2000–2009
立ち上がれ、神に仕える男たちよ
2006年10月


14:46

立ち上がれ,神に仕える男たちよ

この神権には,ふさわしくなければならないという大きな義務が伴います。

兄弟たち,皆さんは,だれもが真っ白いワイシャツを着用し,主の業に赴く備えができた神権者であるように見受けられます。そして,御(み)業(わざ)に赴く時がまさに到来しています。

何とすばらしい光景でしょう。カンファレンスセンターが聴衆で埋め尽くされており,わたしたちの言葉が世界中に届けられています。恐らくこれは,これまでで最大規模の神権者の集会ではないかと思います。皆さんが今晩この場に出席してくださったことをうれしく思います。

最近テレビでブリガム・ヤング大学男性コーラスのコンサートを聴きました。「立ち上がれ,神に仕える男たちよ」という感動的な曲を歌っていました。わたし自身はこれまで歌った記憶はないのですが,1911年にウイリアム・P・メリルが書いた歌で,編曲されてわたしたちの教会の賛美歌にも収められていることを知りました。

この歌詞は,チャールズ・ウェスリーらが作ったイギリスの古い賛美歌の趣旨を

踏まえて書かれたものです。次のような歌詞です。

立ち上がれ,神に仕える男たちよ。

つまらぬことはわきに置け。

心も魂も思いも力もささげて,

王の王に仕えよ。

立ち上がれ,神に仕える男たちよ。

結束し,一つの群れとなれ。

兄弟愛で結ばれて働き,

罪の時代の幕を閉じよ。

立ち上がれ,神に仕える男たちよ。

教会はあなたたちを待っている。

教会は使命を果たす手を必要としている。

立ち上がって,教会を大いなるものとなせ。

立ち上がれ,神に仕える男たちよ。

主が歩まれた道を歩め。

人の子の兄弟として,

立ち上がれ,神に仕える男たちよ。(『賛美歌』〔英文〕324番。3節はThe Oxford American Hymnal,カール・F・ファッタイカー〔1930年〕,256番から引用)

兄弟たち,聖文は,わたしたちの生活にとても容易に当てはめることができます。例えば,ニーファイはイザヤ書から引用して次のように言っています。「おお,あなたはわたしの戒めに聞き従ったらよかったものを。そうすればあなたの平安は川のようで,またあなたの義は海の波のようであったであろう。」(1ニーファイ20:18。イザヤ48:18も参照)

リーハイの言葉は神権を持つすべての男性,少年に対する明快な呼びかけです。リーハイは確信をもってこう語っています。

「目を覚ましなさい,息子たちよ。義の武具を身に着けなさい。あなたがたを縛っている鎖を振り払い,暗闇を抜け出て,地から立ち上がりなさい。」(2ニーファイ1:23)

今夜ここに集った大勢の皆さんの中で,大人でも子供でも,生活を改善する

ことのできない人は,一人としていません。そして,改善する必要があります。なんと言っても,わたしたちは神の神権を持っているのですから。アロン神権を受けている少年であれば,天使の働きを行って人を導き,指導し,祝福し,守ることができます。何と驚くべき,すばらしいことでしょう。メルキゼデク神権を授かっている人であれば,永遠の力が備わった王国の鍵(かぎ)を与えられています。これらの力については,御手(みて)を使徒たちの頭の上に置いたときに主が語っておられます。

この神権には,ふさわしくなければならないという大きな義務が伴います。汚れた思いに身を任せてはなりません。ポルノグラフィーにかかわってはなりません。どんな形であれ,虐待の罪を決して犯してはなりません。そのようなものを捨て去らねばなりません。「立ち上がれ,神に仕える男たちよ。」これらのものを捨て去ってください。そうすれば,神は皆さんを導き,支えてくださるでしょう。

預言者イザヤは言っています。「恐れてはならない,わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない,わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし,あなたを助け,わが勝利の右の手をもって,あなたをささえる。」(イザヤ41:10)

若い男性の中には,だらしのない服装をすることに喜びを感じているような人がいます。これが繊細な注意を払って話すべき事柄であることは承知しています。しかし,これは,神の神権に聖任されている人にふさわしいことではありません。言葉遣いも服装に合わせて変わることがあります。主の御名(みな)をみだりに唱えて,神を冒ぼうとくすることがあります。神は,はっきりとこれを禁じておられます。

これから話すスペンサー・W・キンボール大管長の話は聞いたことがあると思いますが,あえてもう一度話します。キンボール大管長が病院で手術を受けたときのことです。若い男性の看護師が大管長を担架に乗せて運んでくれました。エレベーターに乗る際にこの看護師は担架をぶつけ,主の御名を使ったののしりの言葉を口にしました。

キンボール大管長は,もうろうとする意識の中でこう言いました。「どうかやめてください。あなたが口にしているのは,わたしの主の御名なのです。」

凍るような沈黙の後,その若い看護師は押し殺したような声でささやきました。「申し訳ありません。」(The Teachings of Spencer W. Kimball,エドワード・L・キンボール編〔1982年〕,198参照)

わたしが非常に心配しているもう一つの事柄に注意を向けてほしいと思います。啓示の中で主は,できるかぎり教育を受けるようこの民に命じられました。主はこのことについて非常にはっきりと述べておられます。しかし,困った傾向が見られます。教会教育理事長のロルフ・カー長老から聞いたところによると,アメリカ合衆国では,女子の高校卒業率が73パーセント近くであるのに対し,男子は65パーセントだそうです。女子に比べて,男子の方が中退者の割合が高いということです。

