2000–2009
救いの計画
2006年10月


15:20

救いの計画

わたしたちは,主によって子供たちのために立てられた偉大な

夏の間,ある聖餐(せいさん)会に出席したとき,夏休みで帰省していた学生三人の話を聞くことができました。わたしは一つの話に特に興味を引かれました。

彼女は夏休みの間,トラック運転手がよく立ち寄るレストランで働いていました。そのレストランに,毎週同じ曜日に食事をしていた運転手がいたそうです。やがて顔なじみになって,短い会話をするようになりました。この運転手にどこに住んでいるかと尋ねられ,彼女は,秋に大学に戻るお金を貯(た)めるために,夏休みで帰省しているところだと話しました。すると次に「どこの学校に行っているんだい」と聞かれたので,得意げに「ブリガム・ヤング大学アイダホ校です」と答えたそうです。彼が学校についてもっと聞こうとしたので,福音の話になっていきました。彼女はまず知恵の言葉について話し,すばらしい結果を生みました。この男性は彼女の言葉に納得してタバコをやめたのです。

その後彼女は勤務時間が変わり,彼の接客をすることがなくなったため,短い手紙を添えて,救いの計画についての教会のパンフレットを送りました。それから数日後に,彼からメモを受け取りました。そこには短く「君のおかげで人生が変わった」と書いてあったそうです。この若い女性がきっかけで,この男性は人生で改めるべき事柄を考えるようになりました。一人のウェイトレスとトラック運転手の出会いが,どのような結末になったのかは分かりませんが,運転手の人生が変わったことは確かです。

彼女は続けて,福音のすばらしさを知らせるのがいかに簡単かを説明しました。普段の生活で当たり前に行っていることの中に,口を開いて,今も永遠にも祝福となる福音の真理を伝える機会は幾らでもあるのです。

多くの人が「自分はどこから来たのか」「なぜここにいるのか」「これからどこへ行くのか」という疑問を抱いています。永遠の御父はわたしたちを,目的も意味もない地上の旅に送られたわけではありません。従うべき計画を用意してくださいました。その計画は,人が進歩し最高の救いと昇栄を得るために主が立ててくださったものです。伝道活動のガイド『わたしの福音を宣のべ伝えなさい』から引用します。

「神はわたしたちの霊の御父です。わたしたちは文字どおり神の子供です。神はわたしたちを愛しておられます。わたしたちは,この地上に生まれる前,天の御父のも,わたしたちは天の御父のような状態ではなく,肉体をもって,この世での生活を経験しないかぎり,御父のようになって,御父が受けておられるすべての祝福にあずかることはできませんでした。

神の大いなる目的,つまり,神の業と栄光は,わたしたち一人一人が,神のすべての祝福を享受できるようにすることです。神は,この目的を成し遂げるために,完全な計画を用意しておられます。わたしたちは,地上へ来る前に,この計画を理解し,受け入れました。」(48)

しかし今日(こんにち)の世にあって,人生の最も基本的な疑問に対する答えを一生懸命に探し続けている人が大勢います。「見よ,ここにある」「あそこにある」という叫び声はますます大きくなり,混乱を極めるばかりです。高度な技術により,今や地上を覆い尽くす無数のケーブルを通してあらゆるチャンネルから,こうした叫びが方々に送られ,混乱の度合いは増す一方です。メッセージはますます多様化し,それを広める方法は数知れません。人々が混乱しても驚くには当たらないでしょう。昔,パウロはこう預言しました。

「人々が健全な教(おしえ)に耐えられなくなり,耳ざわりのよい話をしてもらおうとして,自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め,

そして,真理からは耳をそむけて,作り話の方にそれていく時が来るであろう。」(2テモテ4:3-4)

