違いありません。教会の内外を問わず,御父の子供たちの福利を気遣うに違いありません。悲しむ人を慰め,弱い人を力づけ,ひるむ人を励まし,友のいない人の友になり,生活に困っている人を養い,病人を祝福するために,そして神の御子であり,友であり主であって,自分たちがとして仕える御方について,信じていることとしてではなく確かに知っていることとしてを述べるために,行えることを全て行うに違いありません。……

……わたしは彼らの兄弟愛と,献身と,信仰と,勤勉さと,神の王国を推し進めるための驚くばかりの奉仕について証します。11

〔十二使徒定員会の画像〕

十二使徒定員会,1965年。腰掛けている使徒(左から右へ):エズラ・タフト・ベンソン,マーク・E・ピーターセン(椅子の肘掛けに腰掛けている),ジョセフ・フィールディング・スミス(定員会会長),リグランド・リチャーズ。立っている使徒(左から右へ):ゴードン・B・ヒンクレー,デルバート・L・ステイプレー,トーマス・S・モンソン,スペンサー・W・キンボール,ハロルド・B・リー,マリオン・G・ロムニー,リチャード・L・エバンズ,ハワード・W・ハンター

5

大管長会と十二使徒会は決定を下す前に啓示と完全な一致を求める

大管長会と十二使徒会の審議によるいかなる決定も,全会一致の同意なくしては下されません。検討を始める段階では,意見の相違が見られることもあります。それは予想されることです。この人々は異なる背景を持ち,自分の考えを持っています。しかし,最終決定が下される前に,全員が心から一致し,同じ意見に到達します。

主の啓示された言葉に従うならば,このとおりになります〔教義と聖約107:27,30-31参照〕。……

……わたしは十二使徒評議会の一員として奉仕し……,また大管長会で奉仕してきましたが,これを守らずに主要な決議がなされたことは一度もありません。……それぞれが思いを述べるというまさにこの過程を通して,考えや意見が精査され,選別されます。しかし,わたしは教会幹部の中に深刻な不一致や個人的な敵意を見たことは一度もありません。むしろ,導きを与える聖なるの影響力の下で,また啓示の力の下で,異なる意見が一つとなり,ついには完全に調和し全員が同意するという,美しくすばらしい光景を見てきました。……

このように述べることのできる管理機関を,わたしは他に知りません。12

6

ステーク会長は霊感によって召され,ビショップの助言者および人々の指導者として奉仕する

ステーク会長は,ワードのビショップと教会の中央幹部の間に立つよう啓示によって召される役員です。非常に大切な責任です。ステーク会長は中央幹部から訓練を受け,次にビショップを訓練します。……

ステーク会長は,ビショップの助言者を務めます。全てのビショップは,難しい問題に対処するときに,重荷をともに負い,助言してくれる人がいつもいることを知っています。

ステーク会長は,主の宮に参入する人のふさわしさを判断する際に,第2の安全装置となります。……同様に,ステーク会長は,教会の代表者として伝道地に赴任する人のふさわしさを判断する際にも,第2の「ふるい」になります。会長も候補者と面接して,ふさわしいと確信したときにだけ推薦状に署名します。また,伝道に召された人を任命し,奉仕を終えたときに解任する権能を授かっています。

最も重要なことですが,ステーク会長はステークの宗紀に関する役員の長です。……ステーク会長は,ステーク内で教えられる教義が純粋で汚れなく保たれるよう見守るという非常に重い責任を負っています。偽りの教義や間違った行いが入り込まないように見守るのは,ステーク会長の義務です。メルキゼデク神権者や他の人に教義にそぐわない言動があった場合,一部の状況においては,ステーク会長はその人に勧告を与え,それでもその行いが続くなら,処置を取らなければなりません。その人を宗紀評議会に召喚します。宗紀評議会では,保護観察期間を課す,正会員資格をする,あるいは教会から破門することがあります。

これは何より厄介で喜ばしくない仕事ですが,ステーク会長は敢然と公平に対処しなければなりません。この全てをの導きに従い,教義と聖約第102章に定められているとおりに行います。

その後,宗紀上の処置を受けた人に働き掛け,ふさわしいときに連れ戻すために,行えることを全て行わなければなりません。

ステーク会長にはこの全てと,他にも多くの責任があります。ですから,ステーク会長は人々の前で模範的な生活をしなければなりません。……

……わたしたちはステーク会長をこのように信頼していますので,地元の会員の皆さんは中央幹部に助言や祝福を求めないようにしてください。ステーク会長は,中央幹部が召されたときと同じ霊感の下で召されているのです。13

7

ビショップは群れの羊飼いである

この〔教会〕は確かに大きくなり,会員数も増えていくことでしょう。この福音はあらゆる国民,部族,国語の民,民族に伝えられるに違いありません。近い将来に,決して停滞や挫折なく,世界中で発展し,前進し,シオンが築かれ広められるのです。しかし,このような状況にあっても,全ての会員と賢明で思いやりに満ちたビショップや支部会長との間には,引き続き羊と羊飼いのような親しい関係がなければなりません。ビショップや支部会長は群れの羊飼いであり,比較的少数の人々の世話をすることで,誰も忘れられたり,見落とされたり,ないがしろにされたりすることのないようにする責任があります。イエスは苦しむ人に一人ずつ手を差し伸べ,個人的な祝福を授けた,まことの羊飼いであられました。14

