歴代大管長の教え
第4章:開拓者が残した信仰と犠牲という受け継ぎ


第4章

開拓者が残した信仰と犠牲という受け継ぎ

「先祖が開拓者であっても,教会に入ったのがつい昨日であっても,皆さんは開拓者が夢見た,教会の壮大な未来を成す一員です。……彼らは土台を据えました。わたしたちの責任は,その土台の上に築くことです。」

ゴードン・B・ヒンクレーの生涯から

ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,オハイオ州コロンバス神殿の奉献式で,開拓者だった先祖について思い巡らしていた。大管長は後にこう回想している。

「日の栄えの部屋で椅子に座りながら,曽祖父について考えました。……先日,ニューヨーク州との境のすぐ北の,カナダにある曽祖父の墓を訪れたばかりでした。……曽祖父は38歳の若さで亡くなりました。」

ヒンクレー大管長の曽祖父が亡くなったとき,曽祖父の息子アイラは3歳にもなっていなかった。アイラはヒンクレー大管長の祖父となった人である。アイラの母親は間もなく再婚し,その後の数年間でオハイオ州,そしてイリノイ州へと移り住んだ。彼女は1842年に亡くなり,アイラは13歳で孤児となった。ヒンクレー大管長は続けて次のように話している。

「祖父〔アイラ・ヒンクレー〕はノーブーでバプテスマを受け……さらに〔開拓者〕とともに平原を渡りました。」1850年の旅の途中,アイラの「若い妻と〔異父兄弟〕が同じ日に亡くなりました。アイラは粗末なひつぎを作って二人を埋葬し,生まれて間もない娘を抱いて〔ソルトレーク〕盆地まで歩きました。

彼はブリガム・ヤングの依頼を受けてコーブフォートを建設し,〔ユタ州〕フィルモアで最初のステーク会長となり,を推し進めるために数え切れないたくさんのことを行いました。

そして,父が生まれました。……父は1万5千人以上の会員がいる,教会で一番大きいステークの会長になりました。」

間もなく,ヒンクレー大管長の思いは先祖から子孫へと向かった。大管長は,続けてこう語っている。

「神殿の中で,座ってこの3人の男性の生涯について思い巡らしながら,わたしの娘と,その娘である孫,そしてさらにその子供であるひ孫たちに思いをはせました。このとき,自分がこの7世代のちょうど真ん中にいることにふと気がつきました。わたしの前に3世代,そして後に3世代いるのです。

あの聖なる,神聖な宮の中で,わたしにとてつもなく大きな責任があることを実感しました。先代の人たちから受け継いできた全てを,今度はわたしの後に生まれてきた世代に伝える責任があるのです。」1

ヒンクレー大管長は,開拓者であった自分の先祖や初期の末日聖徒が残した受け継ぎに感謝を表すと同時に,世界各地の教会員は現代の開拓者であるとしばしば強調した。1997年に,グアテマラの聖徒にこう述べている。「今年,モルモンの開拓者がソルトレーク盆地に到着してから150年を祝います。開拓者は馬車や手車で遠い道のりをやって来ました。彼らは道を開拓しました。しかし,今日も開拓の業は続いています。世界中に開拓者がいます。皆さんもその一人です。」2タイの聖徒にはこう述べた。「皆さんは,この偉大な国で主の業を推し進める開拓者です。」32002年にウクライナを訪れたときも同じようなことを語った。「教会の初期の時代に開拓者がいました。そして,皆さんも今日の開拓者です。」4

初期の開拓者について語るとき,ヒンクレー大管長には,過去に生きていた人々に焦点を当てることよりも,はるかに大きな目的があった。大管長は未来に目を向け,初期の聖徒の信仰と犠牲について次のことを願っていた。「わたしたちは皆,そのとてつもない模範を原動力にすることができます。なぜならわたしたち自身も皆,人生において,そして家族において開拓者だからです。」5

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ノーブーを出立する開拓者

「福音に従った先人を駆り立てた力は,まさしく神を信じる信仰の力でした。」

ゴードン・B・ヒンクレーの教え

1

初期の末日聖徒の開拓者は未来への展望を持ちながら努力し,彼らを通して現れる神の力に頼ることでついにその信仰を実現させた

信仰があったからこそ,初期に改宗した〔合衆国東部の〕少数の人々は良心の命じるとおりに神を礼拝する平和と自由を求めて,ニューヨークからオハイオへ,オハイオからミズーリへ,そしてミズーリからイリノイへ移動しました。

