大きな驚くべき愛
天の御父とイエス・キリストの完全な愛を信じる幼子のような信仰は,無力さや不完全さ,罪悪感というサタンのわなを「断つ」のです。
「わたしたちは,永遠の父なる神と,その御子イエス・キリストと,聖霊とを信じる」1と,清い信仰を持つ子供たちは宣言します。しかし,青少年や大人は,この簡潔な宣言の持つ力を感じていないことがあります。
サタンは「あらゆる義の敵」2 で,神会の属性や神会と義人との関係に疑念を植え付けます。イエス・キリストは,末日には選民でさえも惑わされると預言しておられます。3ルシフェルがどのように「神の聖なる人々を捕らえるために,わなと落とし穴を仕掛けている」4 か,3つの事例を挙げて考えてみましょう。
自分は不十分だという落とし穴。忠実な若い人々は,周りの期待にこたえられないと感じてしまうことがあります。家でも学校でも,褒められることはめったにありませんが,批判は度々されます。少女たちの耳にはメディアに乗って,自分は大して美しくもないし,賢くもないと聞こえてきます。この義にかなった姉妹は連日,自分が天の御父の愛や救い主の贖(あがな)
いの犠牲,そして御霊(みたま)の絶えざる導きを受けるにふさわしい者なのだろうかと自問します。自分の不完全さを誇張する落とし穴。すばらしい宣教師が神の期待にこたえられないと感じてしまうことがあります。このふさわしい長老の思いには,不変の正義を実行する厳しい天の御父や,ほかの人の罪は清めても自分の罪は清めてくださらない救い主,そして不完全な人の伴(はん)侶りょとなることを好まれない聖霊が描かれているのです。
不必要な罪悪感を抱く落とし穴。ある中年の女性は,献身的な母親であり,愛の深い友人であり,教会の忠実な僕(しもべ)です。神殿にも頻繁に参入しています。しかし心の奥では,何年も前に犯した罪について,悔い改めて神権指導者との間でじゅうぶんな解決をしているにもかかわらず,自分を赦(ゆる)すことができないでいます。そして,自分の人生は主に受け入れられるのだろうかという疑問を持ち,天の御父の御前(みまえ)に出て永遠の命を得るという希望を失っているのです。
もし皆さんの中にこれらの善良な聖徒と同じように思い,感じている人がいるならば,幼子のようになって「贖い主のこの世への来臨に当たって御父と御子が示された大きな驚くべき愛」5 再び感じるように勧めます。天の御父とイエス・キリストの完全な愛を信じる幼子のような信仰は,無力さや不完全さ,罪悪感というサタンのわなを「断つ」6 です。
箴言では,「人となりは,その心に思うそのままである」7 と教えられています。絶えず祈ること,聖文研究,教会に出席し神殿に参入することに加えて,皆さんが神の優しい愛をもっと感じるために,考えや思いを変える5つの項目を提案します。
第1は,自分は愛にあふれた天の御父の大事な子供であると認識することです。子供たちは確信をもって「神の子です,わたしやあなた」8 と歌います。皆さんが恐らくは忘れていることを,幼い子供たちは感じ,また知っているのです。皆さんは天の御父の愛する息子,娘であり,「神のかたちに」9 造されました。皆さんにはイエス・キリストが命を犠牲にされたほど,計り知れない価値があるのです。
父なる神は慈悲深く,たとえ欠点があっ
ても,皆さんを限りなく愛しておられます。自分に価値がないと思わせるのは,サタンの声だけです。対照的に聖霊は,「神のみこころに添うた悲しみ」10 を経て積極的に変わりたいという希望に満ちた悔い改めの気持ちを与えてくださいます。
自分は価値がないと感じたら,「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えて」11 さい。自分を否定するような考えや言葉を繰り返すのはやめましょう。
謙遜(けんそん)と卑下は明らかに別物です。弱点にこだわるよりも,自分にしかない才能を見つけて,使ってください。
第2は,重荷をイエス・キリストに負っていただくことです。期待や試練に押しつぶされそうになったら,独りで戦ってはなりません。幼い子供の模範に倣ならって,ひざまずいて祈りましょう。
