2017
主の側に立つ—シオンの陣営から学ぶ教訓
2017年7月


主の側に立つ——シオンの陣営から学ぶ教訓

2010年7月30日にブリガム・ヤング大学アイダホ校で行われた教育週間ディボーショナルにおける説教,“Who’s on the Lord’s Side? Now Is the Time to Show,”(「主の方には誰が立つや」)からの抜粋。

1834年に預言者ジョセフ・スミスが率いたシオンの陣営の行軍は,主の側に立つことを選んだ特筆すべき例です。シオンの陣営の経緯を振り返ることで,教会歴史におけるこの重大な出来事から,現代に通じる貴重な不変の教訓を学び,今日の生活や状況に生かすことができます。

シオンの陣営とは

1831年に,預言者ジョセフ・スミスはミズーリ州ジャクソン郡インディペンデンスをシオンの地,末日聖徒が集まる中心の場所,また聖書でもモルモン書でも言及されている新エルサレムと指定する啓示を受けました(教義と聖約57:1-3参照。黙示21:1-2エテル13:4-6も参照)。1833年の夏には,モルモンの入植者数は,ジャクソン郡の人口の約3分の1を占めるまでになっていました。急激に増加するモルモンの入植者たち,政治に及ぼす彼らの潜在的な影響力,またこの新規入植者の持つ独特な宗教的,政治的信条のために,同地域に住むほかの入植者は不安をかき立てられ,その結果,家を明け渡し,財産を放棄するよう教会員に強く要求するようになりました。1833年11月,入植者たちがこの要求に最終的に従わなかったため,ミズーリの住民は入植地を襲い,聖徒を強制的に立ち退かせました。

exiled Saints

Forging Onward, Ever Onward/グレン・ホプキンソン画

シオンの陣営の編成は,1834年2月,啓示によって命じられました(教義と聖約103章参照)。この主の軍のおもな目的は,ミズーリ州の州軍が入植者を護衛して無事にその家と土地まで連れ戻す義務を果たした後に,ジャクソン郡のモルモンをさらなる攻撃から守ることでした。また,金銭や食糧,そして道徳的支援を貧しい末日聖徒に提供することも陣営の目的でした。そのようなわけで,1834年の5月から6月にかけて,200人以上の末日聖徒の隊員から成る一団が,預言者ジョセフ・スミスに率いられ,オハイオ州カートランドからミズーリ州クレー郡までのおよそ900マイル(1,450キロ)を旅しました。ハイラム・スミスとライマン・ワイトも,比較的少人数ではありましたが,ミシガン準州で隊員を募り,ミズーリ州で預言者の隊と合流しました。シオンの陣営には,ブリガム・ヤング,ヒーバー・C・キンボール,ウィルフォード・ウッドラフ,パーリー・P・プラット,オーソン・ハイド,そのほか教会歴史に名を連ねる多くの人たちが参加しました。

わたしの目的は,この過酷な旅について詳しく説明したり,霊的に重要な出来事をすべて列挙したりすることではありません。シオンの陣営の旅で起こったおもな出来事を幾つか簡単にまとめてみましょう。

  • ミズーリ州のダニエル・ダンクリン知事は,モルモンの入植者が自分たちの土地に戻るために必要な,州軍による支援を約束したものの,それを実行することはなかった。

  • 武力衝突を避け,地権争いを解決するために,教会指導者,ミズーリ州の役人,ジャクソン郡の市民の間で行われた交渉は満足のゆく合意に達しなかった。

  • 最終的に,主はジョセフ・スミスにシオンの陣営を解散するよう指示を与え,主の軍が目指す目標を達成できなかった理由を示された(教義と聖約105:6-13,19参照)。

  • 主はシオンが武力的な手段ではなく法的な手段によって回復される時に備え,地域における友好関係を築くよう聖徒に指示された(教義と聖約105:23-26,38-41参照)。

