子供を守る
生活の中で子供をさらにしっかり守り,子供の持つ力を引き出すために,わたしたちにはどんなことができるでしょうか。
御自分が教えたあらゆる人々の中で,イエスがとりわけ子供たちを愛されたことを,わたしたちは知っています。不都合な場合でも,イエスは子供たちに目をかけられました。子供たちを招いて一人一人に祝福を与え,子供たちを傷つける者たちをおしかりになりました。そして,天の王国に入るには子供のようになる必要があると教えられたのです。1
イエスは復活した後,アメリカ大陸にいた民に,「あなたがたの幼い子供たちを見なさい」と言われました。すると天が開き,愛にあふれた守りの天使が降って来て,子供たちを取り囲むと,火で彼らを包みました(3ニーファイ17:23-24参照)。
今日の世に見られるあらゆる危険を考えると,子供たちが常に天の火で包まれていたらいいのにと思うかもしれません。全世界の4人に1人は,子供のころに虐待を受けたことがあると推定されています。そして,障がいを持つなどといった弱い立場にある特定の層に絞ると,その平均値はさらに高くなります。2幸いなことに,子供を守るために率先してできることはたくさんあります。
中央初等協会会長のジョイ・D・ジョーンズ姉妹はこう言っています。「あなたの愛する子供を思い浮かべてください。その子供に『愛している』と言ったら,それは何を意味しているでしょうか。……愛する人を守り,その人が最高の自分になり人生の困難を乗り越えるのを助ける,ということです。」3
救い主の模範をさらによく見ると,生活の中でもっとしっかり子供を守ることのできる方法が思い浮かぶことでしょう。
イエスは子供たちのために時間を取られた
イエスは時間を取って,幼子や弱者に目をかけられました(マタイ19:14参照)。わたしたちも時間を取って子供の言うことに耳を傾け,彼らの問題を理解しようと努めるようにするべきです。
ジョーンズ姉妹は言います。「子供は愛を感じれば感じるほど,打ち明けやすくなります。…… 会話を始めましょう。子供の方から話して来るのを待っていてはいけません。」4
ある母親は,毎晩子供にこんな質問をするといいことに気がつきました。「今日聞いた言葉で意味の分からないものはなかったかしら。」
今日の時代の子供は,疑問への答えをまずインターネットで調べようとするかもしれません。インターネットは直ちに情報を提供してくれますし,非難されることもないからです。しかし,親の方がさらに信頼できる情報源だということを子供に知ってもらう必要があります。そして,子供たちが何か不快なことを言ってきたとき,過剰に反応しないようにしなければなりません。例えば,子供がポルノグラフィーを検索していたことを告白してきたとき,親が感情を爆発させると,子供は二度と助けを求めて来なくなるでしょう。しかし,愛情をもって対応するなら,どんなことでも話してほしいと思っているという明確なメッセージを伝えていることになります。
ジョーンズ姉妹はこう言っています。「ささいな問題についても愛情をもって話し合うことにより,健全な反応の土台が生まれ,それにより,大きな問題が起きたときにもコミュニケーションを維持することができます。」5
親が子供と話し合うことのできる事柄の中で,最も重要で子供を守ることになるのは,彼らの体についてです。こうした会話では,体の部位や衛生に関する情報,今後数年間に起こる心身の変化について,正確な言葉を用いるべきです。性について話し,身体的,感情的な愛情表現が,天の御父が人のために作られた計画のいかにすばらしい要素かを伝えるべきです。また,虐待やポルノグラフィーといったテーマについても話すとよいでしょう。こうした会話は年齢に合った内容のものにして,子供の抱いている疑問に答える形で行う必要があります。理想的には,長い期間にわたって何度も会話を重ね,子供が成長して理解力がついてくるのに応じて情報が積み上げられるようにするのがよいでしょう。(役立つリソースについては,この記事の末尾を参照してください。)
イエスは子供たちに模範を示された
