2016
父親
2016年5月


父親

わたしは今日,男性の最も重要な役割である夫また父親として行うことのできる有益な働きに焦点を当てます。

今日は父親についてお話しします。父親は神の幸福の計画においてなくてはならない存在です。その召しを十分に果たそうと努めている人々に励ましの言葉を掛けたいと思います。父親の務めと父親をたたえ,励ますことは,誰かを辱めることでも,軽視することでもありません。わたしは,今日は簡単に,男性の最も重要な役割において,男性が夫また父親として行うことのできる有益な働きに焦点を当てます。

『父親不在のアメリカ』という本の中で,デビッド・ブランケンホーンは,こう述べています。「今日のアメリカ社会における父親像は根本的に分割され,対極的です。父親の記憶がない人や父親から裏切られた人もいれば,家族関係の専門家ですら父親の重要性を無視したり,軽視したりする人もいます。他の多くの人々は,特に反対するわけではないものの,父親として励むわけでもありません。どうにかしたいと多くの人が望んでいるにもかかわらず,自分たちの社会はそれを変える意志も力もないと信じているのです。」1

We believe in fathers.
Fathers preside in love and righteousness.

教会として,わたしたちは父親を信頼しています。「家族を最優先する男性〔が〕理想」2であると信じています。次のことも信じています。「神の計画により,父親は愛と義をもって自分の家族を管理しなければなりません。また,生活必需品を提供し,家族を守るという責任を負っています。」3「父親と母親は対等のパートナーとして互いに助け合うという義務を負っています。」4不要であるどころか,父親は特有かつかけがえのない存在であると,わたしたちは信じています。

Parents have complementary duties.
Fathers are irreplaceable.

父親としての有益な役割を社会的な面から見る人もいます。それは子供に対する責任を負い,善良な市民となって他の人の必要に気を配るようにし,「母親による子供の養育を父親による養育で補完することです。……要するに,男性にとって重要なのは父親であること,,子供にとっては父親がいること,社会にとっては父親を生み出すことです。」5これらは確かに真実であり大切ですが,父親の務めは,社会的観念や進化の産物をはるかに超えたものです。父親の役割は,その起源が神にあって,天の御父から始まり,この死すべき世においては父祖アダムから始まります。

父親を完全かつ神聖な言葉で表現すると,天の御父です。御父の特質また属性として豊かな慈しみと完全な愛があります。御父の御業と栄光は御自分の子供たちに成長と幸福,永遠の命をもたらすことです。6この堕落した世における父親たちは,高い所におられる威光の御方とは比較になりませんが,最善の状態で御父のようになろうと努め,実に御業に携わっているのです。彼らは大いなる心からの信頼という栄誉を受けています。

男性は父親になると,自分の弱さや改善すべき点が明らかになります。父親の務めは犠牲を要しますが,比類ない充足感,実に喜びの源です。ここでも,究極の模範は天の御父です。御父は御自分の霊の子供であるわたしたちを深く愛しておられ,わたしたちの救いと昇栄のために独り子を与えてくださいました。7イエスはこう言われました。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。」8父親は家族に仕え,家族を支える務めを果たしながら,日々自分の命をささげてその愛を示します。

父親として最も重要な務めは,自分の子供たちの心を天の御父に向けさせることでしょう。日々の生活の中で神に忠実であるとはどういうことかを,父親が模範と言葉によって示すことができれば,その父親は子供たちに,この世における平安と来るべき世における永遠の命の鍵を与えたことになります。9聖文を子供に読み聞かせ,また一緒に読む父親は,主の声を子供に知らせているのです。10

Father reading scriptures

聖文では,子供を教える親の責任が繰り返し強調されています。

「さらにまた,シオンにおいて,または組織されているそのいずれかのステークにおいて,子供を持つ両親がいて,八歳のときに,悔い改め,生ける神の子キリストを信じる信仰,およびバプテスマと按手による聖霊の賜物の教義を理解するように彼らを教えなければ,罪はその両親の頭にある。……

また、彼らはその子供たちに祈ることと、主の前をまっすぐに歩むことも教えなければならない。」11

1833年に主は,子供たちを教える義務に十分な注意を払わなかったという理由で大管長会を叱責され,そのうちの一人にはっきりとこう言われました。「あなたは、戒めに従ってあなたの子供たちに光と真理を教えてこなかった。そのために,あの邪悪な者は今なおあなたを支配する力を持っている。あなたが苦難を受けてきた原因はこれである。」12