シオンの陣営は1834年6月末には幾つかの小グループに分けられ,最終的な除隊命令は,1834年7月初めの数日間に出されました。隊員のほとんどはオハイオ州に帰って行きました。

シオンの陣営から学べる教訓

etching of zions camp

聖徒をジャクソン郡の地に戻すことができなかったことから,シオンの陣営の試みは不成功に終わり,何の益もなかったと考える人もいました。陣営への参加を志願する信仰がなく,カートランドにいたある兄弟は,ブリガム・ヤングが帰って来たときに「あなたはジョセフ・スミスとミズーリに行ったこの無駄な旅で何か得たことはありましたか」と尋ねました。ブリガム・ヤングは,「この旅が目的としたことの全部です。わたしはこの旅で得た経験を,ジアーガ郡の全部の富とでも引き換えたいとは思いません」と即座に答えました。ジアーガ郡とは,当時カートランドのあった郡のことです。1

「この旅が目的としたことの全部です」というブリガム・ヤングの答えについて真剣に考えるようお勧めします。宣言した目標を達成できなかったものの,生涯にわたる祝福を初期の聖徒たちに与え,わたしたちにも与えることのできるこの旅から学べる,最も大切な教訓は,何でしょうか。

嘲笑的な質問に対するブリガム・ヤング兄弟の答えから,少なくとも二つの大切な教訓を学ぶことができると思います。(1)試され,ふるいにかけられ,備えられるという教訓と,(2)中央幹部をよく観察し,彼らに学び,従うという教訓です。声を大にして言いますが,この二つの教訓は,180年前のシオンの陣営の隊員以上にとは言わないまでも,今日のわたしたちも同様に,学び,応用すべき,大切な教訓なのです。

試され,ふるいにかけられ,備えられるという教訓

主の軍の一員として行軍した忠実な聖徒たちは,試練と苦難を受けました。主はこう宣言しておられます。「わたしは彼らの祈りを聞いた。そして,彼らのささげ物を受け入れる。信仰の試練として,彼らがここまで連れて来られることは,わたしにとって必要であった。」(教義と聖約105:19

実に,文字どおりの意味で,シオンの陣営が経験した肉体的,霊的な試練を通じて,毒麦と麦がふるいにかけられ(マタイ13:25,29-30教義と聖約101:65参照),ヤギと羊が分けられました(マタイ25:32-33参照)。したがって,主の軍に加わった人々は,「だれが主の側に立つのでしょうか」という鋭い質問を突きつけられ,それに答えたのでした。2

ウィルフォード・ウッドラフが諸事を整え,シオンの陣営に加わる準備をしていたとき,友人や隣人たちはそのような危険な旅は企てないようにと警告しました。こう助言したのです。「行くな。もし行けば,命を失うだろう。」彼はこう答えました。「ミズーリ州に足を一歩踏み入れた瞬間に心臓を射抜かれると分かっていたとしても,わたしは行きます。」3ウィルフォード・ウッドラフは,自分が忠実であり,従順であるかぎり,災いを恐れる必要はないことを知っていました。彼は明らかに主の側に立っていたのです。

実際,忠実な男女が「主の側に立つことを示すとき」4は,1834年の夏に来たのです。しかし,預言者ジョセフ・スミスとともにミズーリまで行軍するという決断は,必ずしも,「だれが主の側に立つのでしょうか」という問いにこたえて一度だけ下した決断でもなければ,すべてを含む決断でも,即座に下した決断でもありませんでした。「主の側に立つことを示すとき」は,精神的,肉体的な疲れ,足にできた血豆,腐った食物や汚れた水,数多くの落胆,陣営内での不和と反抗,そして邪悪な敵からの外的な脅威などを経験する中で,聖徒たちに何度も繰り返し訪れました。