信仰の目があったからこそ,イリノイ州コマースの湿地帯を初めて歩いて渡ったとき,美しい町〔ノーブー〕が見えました。行いを伴わない信仰はむなしいことを確信していたからこそ,湿地の排水をして町を設計し,頑丈な家や礼拝堂,学校を建設し,さらに当時のイリノイで最も立派な建物となった壮麗な神殿を建てました。

……〔間もなく〕迫害が起きました。血に飢えた卑劣な暴徒によって預言者は殺され,彼らの夢は打ち砕かれました。しかし,このときもまた信仰があったからこそ,以前主が命じられたのと同じ方法で一致協力して,脱出の旅に再び備えたのです。

聖徒たちは涙をこらえ,心の痛みに耐えながら,居心地のよい家や仕事場を後にしました。聖なる神殿を振り返り,それから信仰をもって,地図もない未開の西部に目を向けました。1846年2月,真冬の雪の中,ミシシッピ川を渡り,泥まみれになりながらアイオワの平原を越えていきました。

信仰をもってミズーリ〔川〕にウィンタークォーターズを築きましたが,疫病や赤痢,ジフテリアに見舞われたことで数百人の命が奪われました。しかし,生き残った人々は信仰によって支えられました。愛する家族を川辺の丘に埋葬し,1847年の春になると……西部の山々に向かって出発しました。

ブリガム・ヤングは信仰により,熱く乾き切っていたこの盆地を見渡して,「まさにこの地である」と宣言しました。そして4日後に,再び信仰により,……地面をステッキで突いて,「ここに神の宮が建つであろう」と述べたのです。このタバナクルの東にそびえる壮麗で神聖な〔ソルトレーク神殿〕は,それを建てた人々の信仰だけでなく,現在そこで愛をもって献身的に奉仕する人々の信仰をも表すなのです。

パウロはヘブル人への手紙の中で次のように記しています。「さて,信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認することである。」(ヘブル11:1)わたしが話した偉大な業績も,かつては「望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認すること」にすぎませんでした。しかし,初期の末日聖徒の開拓者は未来に目を向けて努力し,彼らを通して現れる神の力に頼ることによって,ついにその信仰を実現できたのです。6

福音に従った先人を駆り立てた力は,まさしく神を信じる信仰の力でした。まさにこの同じ力によって,人々はエジプトを脱出し,紅海を渡り,荒れ野を長い間旅し,約束の地にイスラエルを建設することができたのです。……

わたしたちにも,生ける神とその生ける復活された御子に対する力強い証がとても必要です。福音を受けた先人はそのような大いなる原動力となる信仰を持っていました。

彼らには,他のどんな事柄をも超越した,はるかに価値ある未来が見えていました。開拓者が西部に着いたとき,東側で最も近い入植地から約1,600キロ,西側で最も近い入植地から約1,300キロ離れていました。彼らの強さの核心は,永遠の父なる神がおられることを個人個人が知っているということでした。彼らは信仰を持って神を仰ぎ見ることができました。そして,聖典に書かれた,かの偉大な指示を心から信じていたのです。「神に頼って生きるようにしなさい。」(アルマ37:47)彼らは信仰をもって,主のを行おうとし,信仰をもって天からの教えを理解し,受け入れました。信仰があるからこそ,力尽きるまで働き続け,御父であり神である御方に報告する義務が自分たちにあると確信していました。7

わたしたちは輝かしい歴史を受け継いでいます。勇気をもって行動し,原則を固く守り,忠誠を尽くした多くの人々の歴史です。また,信仰によって築かれた歴史です。わたしたちには輝かしい未来が待っています。その未来に向かって,今日踏み出すのです。休んでいる暇はありません。スピードを緩めてはなりません。歩みを遅くしたり,歩幅を狭めたりしてはならないのです。8

2

初期の末日聖徒の開拓者はシオンという壮大な夢をもって未来を見詰めた

わたしたちはこの偉大な業の土台を据えた人々に深い敬意を表すべきです。……彼らの最大の目標はシオンでした〔教義と聖約97:21モーセ7:18参照〕。開拓者はシオンについて歌い,夢見ました。シオンは彼らの大きな望みでした。彼らの勇壮な旅は比類のない偉業としていつまでも伝え続けなければなりません。何万もの人々による西部への大移動は,命を落とすことも含め,ありとあらゆる危険をはらんでいて,どの馬車隊も手車隊も,危険を免れることはできませんでした。

