2016
嵐をしのぐ避け所
2016年5月


嵐をしのぐ避け所

この短い期間が,彼らが何者であるかを決定づけることはありませんが,わたしたちの対応は,わたしたちが何者であるかを示すものとなるでしょう。

「あなたがたは,わたしが空腹のときに食べさせ,かわいていたときに飲ませ,旅人であったときに宿を貸し,

裸であったときに着せ……てくれたからである。……

あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである。」1

今日,世界には推定6,000万人の難民がいます。つまり,「人類の122人に1人は家を追われることを余儀なくされ」2ており,その半数は子供たちです。3巻き込まれている人々の数について考え,個々の生活に及ぼされる影響に思いを巡らせると,大変な衝撃を受けます。わたしは現在ヨーロッパで割り当てを受けています。昨年1年間で,およそ125万人の難民が,中東やアフリカなどの紛争地域からヨーロッパにやって来ました。4わたしたちは,多くの人々が着の身着のままに,小さなバッグ一つに詰められるだけの荷物を持ってやって来るのを目にしました。彼らの大半は十分な教育を受けている人々であり,皆,家や学校,仕事を残して来ざるを得ませんでした。

教会は,大管長会の指示の下に,ヨーロッパの17か国にある75の団体と提携して取り組みを進めています。これらの団体は,大規模な国際組織から小規模な地域主導型団体,また政府機関から宗教および民間の慈善団体に至るまで,多岐にわたります。幸い,わたしたちは長年にわたって世界各地で難民の問題に取り組んできた人々と提携することができ,彼らから学ばせてもらっています。

この教会の会員として,また一つの民として,わたしたちはそう遠くない昔に,暴力により幾度となく家や農場を追われた難民の時代を経験しています。先週末,リンダ・バートン姉妹は難民について述べ,教会の女性たちに「彼らに起こったことが,もしわたしに起こっていたとしたら」5と自問するように求めました。事実,そう遠くない昔にわたしたちは彼らのような境遇にあったのです。

難民の定義や,難民を助けるために何をすべきかについて,政府や社会の中で激しい議論が繰り広げられています。ただし,これからお話することは,その白熱した議論に一石を投じようとしたり,移民政策に対して意見を述べるようなものではなく,むしろ自らが引き起こしたわけではない戦争によって家や国を追われている人々に焦点を当てるものです。

救い主は,かつて御自身も難民であられたので,難民の気持ちを御存じです。イエスは幼い頃,ヘロデの残忍な剣から逃れるために,家族とともにエジプトに脱出されました。また,イエスは教導の業を行う中でも,幾度となく脅かされ,生命の危機にさらされ,ついにはイエスを殺そうと企てた悪しき者の計画にその身を委ねられました。そう考えると,互いに愛し合うように,主が愛されたように愛するように,自分自身を愛するように隣人を愛するようにと主が繰り返し教えられたことが,さらに注目すべきことだと感じるのではないでしょうか。実に,「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは,困っている孤児や,やもめを見舞い,」6「貧しい者と乏しい者の世話をし,彼らが苦しみを受けることのないように必要なものを与え〔る〕」ことなのです。7

きわめて多くの物を失った個人や家族を助けるために,世界中の教会員が惜しみなくささげてくださっているのを目の当たりにしてきたことは,心が鼓舞される経験でした。特にヨーロッパ各地において,多くの教会員が,助けを切実に必要としている周りの人たちに手を差し伸べ,奉仕したいという心の奥底にある生まれもった望みに応じたことで,魂が喜びの目覚めを経験し,心が豊かにされるのをわたしは見てきました。教会は避難所と医療を提供し,ステークと伝道部は何千もの衛生キットを用意しました。食糧や水,衣料品,防水コート,自転車,本,バックパック,老眼鏡,その他の多くの物を提供してきたステークもあります。