イエスは,すべての人のために完全な模範を示されました(ヨハネ8:12参照)。成人であるわたしたちにも,模範となる機会と責任があります。子供たちを危害から守るためにわたしたちにできる最善の方法の一つは,安全な道を自ら選んで見せることです。子供たちは,親がほかの人とどのように接しているか,ほかの人からどう接してもらうようにしているかを見ています。依存症に陥って自分や家族を危険にさらして苦しんでいる人は,どうか,助けを求めてください。自治体の役員や,カウンセリングの専門家に相談してください。また,ビショップや扶助協会の会長にも相談してください。彼らは,教会や地域の適切なリソースを紹介してくれるでしょう。あなたは,安全に守られて大切にされるべき,価値ある存在なのです。
わたしたちはまた,自分の霊的な力を養うことについても模範となるべきです。子供たちは親が祈る姿を見ていますか。親が聖文を読んでいることを知っていますか。親の証を聞いていますか。家族は朝,世の中に出て行く前に「神の武具で身を固めて」いますか(エペソ6:11-18;教義と聖約27:15-18参照)。
イエスは子供たちのために声を上げられた
救い主は,子供を傷つける者に対し,声を上げて非難されました(マタイ18:6参照)。わたしたちも,生活の中で子供たちを擁護する者にならなければなりません。
大管長会第一顧問のダリン・H・オークス管長はこう教えています。「子供たちには,代わって語ってくれる存在が必要であり,利己的な大人の興味関心よりも子供たちの幸福を優先してくれる意思決定者の存在を必要としています。」6
人を過剰に恐れたり疑ったりする必要はありませんが,脅威となりかねない状況を把握して安全に導く賢明な判断は,下すべきです。初等協会の指導者は,教会の虐待防止のための指針7に従うべきです。保護対策として,各クラスに教師を2人置き,会長会がクラスをチェックするようにしてください。
親と指導者は一緒に話し合い,具体的な脅威を最小限に抑えるためにそのほかの予防措置を取る必要があるかどうか判断してください。例えば,多くの教会の建物では,クラスの部屋のドアに窓が付いています。窓が付いていない場合,レッスン中はドアを少し開けておきます。そのうえで,窓を取り付けることが可能かどうか地元の施設管理代表者に確認するとよいでしょう。受けている召しにかかわらず,すべての成人は教会の中で気を配り,必要に応じて助けるべきです。つまり,ホールをうろついている訪問者に歓迎の意を示したり,歩き回っている子供にクラスに戻るよう勧めたりするのです。
残念なことに,子供がほかの子供たちに傷つけられることが時折あります。教会であろうとどこであろうと,いじめや不適切な体の接触に気づいたならば,どのような類のものであれ,直ちに介入する必要があります。指導者であれば,たとえ不愉快な会話になろうとも,関係する家族と積極的に話をして,すべての子供たちの安全を確保する必要があります。思いやりをもって率直に話すことで,人に親切にする文化を育めるようしてください。
子供が虐待を受けていると確信したなら,直ちに民間当局に通報するべきです。多くの国にはホットラインがあり,危機的な状況への介入,危機情報,支援サービスが受けられるようになっています。また,虐待が疑われる場合,特に教会を通して子供たちにかかわる人が関与している場合には,ビショップに話すべきです。加害者がその後子供に近づけないような措置を取るだけでなく,ビショップは被害者に慰めとサポートを与え,ファミリーサービスからその他の援助を受けられるようにすることができます。
イエスは子供たちを一人ずつ祝福された
イエスは子供たち一人一人を御存じで,一人一人を祝福されました(3ニーファイ17:21参照)。それと同じようにわたしたちは,子供一人一人を知り,個別に子供を助けるようにするべきです。
疾患のある子供にとって教会を安全な所にするには,どうしたらよいでしょうか。障がいのある初等協会の子供の支援プランはありますか。初等協会では,家庭環境の違いに配慮したレッスンが行われているでしょうか。さらに寛容になるために,ほかにどんなことができるでしょうか。