わたしはブリガム・ヤングを心から尊敬します。彼は現地を肉眼で見るずっと前に,示現を通してソルトレーク盆地を見ました。そうでなければ,そこにとどまらなかったと思います。カリフォルニアやオレゴンにはもっと緑豊かな土地がありますし,土壌が深くて肥沃な場所は他にもありました。木材や水がたくさんある所は他にありますし,より安定して過ごしやすい気候の場所もありました。

ユタには山から流れる小川は確かにありましたが,大きな河川はありませんでした。土壌は耕やされたことがまったくなく,暑さで乾ききった地表にくわを入れた人はいませんでした。ヤング大管長がそれほど大勢の人を……一度もくわが打ち下ろされたことのない,収穫がなされたことのない土地へ率いて来たことに,ただ驚嘆します。……

この開拓者は旅で疲れきっていました。ウィンタークォーターズからソルトレーク盆地まで到達するのに111日かかりました。彼らは疲労で弱っていて,衣類は擦り切れ,家畜は酷使されていました。天候は暑くて乾いていました。7月の暑さです。それでも彼らは何年も先に目を向け,福千年の夢,すなわちシオンという壮大な夢を思い描いていました。9

先日わたしはイングランド,リバプールの古い桟橋の上に立ってみました。わたしたちが訪れた金曜の朝,そこは特にこれといった動きもない静かなたたずまいを見せていました。しかしそこはかつて,人々の活気でむせ返っていた所です。1800年代,何万人という教会員が,わたしたちの歩いた同じ敷石の上を歩いたのです。彼らはこの教会に改宗し,イギリスの島々やヨーロッパの国々からやって来たのです。その唇にを,心に信仰を携えてやって来ました。家を捨てて,未知の新世界へ足を踏み入れるのは大変なことだったのではないでしょうか。無論言うまでもないことです。しかし彼らは熱意と喜びをもってそうしたのです。彼らは船に乗り込みましたが,当時の船は帆船です。どんなに順調な航海であっても,さまざまな危険が伴うことを彼らは知っていました。航海はつらいことの連続でした。船尾の窮屈な部屋で何週間も過ごさなければなりませんでした。病と嵐,また船酔いにも耐えなければなりませんでした。途中で多くの人が死に,海に葬られました。つらく,恐怖に満ちた旅でした。心に疑いが生じたこともあったでしょう。しかし彼らの信仰は疑いに打ち勝ち,将来への希望は恐れを克服していきました。彼らにはシオンという夢がありました。そして,その成就に向けて進んだのです。10

3

ウィリー手車隊とマーティン手車隊の救助は,イエス・キリストの福音の真髄を表している

1856年10月……を振り返ってみましょう。〔10月4日〕土曜日にフランクリン・D・リチャーズと何人かの同僚が,〔ソルトレーク〕盆地に到着しました。ウィンタークォーターズから旅して来たのでした。元気な雄牛と軽い荷車の編成だったために,旅は速やかに進みました。リチャーズ兄弟は,直ちにヤング大管長を訪ね,子供を含む何百人かの男女が,……〔ソルトレーク〕盆地に通じる長い道のりにわたってあちこちに散らばっているということを報告しました。ほとんどの人は手車を引いていました。……行く手には,ロッキー山脈に至る,ずっと上り坂の続く,長く険しい道が控えていました。彼らは非常に危険な状態にありました。……助けがない限り,皆死んでしまうことでしょう。

ヤング大管長は,おそらくその晩,眠れなかっただろうと思います。困難に苦しむ……人々の姿が,心に次々と浮かんだことでしょう。

翌朝,彼は……聴衆を前にこう言いました。

「わたしは,これから話をする長老たちに代わって,教会員に申し上げたいことがあります。……大勢の兄弟姉妹が,平原を手車でこちらに向かっています。ほとんどの人は,ここから1,100キロぐらい離れた所にいます。彼らをここへ連れて来なければなりません。彼らに援助を送る必要があります。……わたしが申し上げたいのは,彼らをここに連れて来てほしいということです。

これは,わたしの信じていることであり,わたしが受けた聖霊の指示です。その人々を救いましょう。

わたしは今日,ビショップの皆さんに要請します。60頭の元気ならばの隊と12台から15台の荷車が必要です。明日まで待つことも,その翌日まで待つこともできません。牛を送ろうとは思いません。必要なのは元気な馬とらばです。ここには馬もらばもいます。ぜひそれを集めなければなりません。また12トンの小麦粉と,実際に馬やらばをる人の他に,良い御者を40人そろえる必要があります。