「主の側に立つことを示すとき」は,毎時間,毎日,毎週の経験と物資の不足の中で訪れました。こうした献身的な聖徒の生活における一見小さな選択と行動の壮大な組み合わせこそが,「だれが主の側に立つのでしょうか」という問いに対する最終的な回答となったのでした。

シオンの陣営に参加した人々の生活で起こった試しや精錬は,どのような備えとなったでしょうか。興味深いことですが,1835年に十二使徒定員会に召された幹部のうちの8人,また時を同じくして召された七十人の全員が,シオンの陣営に参加した人々でした。七十人が召された後に開かれた集会で,預言者ジョセフ・スミスはこう宣言しました。

「兄弟の皆さん,あなたがたの中には,ミズーリ州で戦わなかったことで,わたしに対して怒りを感じている人がいます。しかし,聞いてください。神はわたしたちに戦うことをお望みになりませんでした。神は,自分の命をささげ,アブラハムのような犠牲を払った人でなければ,地上の国々で福音の扉を開けるための12人や,その指示の下に働く70人を召すことはおできにならなかったのです。

主は十二使徒と七十人を召されました。今後,さらに七十人の定員会が召されることでしょう。」5

確かに,シオンの陣営は,隊員全員にとって,また特に,主の教会の将来の指導者にとって精錬する者の火の役割を果たしました。

主の軍で隊員が得た経験は,教会員が将来行うことになるさらに大規模な入植の備えとなりました。シオンの陣営の参加者のうち20人以上が,二つの大移動で隊長や副隊長となりました。一つ目の大移動は,わずか4年後で,8,000人から10,000人の人々がミズーリ州からイリノイ州まで移動しました。6二つ目は,それから12年後で,およそ15,000人の末日聖徒がイリノイ州からソルトレーク,そのほかロッキー山脈のふもとを目指す西部への大移動でした。備えの訓練であるシオンの陣営は,教会にとって計り知れないほどの価値がありました。1834年に時は至りました。その年が,ひいては1838年,そして1846年への備えとなったのです。

個人として,また家族として,わたしたちも,シオンの陣営の参加者と同様,試され,ふるいにかけられ,備えられるのです。主イエス・キリストを信じる信仰,また聖約を交わし,尊び,覚えること,神の戒めを守ることによって,わたしたちは強められ,現世の試練と苦難に備え,立ち向かい,それを克服し,そこから学ぶことができます。聖文と中央幹部の教えには,こうした約束がたくさんあります。

主の教会の指導者は,わたしたちが今の時代,この世代に遭遇するはずの全体的あるいは世代的な試練の幾つかをはっきりと指摘してきました。1977年,地区代表の集会で,十二使徒定員会会長であったエズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は預言者として警告の声を発しました。これからベンソン大管長の言葉をたくさん引用します。その時宜にかなった助言をしっかりと心に留めてください。

「どの世代にもその世代特有の試練があり,その世代の特徴を示す機会があります。わたしたちが遭遇する最も厳しい試練の一つは何でしょうか。ブリガム・ヤングが語った警告の言葉に耳を傾けてください。『わたしがこの民について最も恐れているのは,彼らがこの国で富める者となり,神とその民を忘れ,肥え太り,自らこの教会にとどまることができなくなって,地獄へ行ってしまうことです。この民は暴力,略奪,貧困,そしていかなる迫害にしても,それらに耐え,忠実さを貫くでしょう。しかし,わたしが最も心配しているのは,彼らは富に耐えられないということです。』」

ベンソン大管長はこう続けます。「そこで,わたしたちが受ける試練は,最も大きな試練のように思われます。なぜなら,敵対する者のたくらみはさらに捕らえ難く,巧妙になっているからです。それほど大きな脅威には見えず,正体も見抜きにくいのです。義を試される試練はどれも苦しみが伴います。しかし,この繁栄という試練に限っては,試練には見えません。苦しみがないので,あらゆる試練の中で最も陥りやすい試練と言えます。

