2010–2019
真の成長のための救助の業
2012年4月


2:3

真の成長のための救助の業

人を救う業に,主はすべての教会員を召しておられます。

ここ数か月,教会の指導者は,教会は「真の成長」を遂げなければならないと強調してきました。これは,進んで救いの儀式を受け,聖約を交わしてそれを守るすべての人が教会に集えるようにするということであり,アルマが記した大きな心の変化をもって生活するということです(アルマ5:14参照)。教会の真の成長を遂げる最も有意義で重要な方法の一つは,バプテスマを受けたものの,あまり活発でなく,祝福や救いの儀式の恩恵にあずかっていない人たちと連絡を取って,彼らが教会に戻れるようにすることです。受けている召しがホームティーチャーや訪問教師であろうと,日曜学校の教師であろうと,ビショップ,父親,母親であろうと,たとえ中央幹部であろうと,わたしたちは皆,有意義な方法でこの再活発化という救助の業に取り組むことができます。最終的には,家族をはじめ教会員でない人,あまり活発でない会員,罪を犯した人など,すべての人をキリストのみもとに導いて救いの儀式を受けられるようにすることは,わたしたち皆に共通する神聖な召しなのです。

わたしがステーク会長会で奉仕していた30年ほど前のある日曜日,ある忠実なビショップから電話がありました。ビショップはワードが急速に発展したためにすべてのふさわしい会員にやりがいのある召しを提供できなくなったことを説明し,ワードの分割を申請してきました。分割の承認が下りるまでの間,わたしたちはステーク会長会としてそのワードの会員を訪問し,すべての立派でふさわしい兄弟姉妹をステーク宣教師に召すことにしました。

わたしが訪ねた3人目ぐらいの姉妹は,地元の大学に通う女子学生でした。2,3分雑談をしてから,宣教師として奉仕する召しを伝えました。しばらくの沈黙の後,彼女はこう言いました。「ステーク会長,わたしが教会に行っていないことを御存じではないのですか。」

今度はしばらくわたしが沈黙してしまい,その後「ええ,知りませんでした」と言いました。

彼女は「わたしは何年も教会に行っていないんです」と答え,こう言ったのです。「しばらく教会に行っていない人にとって,教会に戻るのはそんなに簡単ではないと思いませんか。」わたしは答えました。

「そんなことはないですよ。あなたのワードの集会は午前9時に始まります。礼拝堂に来れば,あなたも活発な会員ですよ。」

彼女は言いました。「いいえ,そんなに簡単なことではありません。教会に戻ろうと思う人はいろいろなことを心配するのです。あいさつしてくれる人はいるのか,それとも一人ぽつんと座って,集会の間だれも見向きもしないのではないかと心配します。それに,受け入れられるのか,どんな人が友達になってくれるのかも心配です。」

彼女は涙を流しながらこう続けたのです。「わたしが教会に戻るよう父と母が長い間祈ってきたことは分かっています。」またしばらく沈黙があり,こう言いました「ここ3か月の間,教会に戻る勇気と強さと方法が見いだせるようにと祈ってきました。ステーク会長,この召しは祈りの答えだとお考えですか。」

わたしは涙ながらに答えました。「主はあなたの祈りにこたえてくださっていると思いますよ。」

彼女は召しを受けただけでなく,良い宣教師になりました。そして自分自身だけでなく両親にも,きっとそのほかの家族にも,大きな喜びをもたらしたとわたしは確信しています。

彼女との面接や,似たような面接からわたしが学んだ,あるいは思い起こしたことが幾つかあります。

  • あまり教会に来ていない会員には,その人が教会に戻って来るよう毎日ひざまずいて主に願い求めている家族がいる場合が多いということを学びました。

  • あまり教会に来ていない会員にとって,教会に戻るのはそれほど簡単なことでも心地よいことでもないということを学びました。彼らには助けが必要です。支えが必要です。フェローシップが必要です。

  • あまり教会に来ていない会員の中には,教会に戻る道を見いだそうと,進んで努力している人がいるということをわたしは学んだのです。

  • また,あまり教会に来ていない会員の多くは,お願いすれば召しを引き受けてくれることを学びました。

  • あまり教会に来ていない会員は愛にあふれる神の息子娘として同じように扱われ,神の息子娘と見なされるべきだということを学びました。

もしもわたしが彼女をあまり教会に来ていない会員であると見なして接していたらあの面接はどうなっていただろうかと,長年にわたって考えてきました。答えは皆さんにゆだねます。

再活発化は,主の業の中で常に重要な部分となってきました。教会に来ていない人に働きかけて救い出すことはすべての会員の務めですが,アロン神権者とメルキゼデク神権者には,率先してこの業に取り組む義務があります。結局,これが神権者の奉仕のすべてなのです。つまり,すべての人を昇栄に至る聖約に導き,彼らに平安と幸福,自尊心をもたらすに導くということです。

ゾーラム人が教会から離れていることを知った息子アルマが,ゾーラム人を救うために再活発化チームを編成したというモルモン書の出来事を覚えているでしょう。アルマは,割り当てを果たす際に,次のように主に祈りました。

「おお,主​よ,どうか​わたしたち​が​この​民​を​キリスト​に​あって​再び​あなた​の​みもと​に​連れ​戻す​の​に,​成功​を​収められる​よう​に​して​ください。

