総大会
愛の言葉
2023年10月総大会


13:14

愛の言葉

心や家庭の中で,また活動やミニスタリングや奉仕という福音の召しを果たす中で,主の愛の言葉を語り,聞くことを学ぶことができますように。

初等協会の子供たちは,「愛の言葉」という歌を歌います。1

以前,ゴング姉妹に小さなロケットペンダントをプレゼントしたことがあります。それには,「・・ ・・ ・・—」と刻まれています。モールス信号に詳しい方なら,アルファベットのI,I,Uだとお分かりいただけるかと思いますが,もう一つ暗号を仕込んでおいたのです。標準中国語で,「I(アイ)」は「ラブ」という意味です。ですから,二重の暗号を解読すると「I love you」というメッセージになるのです。スーザン,アイ,アイ(ラブ),ユー。

わたしたちは様々な言語で愛を語ります。人類は現在,7,168の言語を話しているそうです。2教会では,多くの方言以外に,文書化可能な575の主要言語が話されています。わたしたちはまた,芸術に音楽,ダンス,論理記号,そして,ほかの人や自分自身とのコミュニケーションを通して,意図や抑揚や感情を伝えます。3

今日は,福音において愛をもたらす三つの言語についてお話しします。それは,温かみと敬虔さの言語,奉仕と犠牲の言語,聖約によるつながりの言語です。

一つ目は,温かみと敬虔さの福音の言語です。

ゴング姉妹は温かみある敬虔な態度で,子供や青少年にこう尋ねます。「どうしたら,親や家族に愛されていることが分かりますか?」

グアテマラの子供たちは,「両親が家族を養うために一生懸命働いてくれるから」と言います。北アメリカの子供たちは,「夜寝る前に絵本を読んでくれるから」だと話し,聖地イスラエルの子供たちは,「安全に守ってくれるから」と口にします。西アフリカのガーナでは「子供と青少年の目標を助けてくれるから」という声が上がりました。

こう話してくれた子もいます。「一日中働いて,とても疲れているのに,お母さんは外で一緒に遊んでくれるんだ。」母親はその言葉を聞いて,自分が日々ささげてきた犠牲は無駄ではなかったと涙しました。ある若い女性は,「時々意見が合わないこともあるけれど,母さんを信頼しているわ」と発言し,母親を泣かせました。

わたしたちは時々,「愛の言葉」を聞き,認められる必要があります。

聖餐会やその他の集会では,温かく敬虔に,イエス・キリストに心を注ぎます。わたしたちは理論上の贖いだけでなく,イエス・キリストの個人的で,実在するものである贖いについて敬虔に語ります。イエス・キリストの回復された教会を,主の名を取って,末日聖徒イエス・キリスト教会と呼びます。天の御父に呼びかける際は敬虔な祈りの言葉を使い,互いに語り合う際には温かく敬意ある言葉を使います。神殿の聖約の中心にイエス・キリストがおられることを認識するにつれ,わたしたちは「神殿に行く」と言うよりも,「主の宮でイエス・キリストのもとへ向かう」と表現することが多くなります。聖約はどれも,「ここには愛の言葉がある」とささやいてくれるのです。

新しい会員によると,教会用語の解読*が必要になることが度々あるそうです。初めて来た人が,「ステークセンター」と聞いておいしいステーキを思い浮かべ,「『ワード』って…パソコンの?」とか,「『長老』なのにこの宣教師はずいぶん若いな」と思うことがあるというのは,少し面白いですね。そうは言っても,新たな愛の言葉をともに学ぶに当たっては,どうぞ思いやりと優しさを忘れないでください。教会に入ったばかりのある改宗者は,スカートが短すぎると言われました。彼女は気分を害することなく,文字どおりこう答えました。「心は改心していますから,スカートが追いつくまで辛抱していただけますか。」4