皆さんに申し上げます。わたしが今話しているような原則を実行に移さない限り,皆さんの中で,その信仰,宗教,信仰告白によって神の日の栄えの王国に救われる人は誰もいないでしょう。さあ,行って,今平原にいる人々を連れて来てください。」(リロイ・R・ヘーフェン,アン・W・ヘーフェン共著,Handcarts to Zion〔1960年〕,120-121)

その日の午後,女性たちの働きによって多くの食糧,寝具,衣類が集まりました。

翌朝,馬のていてつが打ち変えられ,荷車の修理や荷積みが行われました。

翌日の火曜日の朝,16台の荷車が東に向けて出立しました。10月の末までには同じ道を250台の荷車が救助に向かいました。11

窮地に立つ聖徒たちのもとに到着したとき,救助隊は天からの使者のようでした。人々は感謝の涙を流しました。手車隊の人々は急いでソルトレークの入植地に行けるよう,荷車に移されました。

200人以上が亡くなりましたが,1,000人が助かりました。12

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手車隊の救助

「窮地に立つ聖徒たちのもとに到着したとき,救助隊は天からの使者のようでした。」

こうした聖徒の辛苦や死の話は度々繰り返されることでしょう。……彼らの救助についての話も,何度も繰り返される必要があります。イエス・キリストの福音の真髄を表しているのです。

……山中のこのシオンに向かう途中で,雪に見舞われ,凍えたり死んでいったりする兄弟姉妹が,今はいないことに,感謝しています。しかし,絶望的な環境にあって,助けを求めている人は大勢います。

飢えや貧困に苦しむ人,助けを必要としている人は,世界中に大勢います。わたしたちは,この教会の会員ではなくても本当に援助が必要な人々,わたしたちの力で援助できる人々に,助けの手を差し伸べていますが,それができることに,感謝しています。しかし,あまり間口を広げすぎる必要はありません。苦しみや,悩み,孤独,恐れのために,助けを求めている人が,身近にいるからです。そのような人々に援助の手を差し伸べて,彼らを引き上げること,飢えている者を食べさせ,真理と正義を切望している人の霊を育むことは,わたしたちの神聖かつ重大な責任です。

目的なくさまよい,麻薬や非行,不道徳な行為,そしてそれらにまつわるあらゆる罪悪に巻き込まれ,悲しみの道を歩いている若人が非常に多くいます。夫に先立たれ,親切な声や,愛に満ちた心からの気遣いを待ち望んでいる人々もいます。かつては信仰を持って熱心だったにもかかわらず,だんだんそれが冷めてきている人がいます。教会に戻ることを望みながら,どうしたらよいのかまったく分からずにいる人も大勢います。彼らは優しく差し伸べられる手を必要としています。少しの努力があれば,その多くの人が,また戻って来て,主の食卓で再び恵みにあずかれるようになります。

兄弟姉妹の皆さん,わたしには今,望み,祈っていることがあります。……皆さん一人一人に,困っている人,苦しみを抱えて困難な境遇にある人を見つけ,愛の心をもって教会に導く決心をしていただきたいのです。そしてその人たちが,教会員の力強い手と優しい心によって温かく迎えられ,慰められ,支えられ,幸福で実り多い道を歩めるようにしてほしいのです。13

4

わたしたち一人一人は開拓者である

現在を評価し未来への見通しを立てるために過去に目を向けることは良いことです。未来に待ち受けているものが何であれ,それに立ち向かう力を得るために先人の高潔さに目を向けることは良いことです。熱心に働きながらも,この世ではほとんど何も得ることのなかった人々がいます。しかし,彼らの夢と初期の計画は進展し,現在わたしたちはその恩恵にあずかっています。彼らの行った事柄を思い巡らすのは良いことです。わたしたちは皆,そのとてつもない模範を原動力にすることができます。なぜならわたしたち自身も皆,人生において,そしてしばしば自分の家族においても開拓者だからです。また,多くの人は世界各地で福音の礎を据えようと日々努めています。14

わたしたちはまだ開拓者の業を続けています。民がノーブーを後にして,……やがてグレート・ソルトレーク盆地へと下って行ったあのときから,開拓者としての業をやめたことはありません。一連の旅には危険もありました。しかし,その目的は,定住して,良心の命じるとおりに神を礼拝するための場所を見つけ出すことでした。……