平和と繁栄が民にどんな影響を与えるか分かりますか。民を霊的に眠らせるのです。モルモン書は,末の日にわたしたちを巧みに地獄に誘い落とすサタンの策略について警告しています。主は王国を勝利に導くために約6,000年の間取っておかれた潜在的な霊の巨人を準備しておられます。サタンはそのような人々を眠らせようとしています。敵対する者は,彼らに多くの重大で悪質な作為の罪を犯させようとしても,恐らく大した成功は得られないだろうことを知っています。ですから,あのガリバーと同様,彼らを深く眠らせ,小さな無作為の罪で身動きを取れなくするのです。眠気眼で,どっちつかずのなまぬるい巨人が,指導者として何の役に立つでしょうか。

women sitting in front of computer

教会には,もっと精力的に家庭,王国,そして国家を高みへと導く霊の巨人となるはずの人が数え切れないほどいます。教会には,自分は善良だと思っている男女が大勢いますが,彼らは,力強い家長,勇敢な宣教師,雄々しい家族歴史職員や神殿職員,熱心な愛国者,献身的な定員会会員など,何かの役に立つ存在でなければなりません。要するに,わたしたちは奮い立ち,霊的な居眠りから目覚めなければならないのです。」7

こう考えてください。現代における豊かさ,繁栄,そして安楽は,その程度において,シオンの陣営の行軍に志願した聖徒が耐えた迫害や肉体的な苦難と同じ,もしくはそれよりも大きな試練となり得ます。預言者モルモンは,ヒラマン書第12章に記されている,高慢のサイクルに関する見事な要約の中でこう述べています。

「このことからわたしたちは,人の子らの心がどれほど不誠実で不安定であるかを知ることができる。まことに,主を信頼する者たちを,主が大いなる限りない慈しみをもって祝福し,栄えさせられるということも,わたしたちは知ることができる。

また,主が御自分の民を栄えさせられるまさにそのとき,まことに,民の畑と家畜の群れを増し,金銀と,あらゆる自然の貴重な品々と人工の貴重な品々を与え,民の命を助け,敵の手から民を救い出し,また宣戦することのないように敵の心を和らげ,要するに御自分の民の繁栄と幸いのためにあらゆることを行われるそのときに,彼らは心をかたくなにし,主なる神を忘れ,聖者を足の下に踏みつけるということが,わたしたちに分かるのである。これは,彼らが安楽で,非常に豊かに繁栄したためである。」(ヒラマン12:1-2

特に後半の節の最後の言葉に注目してもらいたいと思います。「これは,彼らが安楽で,非常に豊かに繁栄したためである。」

ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)も,わたしたちが今日の世界で直面している安楽というだれもが陥る試練について教えています。「わたしたちは試されます。恐らくわたしたちは自分が経験している試練の厳しさを理解していないでしょう。初期の時代,教会員は暗殺され,暴徒の襲撃を受け,家を追われました。砂漠に追いやられ,飢えに苦しみ,着る物もなく,寒さに震えました。そして,この恵まれた地にやって来ました。わたしたちは彼らが残してくれたものを受け継いでいます。しかし,それを使って何をしているでしょうか。今日,わたしたちは世界の歴史でこれまでに一度も目にしたことのないぜいたくに浸っています。これは恐らく,これまでの教会の歴史で一度も経験したことがないような厳しい試練なのかもしれません。」8

末の日にもたらされる試練と苦難に関する現代の預言者と古代の預言者のこうした教えは,はっとさせられる厳粛なものです。しかし,落胆させるための教えであるはずはなく,わたしたちは恐れる必要もありません。見る目と聞く耳を持つ人々は,霊的な警告を与えられることで,ますます油断なく目を覚ましていられるようになります。わたしたちは「警告の時」に生きています(教義と聖約63:58)。これまで警告を受けており,これからも警告を受けることになるのですから,使徒パウロが勧告したように,「絶えず……目をさましてうむことがな〔い〕」ようにしていなければなりません(エペソ6:18)。目を覚まし,備えるとき,わたしたちは確かに恐れる必要がなくなります(教義と聖約38:30参照)。