スコットランドからシチリア島に至る各地の人々は,思いつく限りのあらゆる役割を果たしています。海を渡ったためにずぶぬれになり,凍え,しばしば心的外傷を負った難民たちを,医者と看護師はボランティアとして,難民たちが到着する地点で救護しています。地元の教会員は,新たな土地で暮らし始めた難民が滞在国の言語を学べるよう助けたり,おもちゃや画材,音楽,演劇などを提供することにより親子を励ましたりしています。また,寄付された毛糸や編み棒,かぎ針を使って,地元のさまざまな年代の難民に編み物を教えている人たちもいます。

何年にもわたり奉仕と指導をしてきた経験豊富な教会員たちは,すぐに助けを必要としている人々に仕えることによって,これまでで最も豊かで充実した経験ができるようになったと証しています。

このような状況が現実であると確信するには,自分の目で確かめる必要があります。わたしがこの冬に出会った大勢の人々の中に,シリアから逃れてきたある妊婦の女性がいました。難民の一時滞在キャンプにいた彼女は,収容された広いホールの冷たい床で出産せずに済むという確証を切実に求めていました。この女性は,シリアにいた頃は大学教授を務めていました。またギリシャでは,小さなゴムボートでトルコから渡って来て,まだぬれたまま,震え,おびえている家族と言葉を交わしました。彼らの目を見ながら,彼らが経験したこと—どのような脅威から逃れ,避け所を見つけるために危険な旅をしてきたかという話を聞いたわたしは,前と同じままではいられるはずがありません。

難民を世話し救助の手を差し伸べているのは,多岐にわたる献身的な救援活動者であり,その多くはボランティアです。わたしは,トルコからギリシャにやって来た人たちのきわめて緊急の必要に対処するために,何か月間も夜を徹して働いている,ある教会員の姿を目にしました。彼女が行ってきた数え切れないほどの取り組みの一部を紹介します。彼女は,緊急に医療処置を必要としている人の応急処置を行い,女性や子供だけで旅をしてきた人々が世話を受けられるように取り計らい,道中家族を亡くした人たちを抱き締め,尽きることのない必要に迫られる中,限られた資源をできるだけ上手に配分しようと最善を尽くしてきました。彼女は,多くの同じような人々と同様,文字どおり仕える天使であり,その行いは世話を受けた人々の記憶にとどまり,主もその行いを忘れられることはありません。彼女は主の用向きを行ったのです。

自分をささげて周りの人の苦しみを取り除こうとしている人は,アルマの民にとてもよく似ています。「このようにして,彼らは裕福な暮らしの中で,着る物のない者や飢えている者,渇いている者,病気の者,栄養の足りない者を追い払うことがなかった。……彼らは……老いた者にも若い者にも,束縛された者にも自由な者にも,男にも女にも,また教会員であるなしの区別なく,助けの必要な人々については人を偏り見ることなく,すべての人に物を惜しまなかった。」8

わたしたちは,難民の窮状のニュースがいつの間にかありふれたものになってしまわないよう気を付けなければなりません。最初の衝撃が薄らいでしまっても,戦争は依然として続いており,多くの家族が家を追われ続けているのです。世界中の何百万人もの難民は今ではニュースに上らないものの,今も差し迫った助けを必要としているのです。

「自分に何ができるだろう」と考えている人に申し上げます。まず心に留めておいていただきたいのは,自分の家族やその他の責任を犠牲にしてまで奉仕すべきではなく9,指導者に奉仕活動を計画してもらうことを期待するべきでもないということです。しかし,若人,男性,女性として,あるいは家族として,わたしたちはこの大規模な人道支援活動に携わることができます。

世界中の難民に対してキリストのような奉仕をするようにという大管長会からの招きに従い10,中央扶助協会会長会,中央若い女性会長会,中央初等協会会長会は「わたしが旅人であったときに」という支援活動を立ち上げました。先週末に行われた中央女性部会の中で,バートン姉妹はこの活動を教会の女性たちに紹介しました。IWasAStranger.lds.orgというサイトには,役立つアイデアや資料,提案が多数紹介されています。