父親はそれぞれの世代に改めて神の律法と御業について教えなければなりません。詩篇の作者はこう述べています。

「主はあかしをヤコブのうちにたて,おきてをイスラエルのうちに定めて,その子孫に教うべきことをわれらの先祖たちに命じられた。

これは次の代に生れる子孫がこれを知り,みずから起って,そのまた子孫にこれを伝え,

彼らをして神に望みをおき,神のみわざを忘れず,その戒めを守らせるためである。」13

Father and daughter dancing

確かに福音を教えることは父親と母親がともに担う義務ですが,父親が率先してそれを優先するよう主が父親に期待しておられることは明らかです。(教える際には,気軽に話し合い,ともに働き,ともに遊び,耳を傾けることが大切であると覚えておきましょう。)子供を育てる助けをするように,主は父親に期待しておられます。そして,子供は模範を欲しており,必要としています。

Father and son working together

わたし自身は模範的な父親に恵まれました。思い起こせば,わたしが12歳くらいの少年だったとき,父はそれほど大きくない町の市議会議員の候補になりました。父は大規模な選挙運動をすることはなく,わたしの記憶では,父に頼まれてわたしや兄弟たちが戸別にチラシを配り,ポール・クリストファーソンに投票するようにお願いしました。チラシを受け取ってくれた大人の多くが,ポールは善良で誠実な人で,投票するのに問題はないと言ってくれました。少年のわたしの胸は父を誇らしく思う気持ちでいっぱいになりました。わたしは自信を持ち,父の足跡に従いたいと思いました。父は完全ではありません—完全な人はいません—しかし,正直で善良であり,息子にとって憧れの模範でした。

子供をしつけ,正すことは,教えることの一部です。パウロはこう述べました。「主は愛する者を訓練〔される。〕」14しかし,しつける際に,父親は虐待に近いいかなる行為をもしないように特別な注意を払わなければなりません。虐待は決して正当化されません。子供を正すとき,その動機は愛であり,聖なる御霊の導きを受ける必要があります。

「聖霊に感じたときは,そのときに厳しく責めなさい。そしてその後,あなたの責めた人があなたを敵視しないために,その人にいっそうの愛を示しなさい。

それは,あなたの誠実が死の縄目よりも強いことを,その人が知るためである。」15

御心にかなう方式のしつけは,罰を与えるのではなく,自制できるように愛する者を助けることなのです。

Father at work
Earning a living

主は,「すべての子供たちは成人になるまで,その親に扶養を求める権利がある。」と言われました。16大黒柱として生活費を稼ぐことは,聖なる務めです。家族を養うためには,通常,家族を離れて働くことが要求されますが,これは父親の務めを果たせないということではありません—善い父親であることの本質なのです。「仕事と家族は重なっている領域がある」と言われています。17だからといって仕事のために家族をないがしろにすることは正当化できませんし,反対に,一生懸命に働かずに,その責任を他人に押し付けることもできません。ベニヤミン王の言葉にこうあります。

「またあなたがたは,自分の子供たちが飢えていたり,着る物がなかったりするのをほうってはおかないであろう。あなたがたは子供たちが神の律法に背くのも,互いに戦うのも,争い合うのもほうってはおかないであろう。……

むしろあなたがたは,彼らに真理の道をまじめに歩むように教えるであろう。互いに愛し合い,互いに仕え合うように教えるであろう。」18

わたしたちは,家族を養うのに十分な方法と手段を見いだせない男性の苦しみを理解しています。最善を尽くしても一時期,父親としての責任や役割を果たせない人は,何も恥じることはありません。「心身の障害や死別,そのほか様々な状況で,個々に修正を加えなければならないことがあるかもしれません。また,必要なときに,親族が援助しなければなりません。」19

Loving parents
Parents dancing

子供の母親を愛することと,その愛を示すことは,父親が子供のためにできる二つの最善のことです。これが子供の家庭生活と安全の基盤となる夫婦のきずなを確かなものとし,強めます。

Father with teenage sons

ひとり親や養父,義理の父親だという人もいます。彼らの多くが,しばしば困難を伴うこの役割に果敢に取り組み,最善を尽くしています。愛と忍耐を示し,個人と家族の必要を満たすために自らを犠牲にして,行えることを全て行っている人々に,敬意を表します。注目すべきことに,神御自身も独り子を養父に託されました。確かに,ヨセフの貢献もあって,イエスは成長する過程で「ますます知恵が加わり,背たけも伸び,そして神と人から愛された」のです。20