だれが主の側に立つのでしょうか。今こそ,こうした霊感に基づく警告を受け入れ,それにこたえる思いと心があることを示す時です。今こそ,繁栄,高慢,豊かさ,安楽,そしてかたくなな心,主である神を忘れるという末日の試練に立ち向かうために目を覚まし,備えていることを示す時です。今こそ,天の御父と愛する御子から託されたことは何であろうと,いつでも誠実に果たし,神の戒めを守り,神の前をまっすぐに歩むことを示す時です(アルマ53:20-21参照)。

中央幹部をよく観察し,彼らに学び,従うという教訓

主の軍の忠実な聖徒たちは,中央幹部をよく観察し,彼らに学び,従うことによって祝福を受けました。わたしたちは今日,シオンの陣営の敬虔な参加者たちが示した模範と忠実さから多くの恵みを受けることができます。

1834年4月,パーリー・P・プラットの助言に従い,ウィルフォード・ウッドラフはオハイオ州カートランドまで旅をして,シオンの陣営に加わりました。ウッドラフ兄弟が初めて預言者ジョセフ・スミスに会ったときの記録から,わたしたちは皆,教訓を学ぶことができます。

「生涯で初めて,わたしはこの末の日に神の啓示をもたらすために神がお選びになった愛する預言者ジョセフ・スミスと会って,話をしました。最初に会ったときの印象について言えば,預言者のあるべき姿,風貌について心に抱いていたこの世的な先入観を満足させるようなものではありませんでした。預言者を見て信仰が揺らぐ人もいたかもしれません。預言者と兄のハイラムは,2丁の拳銃で標的目がけて撃っているところでした。二人が撃つのをやめたとき,わたしはジョセフ兄弟に紹介されました。ジョセフ兄弟の握手はこれ以上ないほどに心のこもったものでした。カートランドに滞在中,自分の家に遠慮なく宿泊するよう勧められました。この勧めをわたしは心から気持ちよく受け入れました。彼の家に滞在中,わたしはたくさんの教えと祝福を受けました。」9

注目すべきことだと思いますが,ウッドラフ兄弟はしばらくの間,預言者宅に住み,紛れもなく,ありふれた日常生活の中で預言者をよく観察するというすばらしい機会にあずかりました。また,恵まれて,「預言者のあるべき姿,風貌について心に抱いていたこの世的な先入観」を超えて,ありのままの預言者を見る目がありました。そのような誤った先入観があるために物事を正しく見ることのできない人が,今の世の中では,主の回復された教会の中や外に,たくさんいます。

十二使徒定員会で奉仕するよう2004年に召された結果,わたしが,中央幹部をよく観察し,彼らに学び,従うことの意味がよく分かる立場にあることは明らかです。日常レベルで,この教会の指導者の個性,様々な好み,高潔な人格が理解できるようになりました。中央幹部の人間的な限界や欠点に気づいて,悩んだり,信仰を失ったりする人がいます。わたしに関して言えば,そのような弱点があるからこそ信仰が強められています。主が啓示された教会の管理規範は,人の弱さが与える影響に備え,その影響を軽減するものです。主が,御自身の選ばれた指導者に欠点や弱点があるにもかかわらず,そのような僕を通じて御心を成し遂げられるのを目の当たりにするのは,わたしにとって実に奇跡です。彼らは自分たちが完全だとは主張しませんし,実際のところ,完全ではありません。しかし,神から召されていることは確かなのです。

主の軍とともにミズーリ州に徒歩でやって来たとき祭司であったウィルフォード・ウッドラフは,後に十二使徒定員会会員となり,こう言っています。「わたしたちはほかの方法では味わうことのできない経験をしました。〔預言者〕の顔を見ながら,1,000マイル(1,600キロ)もともに行軍し,神の御霊が彼とともにあり,彼に降ったイエス・キリストの啓示が成就する様子をこの目で見る特権にあずかったのです。……シオンの陣営とともに行軍しなかったら,今日のわたしはなかったでしょう。」10

