総大会
イエス・キリスト—わたしたちの魂の介護者
2021年4月総大会


11:9

イエス・キリスト:わたしたちの魂の介護者

罪を真心から悔い改めるときに,キリストの贖いの犠牲がわたしたちの生活に完全な効力を及ぼすことができると証します。

愛する兄弟姉妹の皆さん,この輝かしい復活祭の朝に,人類の歴史上,最も壮大で驚嘆すべき,計り知れない業である主イエス・キリストの贖いの犠牲に思いをはせて,わたしの心は喜びに満たされています。預言者イザヤのこの有名な言葉は,神のすべての子供のために御自身を低くされ,犠牲を払ってくださった救い主の偉大さと無私の愛を讃えています。

「まことに彼はわれわれの病を負い,われわれの悲しみをになった。しかるに,われわれは思った,彼は打たれ,神にたたかれ,苦しめられたのだと。

しかし彼は,われわれのとがのために傷つけられ,われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて,われわれに平安を与え,その打たれた傷によって,われわれはいやされたのだ。」1

イエスは自ら進んで全人類の罪を引き受け,残酷にも十字架に釘で打ち付けられ,3日目に死を克服して勝利することにより,2古代のイスラエルに与えられた過越の儀式にさらに神聖な意義を加えられました。3その預言を成就する際に,主は自らの体と尊い血を「大いなる最後の犠牲」としてささげられ,4主の過越の祭に用いられる伝統的な象徴が正当なものであることを示されました。5キリストはその過程において,人間には理解できない肉体的,霊的な苦しみを経験されたのです。救い主は自らこう言われました。

「見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い……

その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは,その苦い杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。

しかしながら,父に栄光があるように。わたしは杯を飲み,人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。」6

キリストは,憐れみに満ちた無限の犠牲を通して,御父の御心を喜んで成し遂げられました。7主は,堕落がこの世にもたらした9肉体と霊の死のとげを克服し,8永遠の救いという輝かしい可能性をわたしたちに与えてくださいました。10

イエスは,全人類のためにこの完全で永遠の犠牲を実現することのできる唯一の御方でした。11創世の前に,天上の大会議で選ばれ,予任されました。12さらに,死すべき母親から生まれることにより,肉体の死を経験する能力を受け継ぎ,永遠の父なる神からは,その独り子として,自らの命をささげて再びそれを得る力を受け継がれました。13そのうえキリストは,傷のない完全な生活を送られたので,神の正義の要求が及ばないのです。14あるとき,預言者ジョセフ・スミスは次のように教えました。

「イエス・キリストの執り成しがなければ,世に救いがもたらされることはありません。

神は……御自身の御子を遣わすことによって一つの犠牲を用意されました。御子は道を備えるために,すなわち人が……主のもとに行く扉を開くために,定められたときに遣わされることになっていました。」15

救い主は,自らの犠牲を通して肉体の死の影響を無条件で取り去りましたが,16わたしたちが犯した罪を悔い改めるという個人の責任を取り除くことはされませんでした。17むしろ,永遠の御父と和解するよう,愛を込めて招かれたのです。イエス・キリストとその贖いの犠牲を通して,わたしたちは思いと心に大きな変化を経験し,神に対して,また生活全般に対して,新たな態度で臨むことができるのです。18自分の罪を心から悔い改め,心と思いを神とその戒めに向けるとき,わたしたちは主の赦しを受け,聖霊の影響力を一層豊かに感じることができます。憐れみ深いことに,わたしたちは救い主が耐えられた深い苦しみを経験しなくてもよいのです。19

悔い改めの賜物は,御自身の子供たちに対する神の思いやりの表れであり,わたしたちが犯す罪の克服を助ける比類なき神の力の表れでもあります。また,わたしたちの現世における弱さやもろさに対する,愛に満ちた御父の忍耐と寛容をも示しています。わたしたちの愛する預言者ラッセル・M・ネルソン大管長は,この賜物は「幸福と心の平安を得る鍵」であると述べました。20