現在,わたしたちは世界中で成長を続け,……〔かつては〕とても入国できな〔い〕と思われたような国々でも業を進めています。……わたしは教会がフィリピンで発展していく様子を見てきました。わたしは1961年にフィリピンにおける伝道活動を開始する特権を受けました。1961年5月に開いた集会に出席していたフィリピン人の教会員は1人でした。〔1996年に〕マニラに来たときは……3万5千人を超える人々があの巨大なアラネタ・コロシアムに集まりました。……偉大なフィリピンの地で業を開始した当時〔から考えると,〕奇跡としか思えません〔この経験について詳しくは29-30ページ参照〕。

教会は至る所に福音をべ伝えようとしています。そのために開拓者の業を続けなければなりません。一部の地域では,宣教師は最良の環境で生活しているわけではありませんが,業を行うために出て行き,その働きが実を結びます。すると,見る見るうちに会員の数は数人から100人,500人,1,000人と増えていきます。15

教会における開拓者の業はまだやんでいません。馬車や手車の時代とともに終わっていないのです。……開拓者は,福音を教える宣教師の中に,また教会に入ってくる改宗者の中にいます。たいていの場合,開拓者であることは難しいことで,必ず犠牲が伴いますし,時には迫害も伴います。しかし,これらの代価は喜んで支払われ,その価値は,1世紀以上前に壮大な開拓者の業の中で平原を渡った人々の犠牲の価値と同じように貴いのです。16

先祖が開拓者であっても,教会に入ったのがつい昨日であっても,皆さんは開拓者が夢見た,教会の壮大な未来を成す一員です。開拓者が行ったのはとてつもない業でした。わたしたちにはそれを継続していく大きな責任があります。……彼らは土台を据えました。わたしたちの責任は,その土台の上に築くことです。

開拓者は道を作り,先導してくれました。わたしたちの義務は,その道が世界全体を包み込むまで,それを大きくし,広くし,強めることです。……あの困難な時代,開拓者が指針としたのは信仰でした。今日,わたしたちが指針とするべきものも信仰なのです。17

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アフリカの女性や子供とともに立つヒンクレー大管長

「先祖が開拓者であっても,教会に入ったのがつい昨日であっても,皆さんは教会の壮大な未来を成す一員です。」

5

わたしたちは開拓者の模範に倣い,彼らが据えた土台の上に建てることで,彼らの残した犠牲と受け継ぎに敬意を表す

兄弟姉妹,偉大な受け継ぎがあるのは何とすばらしいことでしょう。わたしたちの前に道を切り開き,行くべき道を備え,わたしたちやさらに後の世代にとって人生の道しるべとなる大いなる永遠の原則を教えてくれた人々がいたと知っていることは,何と喜ばしいことでしょう。今日,わたしたちは彼らの模範に倣わなければなりません。開拓者は大いなる信仰,深い忠誠心,考えられないような勤勉さ,そして絶対に屈しない,揺るぎない高潔さを持つ人々でした。18

今日,わたしたちは〔開拓者の〕多大な貢献の恩恵を受けています。わたしたちがそのことに感謝しますように。開拓者が行った全てのことに深い感謝の念を持ち続けますように。

……開拓者は大いなることを成し遂げるように期待されていました。わたしたちも同じです。開拓者が主から受けたものを使ってどんなことを成し遂げたか,わたしたちは知っています。わたしたちはさらに多くのものを受けており,出て行って神の王国を築くという非常に大きなチャレンジを受けています。やるべきことはたくさんあります。わたしたちはあらゆる国民,部族,国語の民,民族に福音を携えて行くという神聖な命令を受けています。人々を教え,主イエス・キリストの名によってバプテスマを施すという命を受けています。復活された救い主はこのように言われました。「全世界に出て行って,すべての造られたものに福音をべ伝えよ。」〔マルコ16:15〕……

わたしたちの先祖は,堅固なすばらしい土台を据えてくれました。現代のわたしたちには,キリストを隅のかしら石として,全てを備えた教会という建物を築くすばらしい機会があります。19

皆さんは〔開拓者の〕全ての計画と骨折りが結んだ実です。……開拓者は何とすばらしい人々だったでしょうか。これまでの歴史を通じて,彼らの偉大な功績に並ぶものは他にありません。……神の祝福により,彼らに関する記憶をわたしたちの益とすることができますように。人生がつらいとき,全てを失ったと落胆するとき,わたしたちは開拓者を思い出し,彼らがいかに大変だったか知ることができます。未来を不安に思うとき,開拓者とその偉大な信仰の模範を見ることができます。……