1834年4月の最後の日曜日,ジョセフ・スミスは何人かの教会指導者に対し,預言者の塾に集まったシオンの陣営の隊員に向けて証を述べるように言いました。兄弟たちの証が終わると,預言者は立ち上がり,それらの証に啓発され,教えられたと述べました。それから彼はこう預言しました。

「主の前にあって皆さんに申し上げたいと思います。皆さんはこの教会と王国の行く末について,母親の膝にいる幼子ほどしか知っていません。皆さんはまだ理解していません。……今夜ここで皆さんが見ているのは,わずか一握りの神権者だけですが,この教会は南北アメリカを満たし,世界を満たすでしょう。」11

ブリガム・ヤング,ヒーバー・C・キンボール,オーソン・プラット,ウィルフォード・ウッドラフといった人々が,その夜,預言者から多くのことを聞き,学び,何年もたってから,将来を言い当てた宣言の成就に貢献したのです。彼らは預言者をよく観察し,預言者から学び,預言者に従いました。何とすばらしい機会にあずかったことでしょう。

President Nelson with young man

写真©Deseret News

中央幹部の教えからも,彼らの模範的な生活からも学ぶことができるということを,わたしたちは皆,覚えておかなければなりません。預言者ジョセフ・スミスが明言した教会の発展に関する壮大なビジョンを念頭に置きつつ,預言者が日常的で平凡でありながらも必要な務めを果たすことによって示した個人としての模範の力について考えてください。ジョージ・A・スミスは,自身の日記に,ミズーリ州への行軍で受けた日々の試練に預言者がどのように対処したか記しています。

「預言者ジョセフは,旅の間中ひどく疲れていました。必要物資の調達や陣営の管理に加え,行程の大半を徒歩に頼らざるを得なかったため,足には水ぶくれ,出血,靴ずれが絶えませんでした。……しかし旅の間,ジョセフは決して不平を漏らすこともつぶやくこともありませんでした。一方で,陣営のほとんどの人々は,つま先の靴ずれや足の水ぶくれ,長い行軍,食糧の不足,粗末なパン,味の悪いとうもろこしの堅焼きパン,腐ったバター,悪臭を放つはちみつ,うじのわいたベーコンやチーズなどについて,ジョセフに不平を言いました。犬にほえられたことについてさえ,彼らはジョセフにつぶやきました。野営地の水質が悪ければ,暴動が起きそうな状態でした。シオンの陣営に属しているにもかかわらず,多くの人が祈らず,思慮に欠け,軽率で,不注意で,愚かで,悪魔に従い,それでもなおそのことに気づいていませんでした。ジョセフはわたしたちに忍耐強く接し,子供に教えるように教えなければなりませんでした。」12

ジョセフはアルマが教えた原則の力強い手本です。「教えを説く者は聞く者よりも偉いわけではなく,教える者は学ぶ者よりも偉いわけではないので,……このように,彼らは皆,平等であった。そして,彼らは皆,各々自分の力に応じて働いた。」(アルマ1:26

中央幹部として召されてからというもの,わたしは老化の影響,つまり肉体の限界と絶え間ない苦痛から突きつけられる容赦ない要求に向き合う一部の中央幹部をよく観察し,彼らから学ぶよう努めてきました。こうした中央幹部が,心と,勢力と,思いと,力を尽くして人々に仕えるときに,人知れず静かに苦しみに耐えていることを皆さんは理解できないでしょうし,理解することはないでしょう。ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年),ジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年),ジョセフ・B・ワースリン長老(1917-2008年),ボイド・K・パッカー会長(1924-2015年),L・トム・ペリー長老(1922-2015年),リチャード・G・スコット長老(1928-2015年),そしてそのほかの使徒職を有する同僚たちとともに奉仕し,彼らをよく観察してきました。この経験からわたしは,ともに奉仕するこれらの幹部は,最も真実かつ最も称賛に値する意味において,高潔で偉大な霊の戦士であると,はっきりと権威をもって宣言することができます。その忍耐,粘り強さ,勇気によって,彼らは「キリストを確固として信じ〔る〕」ことができるのです(2ニーファイ31:20)。これは,わたしたちが見習うに値する模範です。

