クリスマスに独りで感謝を
子供のころのわたしにとって,クリスマスは一年で最高の時期でした。単にプレゼントがもらえるからだけでなく,クリスマスはわたしの人生でいちばん大切な人たちである家族とともに過ごす時季でもあったからでした。
家族はわたしにとって非常に大切です。そして長年にわたって,クリスマスの伝統は,いつも家族が楽しみにしているすばらしい取り決めでした。クリスマスにまつわるたくさんの大切な思い出が今でも心に残っています。
しかし,去年のクリスマスは違いました。わたしは新しい仕事で,クリスマスによその町にいなければなりませんでした。わたしの人生でこれまでに,2度だけ家族とクリスマスを過ごせないことがありました。どちらもわたしの伝道中です。出張に出る前でさえわたしはすでに気落ちし,家族が恋しくなりました。クリスマスの間じゅう,わたしはこう思いました。「何て,もったいない!」どんな仕事もクリスマスほどの価値なんてあるはずがありません。
わたしはホテルの部屋にあるテレビで映画を見ることにしました。映画の中で,登場人物の一人が感謝を伝えることがどんなに大切かを述べていました。映画の目立った部分でもなければ,特に感動的な場面でもありませんでした。しかしこんなに心の琴線に触れた言葉はありませんでした。
その瞬間,わたしは今まで天の御父に御子であられるイエス・キリストという贈り物について感謝するために,クリスマスの日にひざまずいたことがないことに気がつきました。クリスマスを祝ったどの年も,わたしは自分の家族やプレゼント,ゲームのことばかりに心を向けていました。両親や祖父母が最善を尽くして教えてくれたにもかかわらず,わたしはクリスマスに救い主がどれくらい大切か,心から理解してはいなかったのです。家族とともに聖典にある主の降誕の物語を読んでいましたが,クリスマスにおける主の降誕の重要性を深く考えたことがありませんでした。
天の御父に祈っていると,目から涙があふれました。わたしは御父が独り子を地上に送られた犠牲に感謝するとともに,御子が犠牲と思いやりに満ちたすばらしい生涯を送られたことに感謝しました。クリスマスに独りで家族と離れて過ごすのが悲しいのは依然として変わりませんが,おかげで家族に囲まれていたら学べなかったであろう教訓を天の御父が教えてくださいました。わたしに家族が与えられているのは,救い主のおかげなのです。
わたしはクリスマスを独りで過ごすことで,御子という天の御父の愛のこもった無限の贈り物についてほんの少し深く理解することができました。