これほど大いなる受け継ぎを得ているわたしたちは,前進しなければなりません。決して力を緩めてはいけません。頭を高く上げて,高潔に歩まなければなりません。「義を行い,結果を神にゆだね」なければならないのです(『賛美歌』〔英文。1985年〕,237番)。20

研究とレッスンのための提案

質問

  • ソルトレーク盆地に集合する開拓者にとって,なぜ信仰が不可欠だったのでしょうか(第1項参照)。彼らはどのような方法で信仰を実践したでしょうか。わたしたちの前にある「壮大な未来」を実現するため,わたしたちはどのような方法で信仰を実践できるでしょうか。

  • ヒンクレー大管長は,初期の開拓者はシオンを「最大の目的」「大きな望み」「夢」として未来を見ていたと教えています(第2項)。このことが初期の開拓者にとってこれほど力強い原動力となったのはなぜだと思いますか。今日,どのような類似の望みがわたしたちの原動力となっていますか。

  • ヒンクレー大管長が語ったウィリー手車隊とマーティン手車隊の救助の話について考えてください。あなたはどんなところに感銘を受けましたか(第3項参照)。救助するようにというブリガム・ヤングの指示は,どのような点で彼が預言者として霊感を受けたことを示していますか。大管長の指示に従った人々から何を学べるでしょうか。今日,助けの必要な人々を救助し,引き上げるために何ができるでしょうか。

  • 過去に目を向けることは,どのような点で「現在を評価し未来への見通しを立てる」助けになりますか。(第4項参照)。わたしたち一人一人はどのような点で開拓者でしょうか。

  • なぜ初期の開拓者に敬意を表すことはわたしたちにとって良いことなのでしょうか(第5項参照)。全ての教会員はどのような点でこれらの開拓者の信仰と犠牲によって祝福を受けているでしょうか。初期の開拓者の模範は,わたしたちが困難に直面するときに,どのような助けとなるでしょうか。

関連聖句

マタイ25:40エテル12:6-9教義と聖約64:33-3481:597:8-998:1-3

教える際のヒント

「福音を教える場合,そのほとんどは有意義な話し合いを展開することが基本となっている。……よく管理された話し合いは生徒の関心と集中力を高める。生徒一人一人を学習のプロセスに積極的に参加するよう励ますことができる。……よく考えて答えさせるような質問を投げかけ,また一人一人が福音について真剣に考えるよう助ける。」(『教師,その大いなる召し』63)

  1. “Keep the Chain Unbroken”(ブリガム・ヤング大学ディボーショナル,1999年11月30日)2,speeches.byu.edu

  2. グアテマラシティー北地区,南地区大会で行われた説教,1997年1月26日,2;教会歴史図書館,ソルトレーク・シティー

  3. タイのバンコクで開かれた会員との集会で行われた説教,2000年6月13日,2;教会歴史図書館,ソルトレーク・シティー

  4. Discourses of President Gordon B. Hinckley, Volume 2: 2000–2004(2005年),360-361

  5. “The Faith of the Pioneers,” Ensign, 1984年7月号,3

  6. 「神が授けて下さった信仰」『聖徒の道』1984年1月号,89-90参照

  7. “The Faith of the Pioneers,” 5-6

  8. 「神が授けて下さった信仰」90参照

  9. “These Noble Pioneers”(ブリガム・ヤング大学ディボーショナル,1997年2月2日)1-2, speeches.byu.edu

  10. 「この道を歩み続け,信仰を保つ」『聖徒の道』1996年1月号,77参照

  11. 「援助の手を差し伸べる」『聖徒の道』1997年1月号,98参照

  12. 「山を動かす信仰」『リアホナ』2006年11月号,84

  13. 「援助の手を差し伸べる」98-99参照

  14. “The Faith of the Pioneers,” 3

  15. シェリー・L・デュー,Go Forward with Faith: The Biography of Gordon B. Hinckley(1996年),592で引用

  16. ゲリー・アバント,“Present-Day Pioneers: Many Are Still Blazing Gospel Trails,” Church News, 1993年7月24日付,6で引用

  17. “These Noble Pioneers,” 2, 4

  18. “These Noble Pioneers,” 2

  19. 「信仰に忠実に」『聖徒の道』1997年7月号,77参照

  20. “These Noble Pioneers,” 2, 6

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