また会う日まで
努力し続ける
「あなたがそれをよく堪え忍ぶならば」『聖徒の道』1985年1月号,21-23から。
永遠の命を目指して競うレースの勝者となるためには,努力,それもたゆむことなくひたすら努力を続け,神の助けを頂いてよく耐えることが必要です。
わたしたちの力の限りすべてのことを喜んで行うようにという救い主の教えについて考えるとき〔教義と聖約123:17参照〕,放蕩息子の父親のことを思い出します。この父親は,わがままな自分の息子がいなくなったことやその行いのために心を痛めました。しかし,聖書のどこを開いても,彼が「どこで間違ったのだろうか」,「なぜこんな目に遭うのだろうか」,あるいは「どこで失敗したのだろうか」などと言って嘆いたとは一言も書かれていません。
それどころか,苦々しい思いも抱かずに,息子の道を外れた行いに耐え,戻った息子を愛をもって迎えたものと思われます。「このむすこが死んでいたのに生き返り,いなくなっていたのに見つかったのだから。」(ルカ15:24)
家族のことでがっかりするようなことがあったときには,特に忍耐を学ぶ必要があります。わたしたちが愛し,忍耐し,理解しようと努めているかぎり,たとえ進歩していないように見えたとしても,失敗しているわけではありません。努力を続ける必要があります。……
永遠の命を目指して競うレースの勝者となるためには,努力,それもたゆむことなくひたすら努力を続け,神の助けを頂いてよく耐えることが必要です。……
……どんな人にも苦しみや障害は待ち受けています。心の痛みや悲しみ,死,罪,弱点,災難,病気,苦痛,心配事,故のない非難,孤独,拒絶などを経験することでしょう。こうした問題にどう対処するのか。それによって,その問題がつまずきの石になるか,それとも人格形成のための積み石になるかが決まってくるのです。勇気ある人々は,こうしたチャレンジを成長と進歩の機会にします。……
子供のころわたしたちは,時々,「何も心配しなくていいからね」と言われました。しかし,現実はそうではありません。どのような人であっても問題はあります。悲劇や挫折は,人生の計画の中に予期せぬときに入り込んでくる侵入者です。……
……人の偉大さというものは,一見まったく不公平で,不条理で,しかも不当な人生の出来事に直面したとき,その人がどのような反応を示すかによって一番よく知ることができます。……
……イエスはキリストであられます。主の偉大さを示すしるしの一つは,その忍耐力であり,わたしたちの従うべき変わることのない光となっています。主はこの地上におられる間,最も大きな苦痛を受け,拒絶に遭われたとき,立派に耐え忍ばれました。わたしたちが主の教えに従い,主の導きを求め,主の戒めを守ろうと努力を続けるならば,神はわたしたちが耐え忍べるように助けてくださることを証します。