わたしたちの言葉の選びが,ほかのクリスチャンや友人との距離を縮めてくれることもあれば,遠ざけることもあります。伝道活動に神殿活動,また人道支援や福祉にかかわる活動について話す際に,まるでわたしたちがすべて行っていると思っているように受け取られかねない言い方をしているかもしれません。神の御業と栄光,そしてイエス・キリストとその贖いの犠牲に見られる功徳と憐れみと恵みについては,いつも温かく敬虔に,感謝をもって語るようにしましょう。5

二つ目の福音の言語は,奉仕と犠牲です。

安息日を尊び,喜ぶために毎週教会に集う中で,わたしたちは教会の召しやフェローシップ,交わり,奉仕を通して,聖餐で交わす聖約への決意をイエス・キリストや互いに示すことができます。

地元の教会指導者に何か気にかかっていることはないかと尋ねると,その兄弟姉妹はこう口をそろえます。「教会の召しを受けてくれない会員がいることです。」主の教会にあって,主と互いに対して奉仕するようにとの呼びかけに応じると,思いやりと能力と謙虚さが増し加えられる機会がもたらされます。任命されると,人々や自分自身を高め,強めるうえで,主の霊感を受けることができるようになります。もちろん,変わりゆく人生の状況や時期によって,奉仕する能力に影響を受けることもあるかもしれませんが,願わくば,奉仕したいという望みは常に変わらぬようにと願っています。わたしたちはベニヤミン王とともに,「もしあれば与えるであろう」6と言い,できるかぎりのものをすべてささげるのです。

ステークおよびワードの指導者の皆さん,わたしたちの役割を果たしましょう。主の教会で奉仕するよう兄弟姉妹を召す(解任する)際は,尊厳と霊感をもって行いましょう。一人一人が,感謝されている,うまくやれる,と感じられるようにしてください。姉妹の指導者たちと話し合い,耳を傾けてください。覚えておきましょう。J・ルーベン・クラーク管長が教えたように,主の教会にあって,わたしたちは召された場所で奉仕し,「その役割を求めることも,断ることもしない」7のです。

ゴング姉妹と結婚したとき,デビッド・B・ヘイト長老がこのように助言してくれました。「教会で常に召しがあるようにしましょう。生活が忙しいときにこそ,そうしてください。」それから,こう続けました。「奉仕する中で,お二人が仕える人々と,お二人自身に対する主の愛を感じる必要がありますから。」主の教会で,主の御霊と聖約によって主に仕えようと,教会指導者に向かって「はい」と答えるなら,ここでも,そこでも,どこにあっても愛の言葉が聞こえてくることを約束します。

回復された主の教会は,シオンの町にあって保育器の役割を果たせます。ともに礼拝し,奉仕し,楽しみ,主の愛を学んでいく中で,わたしたちは互いを主の福音にしっかりと根づかせます。政治や社会問題について意見が合わないことがあっても,ワードの聖歌隊でともに声を合わせる中で,調和を見いだします。定期的に互いの家や近隣地域で,心を込めて仕え合う中で,わたしたちはつながりを育み,孤立と闘うことができます。

ステーク会長とともに会員を訪問する際,わたしは様々な状況に置かれた会員たちに対する彼らの深い愛を感じます。ステークの会員たちの家々を車で通り過ぎながら,あるステーク会長は言いました。プール付きの家に住んでいようと,地面がむき出しの家に住んでいようと,教会における奉仕は特権であり,しばしば犠牲を伴うものであると。しかし,続けてこの賢明なステーク会長は,福音にあってともに仕え,犠牲を払うなら,目につく欠点は減り,より豊かな平安を見いだすことができると述べました。自らを主に委ねるなら,イエス・キリストは主の愛を語ることができるように助けてくださいます。

この夏,わたしたち家族はイギリスのラフバラとオックスフォードで,すばらしい会員や友人たちに出会う機会がありました。こうした有意義な集いの場によって,わたしはワードの社交活動や奉仕活動が,新しくかつ永続する福音のきずなを築くうえで力となることを思い起こしました。以前から感じていたことですが,教会の多くの場所で,ワードの活動をもう少し増やせば,わたしたちはいっそうの帰属意識と一致をもって結ばれるのではないかと思います。もちろん,福音の目的に基づいて計画され,実施されることが前提です。