まず,ひざまずいて祈り,それから,自宅近くや地域社会でできることを考えてみましょう。そこから,新しい環境に順応するうえで助けが必要な人を見いだすことができるでしょう。このような活動の最終的な目的は,彼らが勤勉に働き,自立した生活ができるよう社会復帰を助けることです。

わたしたちが手を貸し,友人になることのできる機会は無限にあります。皆さんは,難民が生活を新たに始めた滞在国の言語を学んだり,仕事上のスキルを磨いたり,就職の面接の練習をしたりするのを手伝うことができます。また,家族やシングルマザーが,慣れない文化に移行できるよう善き相談相手になることもできるでしょう。それは,スーパーや学校に付き添うといった,ささいなことでもよいのです。あるワードやステークには,提携相手となる,信頼のおける既存の団体があります。さらに,状況が許せば,教会の特別な人道支援活動に参加することもできます。

さらに,わたしたち一人一人が,多くの家族が家から追われることになった世界の出来事にもっと注意を向けることができます。不寛容に対して反する立場を取り,異なる文化や伝統に敬意と理解を示すことを擁護しなければなりません。難民の家族に直接会い,テレビや新聞からではなく自分の耳で彼らの話を聞くことによって,皆さんに変化が起こるでしょう。真の友情が育まれ,思いやりの気持ちが増すことにより,彼らがうまく溶け込めるように手助けできるようになるでしょう。

主はわたしたちに,シオンのステークを「防御」および「嵐……の避け所」11とするよう指示しておられ,わたしたちは既に避け所を見いだしています。安全な場所から出て行って,わたしたちが豊かに持っている物を分かち合いましょう。明るい将来が待ち受けているという希望と,神を信じる信仰および仲間への信頼,そして,文化やイデオロギーの違いを超えて,わたしたちが皆天父の子供であるという栄えある真理に目を向けるを分かち合うのです。

「というのは,神がわたしたちに下さったのは,臆する霊ではなく,力と愛と慎みとの霊なのである。」12

難民であることは,人生に大きな影響を与えることかもしれませんが,難民であることで,彼らが何者であるかが決まるわけではありません。これまでの幾多の難民と同様,難民であることは,人生の中のごく短い期間(それが短いことを願いますが)にすぎないのです。ある人は将来ノーベル賞を受賞するかもしれませんし,公務員や医師,科学者,音楽家,芸術家,宗教指導者になるかもしれません。あるいは,その他の分野で貢献するかもしれません。事実,全てを失う前,難民の多くはそのような人たちだったのです。この短い期間が,彼らが何者であるかを決定づけることはありませんが,わたしたちの対応は,わたしたちが何者であるかを示すものとなるでしょう。

「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである。」13イエス・キリストの御名によって,アーメン。

  1. マタイ25:35-36,40

  2. ステファニー・ネベハイ,“World’s Refugees and Displaced Exceed Record 60 Million,” 2015年12月18日付,reuters.com参照

  3. “Facts and Figures about Refugees,” unhcr.org.uk/about-us/key-facts-and-figures.html.参照

  4. “A Record 1.25 Million Asylum Seekers Arrived in the EU Last Year,” 2016年3月4日付,businessinsider.com参照

  5. リンダ・K・バートン「わたしが旅人であったときに」『リアホナ』2016年5月号

  6. ヤコブの手紙1:27

  7. 教義と聖約38:35教義と聖約81:5も参照

  8. アルマ1:30

  9. 大管長会の手紙,2016年3月26日付参照。モーサヤ4:27も参照

  10. 大管長会の手紙,2015年10月27日付参照

  11. 教義と聖約115:6。イザヤ4:5-6も参照

  12. 2テモテ1:7

  13. マタイ25:40