喜びと幸せの見つけ方
わたしにとっても,ほかの多くの人にとっても,喜びや幸せの感情とは,たとえ義にかなった生活を選んだとしても,何か複雑な問題がからみ合って生まれることがあるものです。「戒めを守っているのに,幸せを感じるためにこれほど苦労するのはなぜなのだろうか」と,わたしは時々疑問に思ってきました。
失業や愛する人の死,心身の不調など,幸せや満ち足りた気持ちを覆すことになりかねない要素はたくさんあります。それでもわたしは,どんなに深い苦労の谷を重い足取りで歩いていようとも,さらにすばらしい日々が来る,と信じるようになりました。24ページの記事「幸せを追い求めて」でわたしは,幸せを追い求めるという目標,特に幸せに手が届かないと感じるときにそれを追い求める目標について,科学的な研究成果とともに,福音的な観点から述べています。
18ページのデビッド・A・ベドナー長老の記事「イエス・キリスト—永続する喜びの源」は,まことの永続する喜びについて教えてくれます。この記事は聖文と預言者の言葉が満載で,現世での喜びを見いだすだけでなく永遠の幸せを得るために不可欠な大切な教えが詰まっています。
聖文にはこうあります。「アダムが堕落したのは人が存在するためであり,人が存在するのは喜びを得るためである。」(2ニーファイ2:25)夜がどんなに暗くとも,朝になれば必ず光が戻って来るのです。
教会機関誌
デビッド・ディクソン