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虐待


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虐待

概要

虐待とは,他者(例えば,子供,伴侶,年配者,障がいのある人)に対し,不当な扱いや義務の放棄によって,肉体的,情緒的,あるいは性的な傷を負わせることです。教会は,虐待はどのような形であっても許されず,虐待する者は神の前でその責任を問われるという立場を取っています(マタイ18:6マルコ9:42ルカ17:2参照)。

主はわたしたちに,虐待を防ぎ,虐待の被害者を保護し助けるために全力を尽くすよう求めておられます。虐待行為に耐えるよう求められている人は一人もいません。

虐待に関する報告を決して見過ごしにしてはなりません。被害者とその家族に対しては,だれもが思いやりと気遣いをもって接するべきです。虐待による被害を受けた人は,話を聞いてもらい,支援を受ける必要があります。

ビショップとステーク会長は虐待を発見した場合,または虐待の可能性に気づいた場合,直ちに国または地元の地域事務局に設置されている教会の虐待ヘルプラインに連絡するべきです。被害者をどのように助け,今後起こり得る虐待から守ればよいのか,またどのように通告義務を果たすべきかに関して具体的な指示を受けられます。

虐待は社会の法にも違反している場合があります。教会は,虐待について公的機関に通告するよう奨励しています。教会指導者および会員は,虐待を通告する法的義務を完全に果たさなければなりません。子供への虐待について公的機関に通告する法的義務を,子供とかかわる指導者や教師に課している地域があります。一方,子供や高齢者,障がいのある人への虐待を発見した場合,公的機関に通告する法的義務がすべての人に課せられている地域もあります。

指導者や家族,友人は,虐待を阻止し,被害者の安全を確保し,被害者が癒しを求められるように全力を尽くして助ける必要があります。被害者の中には,虐待を受けたことを法執行機関や福祉サービスに通告する際に,助けを必要とする人もいるかもしれません。被害者はまた,癒しを受ける過程において,医師やカウンセラーといった専門家の助けを必要とするかもしれません。

被害者の多くは,知人から虐待を受けています。そうした知人とは,伴侶や家族,デートの相手,友人などの顔見知りである場合もあります。加害者がだれであろうと,他者の有害な行為のために,被害者が非難されるようなことは,決してあってはなりません。被害者には一切罪がないのです。

身体に害を与える種類の虐待もありますが,どのような形であれ,虐待は心と霊に悪影響を及ぼします。虐待の被害者は多くの場合,混乱や疑い,罪悪感,恥,不信感,恐れなどに苛まれます。被害者は自信を喪失し,無力感や孤独感,疎外感を感じているかもしれません。天の御父の愛や自分自身の神聖な価値について疑いの念さえ抱いているかもしれません。しかし,被害者と彼らを支援する人々は,救い主がその無窮の贖罪によって助けの手を差し伸べ,癒しと力を与えてくださると確信することができるのです(アルマ7:11-1234:10参照)。

癒しを受ける過程で,虐待の被害者は,教会指導者からの霊的な導きや支援を求めることにより慰めを見いだせるでしょう。教会指導者の第一の責任は,虐待を受けた人々を助け,今後虐待を受ける恐れのある人々を守ることです。指導者はcounselingresources.ChurchofJesusChrist.orgから詳しい情報を参照するとよいでしょう。

家族―世界への宣言』にある原則は,わたしたちが互いにどう接するべきかに関する標準を定めています。これらの原則に従うことによって,堅固で健全な関係を築くことができます。両親や伴侶,家族は,これらの原則を用いて互いに対する意思疎通の方法や接し方を吟味することができます。

詳しい情報については,abuse.ChurchofJesusChrist.orgを参照してください。

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「重荷は取り除かれました」『リアホナ』2014年3月号