教会のビショップは……真の意味でイスラエルの羊飼いです。〔教会の〕全ての会員は,ビショップまたは支部会長に対して報告する責任があります。ビショップと支部会長の担う重荷は途方もなく大きいものです。全ての教会員の皆さんにお勧めします。ビショップや支部会長の重荷を軽減するために行えることを全て行ってください。

ビショップや支部会長のために祈らなければなりません。彼らの担う荷は重く,助けが必要だからです。わたしたちはもっと協力的になり,あまり依存しないようすることができます。可能な限りあらゆる方法で手助けし,わたしたちのために行ってくれる全てのことに感謝することができます。わたしたちが課す重荷によって,ビショップや支部会長はそのうちに疲れ切ってしまうでしょう。

……全ての〔ビショップ〕は預言と啓示の霊によって召され,により任命され,聖任され,ワードの長の職の鍵を持っています。どのビショップも大祭司であり,ワードの管理大祭司であって,管理人の職に伴う非常に大きな責任を負っており,会員にとって父親のような存在です。

誰もその奉仕に対して金銭を受けません。ビショップとしての働きに対して教会から報酬を受けるワードのビショップは一人もいません。

今日のビショップの条件は,パウロの時代と同じです。パウロはテモテに次のように書いています〔1テモテ3:2-6参照〕。……

さらにパウロは,テトスへの手紙の中で次のように述べています。「監督〔ビショップ〕たる者は,神に仕える者として,責められる点がなく,……

にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは,彼が健全な教によって人をさとし,また,反対者の誤りを指摘することができるためである。」(テトス1:7,9

これらの言葉は,今日の末日聖徒イエス・キリスト教会のビショップを的確に言い表しています。15

教会員の皆さんに強くお勧めします。皆さんがどこにいようと,問題に直面したときには,まず自分で解決するように努めてください。問題について考え,可能な選択肢を検討し,それらについて祈り,主の指示を仰いでください。もし自分で解決できなければ,そのときはビショップまたは支部会長に相談してください。ビショップや支部会長は神の人であり,群れの羊飼いとして聖なる神権の権能の下で召されています。16

研究とレッスンのための提案

質問

  • わたしたちに生ける預言者が必要なのはなぜでしょうか。大管長を備え,召すために主が用いられる「精錬の過程」について,印象に残ったことは何ですか(第1項参照)。

  • 新しい大管長が選ばれる方法に関するヒンクレー大管長の説明を読んで,どのように感じますか(第2項参照)。「霊感を受け,試しを乗り越えてきた指導者」を与える「神の計画」に従って大管長が選ばれるということを知っておくことが大切なのはなぜでしょうか。

  • 大管長が全ての義務を十分に果たせない場合に,教会の管理に対して,主はどのような原則と手続きを設けておられるでしょうか(第3項参照)。

  • 末日の使徒は「教会の内外を問わず」御父の全ての子供たちに対する気遣いをどのように示しているでしょうか(第4項参照)。最近の大会の説教では,この気遣いがどのように示されているでしょうか。あなたは生ける預言者と使徒の教えからどのような恩恵を受けてきたでしょうか。

  • 大管長会と十二使徒定員会が決定を下す方法について,ヒンクレー大管長の教えを研究してください(第5項参照)。彼らが決定を下す方法から,どのようなことが学べるでしょうか。これらの原則を,家庭や教会でどのように応用できるでしょうか。

  • 第6項と第7項を読んで,ステーク会長とビショップの召しについてどのようなことが学べるでしょうか。どうすれば教会の指導者をもっとよく支持できるでしょうか。

関連聖句

エペソ2:19-20;4:11-14教義と聖約1:3821:1-6アブラハム3:22-23信仰箇条1:5-6

教える際のヒント

「レッスンの最後だけでなく,に促されたときはいつでもをする。また,生徒にも証を述べる機会を与える。」(『教師,その大いなる召し』45)

  1. 「助言者が多ければ安全である」『聖徒の道』1991年1月号,55参照

  2. Conference Report, 1961年10月,115-116。「主イエスの愛に」『賛美歌』109番を引用

  3. 「人のためのみ業」『聖徒の道』1995年7月号,58参照

  4. 「互いを強める」『聖徒の道』1985年6月号,4参照

  5. 「主はまどろみも眠ることもされない」『聖徒の道』1983年7月号,10-11参照

  6. 「主の預言者を信じなさい」『聖徒の道』1992年7月号,60参照

  7. 「幸福への招き」『聖徒の道』1986年7月号,49参照

  8. 「主のみ業」『聖徒の道』1995年7月号,74参照

  9. 「教会は正しい方向に進んでいます」『聖徒の道』1993年1月号,62参照

  10. 「神がかじを取っておられます」『聖徒の道』1994年7月号,59-61参照

  11. 「キリストの特別なし人」『聖徒の道』1984年7月号,91-92,94参照

  12. 「神がかじを取っておられます」60参照

  13. 「ステーク会長」『リアホナ』2000年7月号,61-62参照

  14. 「人のためのみ業」60参照

  15. 「イスラエルの羊飼い」『リアホナ』2003年11月号,60参照

  16. 「福音に従って生きるように」『聖徒の道』1985年1月号,84-85参照