リー大管長は,教会員全員が受けるもう一つの試練について警告しています。「現在,わたしたちは別の試錬,高度な知識の時代とでも言うべき試錬に遭遇している。現代は多くの賢明な人々が主の預言者に耳を傾けようとしない時代である。……これは過酷な試錬である。」13

高度な知識という試練は,繁栄と安楽という試練と対を成しています。わたしたち一人一人が中央幹部をよく観察し,彼らから学び,彼らに従うことは何と大切なことでしょう。

members of the First Presidency

写真©Deseret News

「だれが主の側に立つのでしょうか。」今こそ,この末の日に,地上における神の御業を監督し,指示するよう神から召された生ける使徒と預言者の助言を聞き,耳を傾ける時です。今こそ,神の「言葉は過ぎ去ることがなく,すべて成就する。〔神御〕自身の声によろうと,〔神〕の僕たちの声によろうと,それは同じである」と信じていることを示す時なのです(教義と聖約1:38)。今こそ証明する時です。今こそ,その時なのです!

わたしたちのシオンの陣営

わたしたちはそれぞれの人生のある時期に,自身のシオンの陣営で行軍するよう招かれることがあるでしょう。その招きがいつ来るかは人によって異なり,その旅でどのような特定の障害に遭遇するかも人によって異なるでしょう。しかし,この避けることのできない呼びかけに絶えずこたえ続けることが,「だれが主の側に立つのでしょうか」という質問への答えとなります。

自らを証明する時は,今であり,今日であり,明日であり,永遠にあるのです。これまでに述べた,試され,ふるいにかけられ,備えられるという教訓,中央幹部をよく観察し,彼らから学び,彼らに従うという教訓を忘れることがありませんように。

  1. ブリガム・ヤングの言葉。BH・ロバーツ,A Comprehensive History of the Church,第1巻,370-371で引用

  2. 「主の方には」『賛美歌』165番

  3. The Discourses of Wilford Woodruff, G・ホーマー・ダーハム編(1946年),306

  4. 「主の方には」『賛美歌』(英文)260番

  5. ジョセフ・スミスの言葉。ジョセフ・ヤング・シニア,History of the Organization of the Seventies(1878年),14。History of the Church,第2巻,182も参照

  6. アレクサンダー・L・ボー,“From High Hopes to Despair: The Missouri Period, 1831–39,”Ensign, 2001年7月,44参照

  7. エズラ・タフト・ベンソン,“Our Obligation and Challenge,” 地区代表セミナー,1977年9月30日,2-3;未発表原稿

  8. ハロルド・B・リー,“Christmas address to Church employees,” 1973年12月13日,4-5;未発表原稿

  9. ウィルフォード・ウッドラフの言葉。マシアス・F・カウリー,Wilford Woodruff: History of His Life and Labors(1909年),39で引用

  10. The Discourses of Wilford Woodruff, 305で引用

  11. ジョセフ・スミスの言葉。『歴代大管長の教え——ウィルフォード・ウッドラフ』25-26で引用。Conference Report, 1898年4月,57でウィルフォード・ウッドラフにより引用されているジョセフ・スミスの言葉も参照

  12. ジョージ・A・スミス,“My Journal,” Instructor, 1946年5月号,217

  13. ハロルド・B・リー,“Sweet Are the Uses of Adversity,” Instructor, 1965年6月号,217