弟に救われて
筆者はアメリカ合衆国アイダホ州在住です。
弟のタナーが12歳になったとき,わたしは一緒に神殿に行こうと彼を誘いました。わたしたちが後に,どれほどお互いの支えが必要になるか,当時は知る由もありませんでした。
アイダホ州ツィンフォールズ神殿が奉献されたのは,わたしがもうすぐ12歳になるときのことでした。友人と定期的に神殿に参入している姉が,初めてわたしを誘ってくれたときは,本当にうれしく思いました。
それで,その3年後に弟のタナーが12歳になって,わたしもやっと一緒に神殿へ行こうと弟を誘えるようになったのは喜びでした。
神殿へ行く日の朝は,ちゃんと起きて神殿に行けるように助け合いましたが,二人とも疲れているときには,タナーは冗談を言って,お互いが目を覚ませるようにしてくれました。神殿に行った後は,時間を取って,神殿の中で感じたことをお互いに話し合ったり,考えたことを話し合ったりしました。
わたしにとって,タナーと一緒に神殿へ行くことが,1週間のうちで最も霊的な機会となりました。定期的に神殿に参入することで,わたしたちはもっと良い友となり,そのため,試練を受けたときには,自分の想像以上にその関係から力を受けることができたのです。二人の姉が大学進学のために家を出て,わたしたちのワードも分割された結果,ワード内で活発な青少年はタナーとわたしだけになりました。
タナーもわたしも,何時間も電話をして,あまり活発に集っていない青少年を教会やミューチャルに誘ったりしました。どんなに多くの女の子と友達になろうとしても,誰も来てくれなかったので,自分の努力が無駄だと感じることがよくありました。
両親は助けようとしてくれました。わたしたちが落ち込むと,証をしてくれましたし,帰って来て機嫌が悪いときには,わたしたちの不満に耳を傾けてくれました。しかしそれでも,教会で突然友人が増えたり,教会に行きたい人が見つかったりすることはありませんでした。たった一人の若い女性でいることが,次第につらくなってきたのです。また,学校のスケジュールが忙しくなったために,神殿に行く頻度もだんだん減ってきました。
わたしは聖典を読むのにかなりの時間を費やし,自分を強めてくださるよう主に祈り求めていました。わたしは独りぼっちで疲れていました。独りでいて,成果の見えない自分の努力に疲れていたのです。霊的にも感情的にも必死に努力することに疲れていました。
その頃,わたしは市営プールで監視員として働いていました。わたしは教会よりも,そこにいる方がずっと好きでした。同僚たちは良い友人でしたし,いつもわたしの姿を見て喜んでいてくれたからです。ある日,わたしはもうミューチャルには戻らないと決意しました。仕事の方が楽しくて,経済的にも助けになったからです。
わたしは,標準を下げている自分に気がつくまで,それが重大な決断だったとは考えもしませんでした。わたしは,友人たちの汚い言葉について,ことさら言うことはありませんでしたが,ある日,それまでの自分では考えられないような汚い言葉を偶然口にしたことに気づき,はっとなりました。監視員の仲間たちとのパーティーで,ふさわしくない映画を見た夜もありました。わたしは自分が恐ろしくなり,自分は何をしているのだろうと考えました。
その頃,両親は,わたしがミューチャルに行かなくなってからタナーがどれほどさみしい思いをしているかを話してくれました。毎週,弟はわたしにこう尋ねてくれました。「お姉ちゃん,今晩はミューチャルに行かないの?」弟はミューチャルから帰宅すると,どこにも立ち寄らずに自分の部屋へ行き,長い時間聖典を読んでいました。弟は以前ほど話さなくなり,わたしが「大丈夫?」と聞いても,ただ「大丈夫じゃない」とだけ言って去って行きました。
ある晩,弟はひどい孤独感に襲われ,泣きながら帰って来ました。
わたしはそのときに,戻らなければと決心しました。自分がどれほど孤独に感じているかよりも,ただタナーがわたしを必要としているということの方が大切だったのです。
タナーは教会では家族歴史のコースを受講していたので,わたしも弟と一緒に受講することにしました。わたしたちは再び,神殿にもっと頻繁に行くようになり,今では,自分たちで先祖などの名前を調べることができるようになったのです。
日曜日には,一緒に楽しくクラスに出席しました。教会の後は,一緒に名前を探すようにしました。自分たちで見つけた名前を神殿へ持って行くことで一番良かったのは,一緒に名前を見つけることができたことですが,さらに良かったのは,教会でお互いに支え合えて,自分たちが主の業を行っているということで楽しく教会に行けたということです。
熱心に教会やミューチャルに出席するタナーの勤勉さは,わたしにとって大きな模範となりました。わたしは福音に対する証はありましたが,タナーのおかげで,教会の集会や活動に出席することについても証が得られたのです。
わたしたちは,ともに慰め合い,お互いの神殿の証を活用することによって,教会に活発に集えるよう助け合うことができました。教会やミューチャルの青少年の出席はそれほど増えませんでしたが,タナーとわたしは以前より強くなり,互いの重荷をもっと上手に負い合って,ともに前進するために助け合えるようになりました。
わたしは,かつて一緒に神殿に行こうと弟を誘って良かったと思います。確かに弟の助けになりましたが,同時に自分も助けられたのです。