残念なことに,死別や責任放棄,離婚などにより,父親のいない家庭で生活している子供たちがいます。父親がいたとしても,子供と関わりを持たなかったり,その他,無関心あるいは非協力的ということがあるかもしれません。全ての父親の皆さんに,一層の努力をし,さらに善い父親になるようお願いしたいと思います。メディアやエンターテインメントに関わる人々には,妻を心から愛し,理性的に子供たちを導く,献身的で有能な父親をこれまで以上に描写するようお願いしたいものです。全ての父親があまりにも頻繁に,へまをする人やおどけた人,あるいは「問題を起こす人」として描かれすぎています。

困難な状況にある家庭の子供たちにお伝えします。そのような状況のために皆さんの価値が損なわれるということはありません。試練は時に,主からの信頼の表れでもあるのです。主は直接に,あるいは他の人を通して,皆さんが直面している事柄に対処できるように助けてくださいます。皆さんは,家族について神が定められた御心にかなう方式が具体化し,皆さんに続く全ての世代に祝福をもたらす,そのような家族の,おそらく最初の世代になることができます。

若い男性に申し上げます。いずれ担うことになる家族の養い手,守り手としての役割を認識し,学校で勤勉に学び,高等教育を受ける計画を立てることによって,今から備えをしてください。大学であろうと,専門学校や職業訓練などのプログラムであろうと,教育は将来必要となる技術や能力を身につける鍵です。子供を含め,あらゆる年齢の人々と関わる機会を活用し,健全で実りある人間関係を築く方法を学んでください。それは通常,メッセージを送る技術を磨くだけでなく,人々と直接会って話をし,ときどき一緒に何かを行うことを意味しています。男性として,将来皆さんの結婚生活や子供たちに清さをもたらすことができるような生活をしてください。

若い世代に申し上げます。自分自身の父親を良い・より良い・最も良いという基準でどのように評価するにしても(その評価は皆さんが年を重ねて賢くなるにつれて高くなると思いますが),自分の生き方として父親と母親を敬うと決意してください。ヨハネが述べているように,父親の切なる思いを心に留めてください。「わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に,大きい喜びはない。」21皆さんの義は父親にとっての最高の栄誉です。

わたしの兄弟であるこの教会の父親たちに申し上げます。皆さんがもっと完全な父親になりたいと思っていることを,わたしは知っています。わたしもそうです。限界はありますが,それでも押し進みましょう。今日の文化における個人主義や独立主義の誇張された観念を傍らに置き,第一に他の人々の幸福と安寧を考えましょう。確かに,わたしたちに不十分な点がありますが,天の御父はわたしたちを強め,小さな働きが実を結ぶようにしてくださいます。わたしは何年か前の『聖徒の道』に掲載された話に心を鼓舞されています。次のような話です。

「わたしが若い頃,家族は寝室が一つしかないアパートの2階に住んでいました。わたしは居間のソファをベッド代わりにしていました。……

製鉄所で働く父は,毎日とても早い時間に家を出ていました。毎朝,父は……わたしの毛布を掛け直し,少し立ち止まりました。父がソファの脇に立ってわたしを見詰めているのを,わたしはよく夢うつつの状態で感じたものです。目が覚めて父がいると恥ずかしかったので,寝たふりをしました。……父がソファの脇に立って,思いと力と精神の全てを注いでわたしのために祈ってくれているのに気がつきました。

毎朝父は,その日がわたしにとって良い一日となるように,安全に過ごせるように,また将来に備えて何かを学び取れるようにと祈ってくれました。また,夕方までそばにいてあげられないからと,その日わたしと接する教師や友人のためにも祈ってくれました。……

最初は,毎朝父がわたしのために祈りをささげることの意味がよく分かりませんでした。しかし,年を重ねるにつれて父の愛を感じ,父がわたしに,またわたしが行っているあらゆることに関心を示してくれていたと分かるようになりました。それは,わたしにとってかけがえのない思い出の一つです。それから何年かたち,結婚して子供ができると,わたしも,眠っている子供たちの部屋に入って彼らのために祈るようになりました。この頃になってようやく,父がどのような思いでわたしを見守ってくれていたのか,はっきりと理解できたのでした。」22

アルマは息子にこう証しました。

「見よ,あなたに言う。キリストは確かに世の罪を取り除くために来られる。キリストは御自分の民に救いの喜びのおとずれを告げ知らせるために来られる。

さて,わが子よ,あなたが召された務めは,この民にこの喜びのおとずれを告げ知らせて,彼らの心を備えること,いや,救いがこの民に与えられるようにすること,この民がその子孫の心を備えて,キリストの来臨の時に御言葉を聞けるようにすることであった。」23

それが今日の父親の務めです。神が父親を祝福し,それを可能にしてくださいますように。イエス・キリストの御名により,アーメン。