しかし混乱する必要はありません。人生の目的についての難問に対する答えは,人類を導くために再び与えられているのです。

わたしたちが最初に救いの計画について聞いたのは,生まれる前,聖文では「第一の位」と呼ばれる状態のときでした(アブラハム3:26参照)。第一の位においてどんなことがあったかは明らかではありませんが,そこでわたしたちが霊として,天の御父の子供として生活していたことは分かっています。また,永遠の霊を地上の肉体に宿す機会に備えるためにある程度成長したことや,御父が大会議を開いて地上の生活の目的を説明してくださったことも分かっています。わたしたちには,その救いの計画を受け入れるか拒むかの選択の機会がありましたが,強制されることはありませんでした。計画の本質は,神の助けを得て自らの救いのために努力する機会が人にはあるという点でした。計画に従う方法を教え,人を罪と死から贖うために,一人の指導者が選ばれました。主はモーセにこう語っておられます。「見よ,初めからわたしが愛し選んだ者であるわたしの愛する子は,わたしに,『父よ,あなたの御心(みこころ)が行われ,栄光はとこしえにあなたのものでありますように』と言った。」(モーセ__4:2)

長兄であられるイエス・キリストが,御父の立てられた計画を擁護する指導者となられ,わたしたちはその計画と条件とを受け入れました。この選びによって,わたしたちは地上に来る権利を得,第二の位に入ったのです。

神は御自分の形にアダムとエバを創造し,骨肉の体を与え,エデンの園に置かれました。二人には,園にとどまるか,あるいは善悪を知る木の実を取って食べ,死すべき状態を経験する機会を得るかという選択肢が与えられました。二人はこの試しを受け入れ,実を取って食べ,死すべき体となって肉体の死を経験することになりました。自分たちの選びによって,現世のあらゆる試練と困難を受けることになったのです。

現世の生活には二つの目的があります。一つ目は,ほかのどの方法でも得られない経験をすることであり,二つ目は,骨肉の幕屋を得ることです。どちらの目的も,人の存在に不可欠なものです。わたしたちは今,主から命じられるすべてのことをなすかどうかを試されているのです。主の命じられた戒めは福音の原則と儀式であり,イエス・キリストの福音を成すものです。一つ一つの原則と儀式は,試しの持つ目的そのものに関係しています。この試しとは,天の御父のみもとに戻り,御父のようになるために備えることです。ブルース・R・マッコンキー長老は,まっすぐで狭い道を進むことについてこう話しました。

「わたしが思うに,すべての人は,現世のあらゆる分野において何を信じるかを決める必要があります。そのうえで,はっきりとした分かりやすい全般的な概念に基づいて,死すべき状態の試練において成功を収め,試しの状態に合格するために,様々な分野でいかに生きるかを決めるのです。正しい選択をするなら永遠の報いに進み,そうでなければ,準備された王国の,より低い,より劣った場所に行くことになるでしょう。

……まっすぐで狭い道にとどまり,正しいことを行おうと奮闘努力し,また行いたいと切望する教会員はすべて,たとえこの人生で完全とはほど遠い状態であるとしても,まっすぐで狭い道にとどまったままこの世を去るならば,御父の王国で永遠の報いを受けることになるでしょう。」(The Probationary Test of Mortality,ディボーショナルにおける説教,ソルトレーク宗教インスティテュート,1982年1月10日,8-9)

このすべてを可能にしてくださっているのがイエス・キリストです。主は御父の永遠の計画の中心であり,人類の贖いとして備えられた救い主であられます。神はアダムとエバの堕落に打ち勝つために,愛子を送られました。主は救い主,贖い主としてこの世に来られました。そして御自身の命を捨てることにより,人のために肉体の死という障害に打ち勝たれたのです。十字架上で亡くなられたとき,主の霊は肉体から離れ,3日目に霊と肉体が再び結合しました。この結合は永遠のもので,二度と離れることはありません。

地上での人生はほんのつかの間です。すべての人が,死によって霊と肉体とが離れる時を迎えます。しかし,イエス・キリストの復活により,この世で善と悪のどちらを行ったかにかかわらず,すべての人が復活します。不死不滅は,天の御父の死すべき子供全員に与えられる賜物(たまもの)です。死は,新しくより良い人生への入り口であるととらえるべきものです。栄光に満ちた復活を通して肉体と霊は再び結合し,人は痛みや死を二度と味わうことのない完全な不死不滅の骨肉の体を得ます。しかし,来世で得る栄光は,この世での行いにかかっています。贖いという賜物と福音に従うことによってのみ,わたしたちはみもとへ帰って,再び神とともに住めるようになるのです。

