2018
新米ママの祈り
2018年8月


新米ママの祈り

クリスタル・ベイカー・チップマン

(アメリカ合衆国ユタ州)

画像
mother holding laundry basket and baby

イラスト/ジョシュア・デニス

最初の子がおませで小さな男の子だったころ,自分はおむつの交換と食事の世話に追い回されるだけの生活をしていると感じることがありました。

子育て中心の生活に慣れてきたころ,わたしは自分の霊に必要な事柄をおろそかにしていることに気がつきました。聖文を読む代わりに,普段,大いに必要だと感じていた仮眠をこっそりと取ったり,もう1回洗濯機を回したりしていたのです。祈りといえば,息子が早く寝ついて,よく寝ていてくれますように,とそそくさとお願いしたり,どうか今日一日乗り切れますように,とお願いしたりするだけでした。

息子が4か月くらいのころ,自分の霊性がいかに落ちているかに気づきました。証を強くしたいという気持ちが弱くなっていました。教会で3時間座っているのは苦痛でしたし,そのほかに家や教会の責任を果たすなんて時間もないし,そんな気力もないと感じました。福音の光を再び感じたいと思いましたが,疲れ果てていて,どこから手をつけたらいいのか分かりませんでした。ある晩,心から助けを祈り求めました。

そして翌朝,足を引きずるようにして教会に行ったのです。扶助協会でレッスンを聞いているときに,扶助協会の目的が書かれたポスターが目に入りました。毎日曜日に見ていたポスターですが,自分に向けられたメッセージだと思ったことはありませんでした。扶助協会の目的は姉妹たちが「信仰と個人の義を増し加え,家族と家庭を強め,困っている人々を見つけ出して助ける」ことだと書いてあります。

わたしはもう一度読みました。そのとき,わたしは「信仰と個人の義を増し加え」という言葉に心を引き付けられました。きちんと教会の召しを果たし,ほかの人に奉仕できるようになるためには,まず,自分の霊性を養わなければならないということが,はっきりと分かったのです。わたしは,毎日時間を取って聖文を読むようにしました。また,もっとよく考えて祈るように努めました。

自分の信仰と個人の義を養い,天の御父に導きを求めるようになると,回復されたイエス・キリストの福音に対するわたしの愛に,再び火が付いたのです。召しを受けて奉仕し,扶助協会の姉妹たちを訪問し,毎週聖餐にあずかることが,再びわたしの生活の中で大切な事柄になりました。そして,時間と気力がなくてできないと思っていた事柄が,今や,わたしと家族にとって安らぎと力を与える事柄になったのです。

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