愛する友人の皆さん,罪を真心から悔い改めるときに,21キリストの贖いの犠牲がわたしたちの生活に完全な効力を及ぼすことができることを証します。22わたしたちは罪の縄目から解き放たれ,地上の生活で喜びを見いだし,永遠の救いにあずかる資格を得るのです。永遠の救いは,イエス・キリストを信じて主のもとに来るすべての人のために,世の初めから備えられていました。23

この壮大な救いの賜物をもたらされただけでなく,救い主は,わたしたちが最近経験したパンデミックのような状況を含め,この世で苦痛や誘惑,弱さに直面するときに,安らぎと慰めをも与えてくださいます。キリストは,わたしたちがこの世で経験する逆境を常に知っておられると確かに言うことができます。わたしたちが直面する情緒的,霊的な試練だけでなく,苦しみや苦悩,肉体的な痛みも理解しておられます。主の心は憐れみで満たされ,いつでもわたしたちを助ける備えができておられます。肉においてわたしたちの弱さやもろさから来る痛みを身に受け,個人的に経験されたからです。24

主は柔和で謙遜な心を持ち,万物の下に身を落とし,人々から侮られ,拒まれ,屈辱を受け,わたしたちの背きと罪悪のために傷を負われました。全人類のためにこれらの苦しみを受け,世の罪を御自身で負い,25それにより究極の霊的な介護者になられたのです。

主にさらに近づき,わたしたち自身を霊的に主の守りにゆだねるとき,主のくびきを負うことができるでしょう。それは負いやすく,主の荷は軽いので,約束された慰めと休息を見いだすことでしょう。さらに,人生の苦難や弱点,悲しみを克服するためにだれもが必要とする強さを受けることでしょう。主の助けと癒しの力なしにこれらに耐えることは,きわめて難しいものです。26聖文はこう教えています。「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。」27「そのときに,神が[わたしたち]のために,神の御子の喜びによって重荷を軽くしてくださるように。」28

レジーナ・エメリックとマリオ・エメリック

昨年の終わりにわたしは,主にとても忠実であった,敬愛するマリオとレジーナ・エメリック夫妻の死について聞きました。新型コロナウイルス感染症の合併症により,先に一人が亡くなり,その4日後にもう一人が亡くなったのです。

彼らの息子の一人は,ブラジルでビショップとして奉仕していますが,次のように話してくれました。「両親があのような状態でこの世から去っていくのを見るのは,とてもつらいことでした。でも,悲劇のさなかにあっても,生活の中で主の御手をはっきりと感じることができました。自分の理解を超えた強さと平安を受けたからです。イエス・キリストとその贖罪を信じる信仰を通してわたしは神の助けを受け,この試しを経験する間,家族と助けてくれたすべての人を強め,慰めることができました。皆が望んだ奇跡は起こりませんでしたが,わたしは個人的に,自分と家族の生活の中でほかに多くの奇跡を目の当たりにしました。心の底までしみ込む言葉にできない平安を感じ,わたしへの救い主の愛に,そして神の子供たちへの幸福の計画に,希望と確信を得ました。この最も深い悲しみの日々に,わたしは,わたしたちが心と力と思いと勢力を尽くして主を求めるとき,救い主の愛の御腕が常に伸べられていることを学びました。」

エメリック家族

愛する兄弟姉妹の皆さん,この復活祭の日曜日に,わたしは,イエスが死からよみがえられ,生きておられることを厳粛に証します。救い主が,御自身とその贖いを通して,肉体と霊の死の両方を克服する道を備えられたことを証します。このような祝福に加え,さらに救い主は,多くの人が最近経験したような困難な時期に,慰めと確信を与えてくださいます。わたしたちがイエス・キリストとその崇高な贖いの犠牲に信頼を置き,最後まで信仰をもって堪え忍ぶとき,愛する天の御父の約束を享受できることを約束します。わたしたちがいつの日かそのみもとに帰れるように,御父は力の限りを尽くしてくださいます。これこそが御父の業であり栄光なのです。29わたしは,イエスがキリストであり,世の贖い主,約束のメシヤ,よみがえりであり,命であられることを証します。30これらが真実であることを,御父の独り子である主イエス・キリストの聖なる御名によって証します,アーメン。