イエス・キリストは,「あらゆる思いの中でわたしを仰ぎ見なさい。疑ってはならない。恐れてはならない」12 と命じられました。疑いや恐れ,心配は,人生の重荷や不安をすべて自分で背負っているしるしです。自分は無力だという思いに悩まされている人は,「わたしを強くして下さる〔キリスト〕によって,何事でもすることができる」13 と自信をもって言ってください。そして「〔皆さん〕の力のかぎりすべてのことを喜んで行」14うならば,あとは主が引き受けてくださり,物事はうまく運ぶと確信を持っていられるでしょう。
救い主は,「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」15 と約束されました。皆さんが「荷を主にゆだね」16 るなら,御霊(みたま)による平和を感じるでしょう。17
第3は,自分の罪や欠点を赦すことです。天の御父はこの世で完全になるよう要求しておられるわけではありません。御父は,子供たちが現世で経験を通して学ぶときには過ちを犯すことを御存じです。しかし「神は……この世を愛して下さった」18ので,幸福の計画の中で憐(あわ)れみ深い救い主を備えてくださったのです。
イエスは言われました。「主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しか
し,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。」19 分を赦すことから
始め,ほかの人も赦してください。わたしたちが悔い改めた罪を神が忘れてくださ
るとしたら,20 ぜわたしたちが覚えていなければならないのでしょうか。過去を思
い出して時間や労力を無駄にしてはなりません。
自分や人を赦すためには,イエス・キリストの贖いを信頼しなければなりません。預言者ゼノクは,「おお,主よ,あなたが御子のゆえにこの民にかけてこられた憐れみを,この民が理解しようとしないので,あなたはこの民のことを怒っておられます」21と祈りました。わたしたちが御子による贖いの犠牲の力を限定すると,天の御父は悲しまれます。イエス・キリストへの信仰を実践するなら,罪は「ぬぐい去られ」22 ます。心から悔い改めた後でも罪悪感が残るなら,あなたをふさわしいと宣言した神
権指導者を信じてください。23
第4は,永遠の命への希望を持ち続けることです。もし自分が過去に犯した罪,性格的な欠点,誤った決定などのために,神のすべての祝福を受けることができないと考えているならば,父アルマのことを考えてください。邪悪なノア王の義に外れた祭司だった若き日々を引き合いに出して,「わたし自身もわなにかかり,主の目から見て忌まわしいことをたくさん行い,つらい悔い改めをした」24 認めています。にもかかわらず,アルマは完全に悔い改め,キリストの贖いが無限であったために,アルマは預言者になり,永遠の命の約束を受けました。25 最善を尽くして従順になって悔い改めるなら,イエス・キリストの贖いと恵みによって日の栄えの王国に場所を得ることができるのです。26
第5は,日々喜びを見いだすことです。喜びをもたらすものの一つに奉仕があります。周囲の人を助けるのに忙しければ,自分の欠点を悩むことは少なくなります。救い主は賢明にもおっしゃいました。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのため,また福音のために,自分の命を失う者は,それを救うであろう。」27
人が患う悲観主義を一掃し,幼子のような楽観主義に置き換えるなら,生涯大き
な喜びを感じるでしょう。物事を楽観するのは,生活の隅々に神の愛の御手(みて)を認められるという長所です。よく歌われる賛美歌に,「み恵み数えあげ 主のみ業ほめたたえよ」28 とあります。
天の御父が大きな愛を子供たちに示してくださることを証(あかし)します。イエス・キリストが,無力さや不完全さ,罪から「人を救う力を備えておられる」29 ことを証します。
聖霊が,不完全でも悔い改めた人の伴侶となってくださることを証します。悪魔がか
ける末日のわな30 と葛藤(かっとう)している忠実でふさわしい聖徒の皆さん,「神があなたがたのために,神の御子の喜びによって重荷を軽くしてくださるように」祈ります。31 イエス・キリストの御名(みな)によって,アーメン。