人種差別的な発言やほかの文化を見下したような言葉,他宗派に対する批判的な態度が,わたしたちの伝えるメッセージの中に入り込む隙を与えてはなりません。ある初等協会のクラスに,ほかの子供たちが日常的に話す言語をうまく話せない男の子がいました。その子が溶け込めるように,教師は配布物を必ず両方の言語で作成しました。思いやりのあるささやかな行いによって,わたしたちが子供たち一人一人のことを知っていて心にかけていることが彼ららに伝わります。また,そうした行いは,子供たちが従うべき模範にもなるのです。
直ちに助ける必要のある子供が見つかることがあるかもしれません。例えば,成長期にある程度気分にむらがあるのは普通ではあるものの,数週間にわたって怒りをくすぶらせていたり,引きこもっていたり,悲しみに沈んでいたりした場合には,専門家の助けを要する別の深刻な問題があるのかもしれません。祈りや聖文研究といった義にかなった習慣は大切ではありますが,精神疾患の症状が現れ始めている人や深刻なトラウマに対処しようとしている人には,それ以外の助けが必要な場合が多いのです。そうした状況を見過ごしにしていると,物事は好転しません。多くの地域で,ビショップは,ファミリーサービスその他の機関を通したカウンセリングを個人や家族が利用する際に,経済的な援助を与えることができます。
イエスは子供の持つ力を引き出された
イエスは子供を守ると同時に,子供の持つ力を引き出されました。子供たちを模範として挙げられたのです(マタイ18:3参照)。イエスがアメリカ大陸を訪れられた後,幼い子供たちは大人に「驚くべきこと」を教えることができました(3ニーファイ26:16)。
御霊の語りかけを認識して,何か決めるときに御霊に従うよう子供に教えてください。心のフィルターを活性化して良い行いを選べるようにしてあげるのです。そうすることによって,子供の持つ力を引き出すことができます。ジョーンズ姉妹が述べたように,「子供たちが自分から〔安全な決断を下したい〕と望むような論理的思考を育めるよう助けることが不可欠です。」8子供の持つ力を引き出したアイデアを幾つか挙げましょう。
-
ある母親は,「変だなという気持ち」を感じたら用心し,「怪しい」人には警戒するよう,子供たちに教えました。この教えは功を奏し,彼女の息子は,何人かの大人からトイレについて来るように言われたとき,危険を察知して拒否しました。
-
事前に脱出プランを立てておいて,危険な状況に陥ったらそのプランに従うようにしている家族もあります。例えば,ある脱出プランは「クラッシュして言う」という名前が付いていて,有害な画像が表示されたらコンピューターの画面をオフにして即座に親に伝えるというものです。その家の子供たちは有害なメディアに遭遇しても決してあわてません。どうしたらよいかが分かっているからです。
-
別の家族は暗号を作っておいて,子供たちがすぐに迎えに来てもらう必要がある場合に携帯メールか電話で暗号を親に送ることができるようにしています。
-
人に言いくるめられて不快なことをされそうになったときに「いやだ」と言う練習を子供にさせてもよいでしょう。助けを求めることができることと,安全が確保できるまで助けを求め続けるべきだということを,すべての子供に知ってもらうべきです。
大人であるわたしたちの役割
第三ニーファイ第17章にある次の場面をもう一度思い出してみましょう。イエスは「幼い子供たちを一人一人抱いて祝福し,彼らのために御父に祈られた。……そして……幼い子供たち〔は〕火に包まれた。そして,天使は幼い子供たちに恵みを施した。」(21,24節)この話で重要なのは,子供がいかに大切かを教えているだけでなく,大人であるわたしたちの役割は何なのかを見事に描いている点です。わたしたちは次の世代を育てています。わたしたちは子供たちを取り囲んで,恵みを施す天使になるべきです。絶えずイエスを完全な模範として仰ぎ見て,幼い子供たちを愛と守りで包み込むために,最善を尽くそうではありませんか。