「まことに,おお,主​よ,彼ら​は​貴い​​人々​で​あり,その​多く​は​わたしたち​の​同胞​です。ですから,おお,主​よ,わたしたち​が​同胞​で​ある​これら​の​人々​を​再び​あなた​の​みもと​に​連れ​戻す​こと​が​できる​よう​に,わたしたち​に​力​と​知恵​を​お​与え​ください。」 (アルマ 31:34-35, 強調付加)

数か月前,新会員とあまり教会に来ていない会員,再び教会に来るようになった会員が集った会の後,わたしと同年代の紳士がやって来てこう言いました。「わたしは人生の大半,教会に来ていませんでした。若いときに教会を離れたのです。でも今は教会に戻って妻と一緒に神殿で奉仕しています。」。」

わたしは彼に,万事はうまく行くことを伝えるために,こんなふうに答えたと思います。「終わり良ければすべて良しですよ。」

すると彼はこう言ったのです。「いいえ,すべてが良いわけではありません。わたしは教会に戻りましたが,子供も孫も,皆教会に来ていません。そして,今度はひ孫も失いそうです。だれもが教会から離れてしまいました。すべて良しと言うわけにはいかないのです。

わたしの家系には教会初期にヨーロッパで教会に入った先祖がいます。一人の息子が教会に行かなくなりました。エッジリー姉妹とわたしは,この先祖の子孫のうち,教会に行っていない子孫を調べようと試みてきました。

妻と二人で,いとも簡単にこんな結論に達しました。6世代にわたって妥当な推定値を用いて計算した結果,最大で3,000人もの家族を失った恐れがあります。では,今からもう2世代後のことを考えてみましょう。理論上,天の御父の子供のうち2万人から3万人を失うことになりかねないのです。

人々を救い出す務めは,教会の最も基本的な教義の一つに基づいています。

「人​の​​価値​が​神​の​目​に​大いなる​もの​で​ある​こと​を​覚えて​おき​なさい。

見よ,主​なる​あなたがた​の​​贖い主​は,肉体​に​おいて​​死​を​受けた。それ​に​よって,すべて​の​人​が​悔い改めて​自分​の​もと​に​来る​こと​が​できる​よう​に, 主​は​すべて​の​人 ​の​​苦​を​​引き受けた。……

あなたがた​は​この​民​に​悔い改め​を​叫ぶ​こと​に​生涯​力​を​尽くし,​一人​で​も​わたし​の​もと​に​導く​なら​ば,わたし​の​父​の​王国​で​彼​と​ともに​受ける​あなたがた​の​喜び​は​いかに​大きい​こと​か。」(教義と聖約18:10-11,15; 強調付加)

一人を失うことが莫大な数の人を失うことになり,一人を救うことが非常に多くの人を救うことになるということを,わたしたちは真剣に考えたことがあるでしょうか。わたしはこれまでに,教会に来ていない人を何人か救い出す特権にあずかったことがあります。さて,一人の人を教会に戻れるよう助けるとき,わたしはそれを一人だとは見なしません。6代,7代,またはそれ以上の世代にわたる何千人もの人を教会に導くと見なすのです。そして,次の聖句について考えます。「​一人​で​も​わたし​の​もと​に​導く​なら​ば,……​あなたがた​の​喜び​は​いかに​大きい​こと​か。」(教義と聖約18:15

主は使徒たちにこう言われました。「収穫は多いが,働き人が少ない。」(マタイ9:37)働き人は本来なら少ないはずはないのです。全世界のあらゆる地域に何千人もの有能でふさわしい神権者と何百万人もの献身的な教会員がいます。わたしたちにはワード評議会や神権定員会,扶助協会などよく機能している組織がありますが,これらの組織には皆,再活発化という救助の責任があります。人を救う業に,主はすべての教会員を召しておられます。

わたしは先に,アルマと同僚たちがゾーラム人を救う業にいで立つときに,アルマがささげた祈りについて述べました。第二次世界大戦中,約500人の米軍兵士とそれを援護する地元の民間人が捕まり,捕虜収容所に入れられました。彼らの苦痛と安全への懸念から, 100人ほどの米軍兵士が選ばれて,この捕虜たちを救出する義勇軍が組織されました。兵士が集まると,指揮官はこのようなことを言いました。「今晩君たちは自分の信じる宗教の指導者のもとに行ってひざまずき,捕虜になった者たちがこれ以上一瞬たりとも苦しむことがないよう最後の一息まで戦うと神に誓ってきなさい。」( ハンプトン・サイヅ, Ghost Soldiers: The Forgotten Epic Story of World War II’s Most Dramatic Mission 〔2001年〕, 28–29参照)成功を収めたこの救出作戦は,物理的で一時の苦しみからの救出でした。わたしたちは永遠の結果を左右する霊的な苦しみに悩む人々を救う業にも勇敢に取り組むべきではないでしょうか。同じように固い決意を神に表明するべきではないでしょうか。

結論として,キリストの真の教会の会員であるわたしたちの決意は,主がわたしたち一人一人のために苦しまれたという事実に根ざしていなければなりません。主は,教会員でない人や教会にあまり来ていない会員,罪人,わたしたち自身の家族全員のためにも苦しまれたのです。わたしたちは喜び,平安,福音の祝福を何千,何十万,いや何百万人もの人々,および後の世代の人々にもたらすことができるとわたしは信じています。主の教会なのですから,必ずそうできます。わたしたちには神権があり,わたしたちは主の教会の会員なのですから,わたしたちは成功するよう召されているのです。このことをイエス・キリストの御名によって証します,アーメン。