救い主の復活後,主の弟子たちはこの栄光に満ちた教えを宣べ伝えるために地の人々のもとへ出て行きました。救い主の使命を教えながら,長い旅をしたのです。キリスト教の大きなうねりが多くの地に広がり始めました。しかし,教会は次第に背教に陥り,神権は継承されず途切れました。霊的な儀式を執り行う権能が地上から消滅したのです。

徐々に,霊感を受けた人々が改革を提唱するようになりました。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はそのことを,明るい夜明けと表現して,こう語っています。

「しかし,その長い暗黒の時代を経て,やっとのことでろうそくに火がともされました。ルネサンス時代の到来とともに学問,芸術,そして科学の時代が花開くのです。さらには大胆で勇敢な男女による運動が起こりました。彼らは天を仰ぎ見,神と神の御子とを認めようとしました。それがいわゆる宗教改革です。

そしてさらに幾世代もの人々がこの地上に生を受けました。その多くは争い,憎悪,暗黒,そして悪の中で生涯を送りました。しかしついに,回復というあの偉大な更新の時代が訪れました。御父と御子が少年ジョセフに御姿(みすがた)を現され,栄光に満ちた福音の時代の幕が切って落とされたのです。こうして世界は時満ちる神権時代の夜明けを迎えました。過去のすべての神権時代に存在したすべての善なるもの,美しいもの,神聖なものが,この最も注目すべき時代に回復されました。(「明るい夜明けだ」『リアホナ』2004年5月号,82-83)

栄光に満ちた最初の示現に続き,神聖な記録であるモルモン書が預言者ジョセフ・スミスに渡されました。これによって主であり救い主であられる御方とその使命についての新たな証(あかし)が地上の人々にもたらされたのです。

御父の永遠の計画を学ぶと,御父の愛に限りがないことが分かります。御父の子供たちは一人も欠けることなく,その愛を受けています。すべての人は自分の永遠の行く末を成就するために,同じ受け継ぎと平等な可能性を受けています。

モルモン書の預言者アミュレクは,キリストの御言葉(みことば)はわたしたちに救いをもたらすことを証し,こう語りました。

「さて,わたしの同胞よ,あなたがたはすでに多くの証拠を得ており,聖文がこれらのことを立証しているのも知っているので,進み出て悔い改めの実を結んでもらいたい。

まことに,進み出て,もはや心をかたくなにしないでほしい。見よ,今があなたがたの救いの時であり,救いの日である。したがって,あなたがたが悔い改めて心をかたくなにしなければ,偉大な贖いの計画はすぐにあなたがたに効果を及ぼすであろう。

見よ,現世は人が神にお会いする用意をする時期である。まことに,現世の生涯は,人が各自の務めを果たす時期である。」(アルマ34:30-32)

これ以上,あらゆる世の風や人の教えに吹きまわされることがないようにしましょう(エペソ4:14参照)。天は開かれ,神の永遠の計画に関する真理が再び人類に知らされたことを宣言します。わたしたちは時満ちる神権時代に生きています。聖文を通して,時の初めからこの最後の神権時代に至るまで主が子供たちに与えてこられた偉大な計画についての証が与えられている時代です。証拠はじゅうぶんに記録されています。わたしたちは,主によって子供たちのために立てられた偉大な計画を知らないまま,現世に独り置かれてさまよっているわけではありません。主の律法に対するわたしたちの従順さに応じて,天の祝福を与えるという神聖な聖約を,御父は必ず守られます。どうぞ,忘れないでください。これらが真実であることを覚えていてください。主なる神が,この永遠の真理を明らかにしてくださったからです。イエス・キリストの御名(みな)により,アーメン