末日聖徒の声
雇用—たくさんの信仰と少しの家具
レニーン・サンティアゴ・ドゥアルテ・ナザレーノ(ブラジル,バイア州サルバドール)
妻とわたしが結婚したとき,わたしは失業中でした。家には家具がほとんどありませんでしたが,たくさんの愛と信仰がありました。
やっと仕事が見つかりましたが,日曜日の午後に働かなければなりませんでした。わたしは主の日には働かないと主と約束をしていましたが,家族を養うことも,わたしに与えられた責任です。それでも,主との約束が頭から離れませんでした。
次の日曜日,「楽し安息の日」(『賛美歌』178番)を歌っているときに答えを受けて,安息日の大切さに気がつきました。しかし,勤務スケジュール変更の交渉ができないことが分かり,仕事を辞めました。妻と二人で,主が必要なものを与えてくださると信じ,生活を続けました。家族のために妻が働いて,そのうちに長女のサリアが生まれました。わたしはその間,永代教育基金を利用して電子工学を学びましたが,それでも仕事が見つかりませんでした。
妻はサリアが生まれて3か月後に復職しましたが,サリアが母親を非常に恋しがったので,わたしたちはどうするべきか祈り,妻は仕事を辞める決意をしました。軽率な判断だと思われるかもしれませんが,わたしたちはそうするべきだと感じたのです。失業保険が適応された4か月の間仕事を探しました。主の時にかなって,一時雇用ですが仕事に就くことができました。
次女のアマンダが生まれたとき,やっと見習い技術者としての仕事が見つかりましたが,生活は苦しいままでした。まだ家具もほとんどなく,安定した仕事もありませんでした。教会が行っている,仕事を得て自立するための支援コースを2度受講しました。収入は基本的な生活必需品を賄うことさえおぼつかないほど低いものでしたが,全力を尽くしました。
そして見習いの仕事を始めて15か月後に,今の仕事を見つけたのです。今は技術者として,大きなショッピングセンターの電気エネルギー測定部門で働いています。月曜から金曜までの勤務で,この職種としては奇跡ではないかとわたしは思っています。同僚は皆,日曜日や休日に勤務しているのです。今は医療保険にも入って,家具もあります。ここまで来られたのは,主の助けと,永代教育基金があったからです。わたしたちが自分の責任を果たせば,必ず主も御自分の責任を果たしてくださり,わたしたちはこれからも自立した生活ができることを知っています。