高校卒業後すぐに大学に進学する人の割合は男子が約61パーセントであるのに対し,女子は72パーセントです。

1950年には,大学入学者の70パーセントが男性で,30パーセントが女性でしたが,2010年までには男性が40パーセント,います。

大卒者数は1982年以降,また修士号取得者数は1986年以降,それぞれ毎年女性の方が男性よりも多いという結果が出ています。

この統計結果から明らかなことは,より高い教育を受けようとする姿勢の面で男子より女子の方が勝っているということです。そこで,若い男性の皆さんに申し上げます。立ち上がって身を引き締め,教育の機会を活用してください。皆さんは,自分よりはるかに高い教育を受けた女性と結婚したいと思いますか。「つり合ったくびき」という言葉がありますが,これは教育のことを言っているのではないでしょうか。

しかも,教育には,教会で奉仕する能力を高める力があります。何年か前の調査によると,高い教育を受けている人ほど信仰が強く,宗教的な活動にも積極的に参加しているという結果が出ています。

わたしは以前,ポルノグラフィーについて語りました。これは,いとも簡単に陥ってしまう非常にたちの悪い中毒です。この中毒の犠牲者からの手紙を読みましょう。

「だれにも話せなかったことをあなたに打ち明けたいと思います。わたしは35歳の男性です。わたしは,大人になってからの大半の時期をポルノグラフィーにおぼれてきました。あまりに恥ずかしいことなので認めたくないのですが,……どの面から見ても,ポルノグラフィーにはアルコール中毒や薬物中毒と同じような中毒症状があるのです。

わたしがこの手紙を書くことにしたのは,ポルノグラフィーを避けるようにという会員たちへの勧告を,教会でさらに徹底するよう訴えたかったからです。この手のものを初めて見たのは子供のときでした。年上のいとこに性的ないたずらをされたとき,ポルノグラフィーを使って興味をかき立てられたのです。このように子供時代に性的なものやポルノグラフィーにさらされたことが,現在の中毒の根底にあるとわたしは確信しています。

皮肉なことに,ポルノ産業を支えている人たちは,表現の自由だと言います。でも,わたしには自由などありません。選択の自由を奪われています。いまだにこの中毒を克服することができないのですから。わたしはこの中毒に縛られており,逃れることができそうにありません。どうか,お願いですから,教会の兄弟たちに訴えてください。避けるだけではだめです。ポルノグラフィーのたぐいをすべて,生活の中から一掃するよう訴えてください。本や雑誌など形のあるものだけでなく,家庭にあるケーブルテレビの映画チャンネルのスイッチも切る必要があります。多くの人がケーブルテレビを視聴しており,有害な画面はスクリーン機能で遮断できると主張しますが,実際には完全に遮断できないのです。… …

ポルノグラフィーや性の倒錯は,日常生活にあまりにも溶け込んでいるため,至る所に見受けられます。道端やごみ捨て場にポルノ雑誌が捨ててあるのを見かけたことがあります。子供たちに話して,このようなものがどれほど有害か説明し,そのようなものに出くわしても見ないように教える必要があります。

最後になりますが,ヒンクレー大管長,どうか,このひどい苦しみから抜け出す勇気と力が得られるよう,わたしや教会にいるわたしのような人たちのために祈ってください。

署名は控えます。どうかご理解ください。」

正しく使うかぎり,コンピューターはすばらしい道具です。しかし,ポルノグラフィーや有害なチャットルームのたぐいにリンクされている可能性のある場合や,そのほか悪い習慣や悪い考えを助長しかねないような目的で使用する場合には,十分に自制して,いつでも電源を切れるようにしなければなりません。

主は言われました。「あなたがたは,あなたがたの間にある罪悪を清めなさい。わたしの前に自らを聖きよめなさい。」(教義と聖約43:11)これらの言葉の意味を取り違える人などいないでしょう。

主はさらにこう言っておられます。「その元素は神の幕屋である。まことに,人は神の幕屋すなわち神殿である。そして,いかなる神殿でも汚されると,神はその神殿を滅ぼすであろう。」(教義と聖約93:35)誤解の余地はありません。この世で授かった肉体を大切にし,肉体にとって有害なものを避けるよう,主ははっきりと言っておられます。

主はわたしたち一人一人に大きな約束をしてくださいました。このようにおっしゃっています。「あなたは謙遜(けんそん)でありなさい。そうすれば,主なるあなたの神は手を引いてあなたを導き,あなたの祈りに答えを与えるであろう。」(教義と聖約112:10)

さらにこうもおっしゃっています。「神はその聖なる御(み)霊(たま)によって,すなわち聖霊の言い尽くせない賜物(たまもの)によって,世界が存在するようになって以来現在まで示されたことのない知識を,あなたがたに与えてくださるであろう。」(教義と聖約121:26)

わたしたちは皆,救い主の生涯を研究し,その言葉や行いに倣ならうべきです。同様に,預言者ジョセフ・スミスの生涯についても研究してください。だれもが自分のなすべきことについて,ジョセフの模範から多くを学べるはずです。

わたしの兄弟たち,これらの永遠に変わらぬ特質にはまことの価値があることを証(あかし)します。生活を改善しようと努力するなら,きっと成果があるでしょう。愛する兄弟たち,皆さん一人一人のうえに神の祝福がありますように。これらのことを,へりくだり,感謝を込めて,イエス・キリストの聖なる御名によって証します,アーメン。