霊感を受けたワード活動委員長および委員会があれば,個人だけでなく,聖徒たちの共同体が養いを受けます。よく計画された活動は,だれもが大切にされ,一員となっている感覚,必要な役割を果たすよう招かれているという感覚を抱かせてくれます。このような活動により,年齢や背景の違いを超えて心に残る思い出が生まれますし,低コストまたは費用をまったくかけずに実施することができます。楽しい福音の活動は,近隣の方々や友人を招く場ともなります。

社交と奉仕の場は,セットで成り立つことが多いものです。ヤングアダルトは御存じですね。だれかをほんとうによく知りたいと思うなら,隣り合ってはしごに登り,一緒にペンキを塗るような,奉仕プロジェクトに携わるのがいちばんなのです。

奉仕プロジェクトでペイントをしているヤングアダルト

言うまでもなく,完璧な個人や家族は存在しません。わたしたちは皆,さらに愛の言葉を語れるよう助けを必要としています。「完全な愛は恐れをとり除く〔ものです〕。」8信仰と奉仕と犠牲は,今の自分を超えて救い主に近づくことができるようにしてくれます。わたしたちの奉仕と犠牲が,主にあってより慈しみ深く,信仰にあふれ,無私の精神に基づいたものとなればなるほど,イエス・キリストの贖いがもたらす,わたしたちに向けられた慈しみと恵みに対する理解が深まっていくことでしょう。

そこから,聖約によるつながりという福音の言語について話したいと思います。

わたしたちは,自己中心的な世界に生きています。「自分が第一」ということばかりです。まるで,自らの利益とそれを得る方法は,自分がいちばんよく分かっている,と信じているようです。

しかし,突き詰めていくと,それは真実ではありません。イエス・キリストは,この力強い,不朽の真理を体現された御方です。

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者は,それを見いだすであろう。

たとい人が全世界をもうけても,自分の命を損したら,なんの得になろうか。」9

イエス・キリストはより良い方法—死の縄目をもしのぐ,神の聖約に基づく関係をもたらしてくださいます。聖約によって神と互いにつながっていることで,最も大切な関係性に癒しと聖めがもたらされます。主はまさに,わたしたちが自分を知って愛する以上に,わたしたちを深く知り,愛してくださる御方です。実際のところ,自分のすべてをささげると聖約して初めて,今の自分以上の存在に到達できるのです。神の力と知恵は,主の時と方法にかなう形で,あらゆる善い賜物もってわたしたちを祝福してくれます。

生成的人工知能(AI)〔訳注—物事を学習する性質を備えたAI〕は,言語翻訳の質を大幅に向上させました。「心はその気であっても,体がついてこない」という慣用表現に対し,コンピューターが「酒は美味だが,肉は腐っている」〔訳注—「心」を表す“Spirit”には「蒸留酒」,「体」を表す“flesh”には「肉」という意味がある〕という翻訳をたたき出した時代は,遠い昔のものになりました。興味深いことに,パソコンにある言語を教え込む際には,文法上の規則を教えるよりも,例文を広く繰り返し教える方が効果的だそうです。

同じように,温かみと敬虔さの言語,奉仕と犠牲の言語,聖約によるつながりという福音の言語を学ぶうえで霊的に最も良い方法は,わたしたち自身が直接,繰り返し経験することなのかもしれません。

それでは,イエス・キリストはどこで,どのように,皆さんに愛を語ってくださるのでしょうか。

皆さんはどこで,どのように,主が語られる愛の言葉を聞きますか。

心や家庭の中で,また活動やミニスタリングや奉仕という福音の召しを果たす中で,主の愛の言葉を語り,聞くことを学ぶことができますように。

神の計画にあって,わたしたちは皆,いつの日か,この世から次の世へと移ります。主にまみえるとき,主が指示と約束の言葉とともに,「ここにはわたしの愛の言葉がある」と口にされる姿を,わたしは心に描いています。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。