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より一致した,人々を温かく迎える聖徒のコミュニティーになるための7つのアイデア
会衆を強めることは,わたしたちから始まります。
会員が世界中にいる教会では,天の御父と主イエス・キリストに対するわたしたちの証が,わたしたち末日聖徒のコミュニティーを一つにしています。わたしたちは,「もしもあなたがたが一つでなければ,あなたがたはわたしのものではない」(教義と聖約38:27)という主の真理を受け入れ,さらに救い主のようになろうとともに努力しています。
第4ニーファイには,キリストを中心とした社会の起こりと堕落が記されています。民の中にはまったく争いがなく,彼らは「すべてのものを共有し」(4ニーファイ1:3),貧しい者の世話をし,心の中に宿る「神の愛」(4ニーファイ1:15)に動機づけられていました。彼らは一つになっていました(4ニーファイ1:17参照)。しかし,やがて彼らはこうした価値観を捨て,内向きになり,かつての一致した社会を失いました。
彼らがかつて築いたような,もっとキリストを中心としたコミュニティーに向かって進んでいくにはどうすればよいでしょうか。以下は,わたしたちが神の子供としてさらに一致する助けとなる7つのアイデアです。
1.知らない人に自己紹介する
良い羊飼いとして,救い主はわたしたちを個人的に御存じであり,「自分の羊の名をよ〔ばれます〕。」(ヨハネ10:3)わたしたちは,互いに知り合い,理解し合おうと努めることによって,主の模範に従うことができます。また,ほかの人たちが自分は大切にされていると感じられるように助けることもできます。ステークがどれほど大きくても,支部がどれほど小さくても,もっとよく知り合える人は常にいます。
自己紹介をすることで,兄弟姉妹のことを気にかけていることを伝えられます。初めて教会に出席している人に話しかけるのも,普段あまり会話をしていない長年の会員と話すのもよいでしょう。それは,ランディー・D・ファンク長老が七十人の一員であったときに述べた,「彼らが進んで囲いに入り,中にとどまること」に対して感謝の気持ちを表すことなのです。1今後の会話の中で,人を名前で呼ぶことがいかに力強く思いやり深いことであるかを示された救い主の模範を思い起こしてください。
2.共通の業,すなわち救いと昇栄の業に焦点を当てる
コリントの聖徒たちにあてた手紙の中で,使徒パウロは,「お互の間に分争がないようにし,同じ心,同じ思いになって,堅く結び合っていてほしい」(1コリント1:10)と嘆願しました。同じ心になる一つの方法は,現在わたしたちがそれぞれ自分の旅路のどの地点にいようとも,聖約の道を歩み始め,その道にとどまるための共通の取り組みに向けてともに励むことです。救いと昇栄の業の中で,生活し,世話をし,招き,結ぶようにという招き2は,聖約を守る者として共通の機会をわたしたちに与えてくれます。
わたしたちは地元のユニットや地域社会の必要に対処するために,神が定められたこれらの4つの責任に焦点を当てることができます。支部,ワード,ステーク,または伝道部として,会員と指導者は,共通の大義において互いにミニスタリングをし合う方法をよりよく理解するために,ともに評議することができます。この共通の大義において力を合わせて働くことで,わたしたちは類いまれな方法で一つになることができます。
3.うわさを始めたり,広めたりしないようにする
真実であるなしを問わず,うわさや人を傷つける陰口は,ほかの人に対する否定的な見方を助長し,わたしたちのきずなを引き裂きます。有害なうわさを信じてはいけません。教会のコミュニティーの土台にひびを入れることになるからです。たとえうわさが真実であっても,広めたり始めたりしないでください。完全な人はいませんし,神の助けを必要としない人などいません。最初に石を投げつける者にならないでください(ヨハネ8:7参照)。
ワードや支部の会員が是正を必要とする場合には,指導者が本人と個人的に話し合うべきです。キリストは,「もしあなたの兄弟が罪を犯すなら,行って,彼とふたりだけの所で忠告しなさい」(マタイ18:15)と命じられました。
4.笑顔でミニスタリングを行う
七十人のアドリアン・オチョア長老は次のように述べています。「主は皆さんに御自身の偉大な業の一翼を担うよう望んでおられます。幸福の計画に従って生きるよう人を助けるときにこそ,この計画が自分にとって最も現実味を増すことでしょう。」3ミニスタリングの割り当ては,わたしたちがこれを喜んで行うことができる一つの方法です。
頻繁にミニスタリングを行っている場合でも,自分のミニスタリングの割り当てを確認しなければならない場合でも,わたしたちは常に御霊を求めて,神の御名によって人々に仕えるために神がわたしたちに何をするよう望んでおられるかを知ることができます。個人にミニスタリングを行う救い主の模範に従おうと努めるとき,わたしたちは人々を温かく迎えるコミュニティーを作ることによってイエス・キリストの福音の喜びと恵みを経験することができます。
5.互いをよりよく理解するように努める
わたしたちは皆,異なる個性と特性を持っています。そしてわたしたちは皆,キリストの体にあって必要とされています(1コリント12:12-31参照)。わたしたちは一人一人を理解し,大切にするよう努めることができます。互いをよりよく知ろうと努めるとき,互いが必要としている事柄についてよりよく支え合えるようになっていくことに気がつくかもしれません。
例えば,わたしたちの間に見られる異なる特質の一つとして,内向的な人と外向的な人がいます。しばしば「外向的な人」と呼ばれる人々は,大勢のグループや,知らない人と交流する必要がある割り当てを非常に心地良く感じます。「内向的な人」と呼ばれる人々は,親密なつながりを深められる少数の人々と交流できる状況を好むことがよくあります。どちらの人々も主の業において重要な特質を持っています。教会は外向的な人にとってより自然な機会を多く提供しています。例えば,教会で話をすること,伝道活動をすること,あまりよく知らない人たちと一緒に活動に参加することなどです。わたしたちのコミュニティーを強めようとするとき,わたしたちは内向的な人々の必要を認識し,彼らの強みや内向的な特質を引き立たせるような方法で,彼らが救いと昇栄の業にもっと心地良く参加できるよう助ける手段を講じることができます。
互いをよりよく理解し,支え合えるそのほかの方法には,家族の背景,経済,健康上の必要,関心事,そしてそれぞれが聖約の道のどの地点を歩んでいるかに敏感であることが含まれます。あらゆる種類の活動,クラス,集会,交流の準備をする際に,すべての人が自分は受け入れられていると感じ,主の業において自分がどれほど必要とされているかを理解できるよう,どのように助けるかを念頭に置くようにしましょう。これは,様々な関心事や背景を持つ会員に手を差し伸べる際にも当てはまります。
6.赦し,赦しを求める
新約聖書には,多くの奇跡的な癒しと,弟子となるようにとの神聖な呼びかけについて記されています。それは,わたしたちは変わることができるということについての,時代を超えた証です。人々を温かく迎えるキリストを中心とした会衆は,赦しの教義がなければ完成しません。わたしたちが人を不当に扱ったとき,また人から不当な扱いを受けたとき,重要なことは,わたしたち全員が贖い主を通して和解できるということです(2コリント5:18参照)。
ラッセル・M・ネルソン大管長はわたしたちに次のように勧めています。「赦すことと,赦しを求めることの両方に必要な,謙遜さ,勇気,強さを働かせてください。」4人を赦すことは容易ではないかもしれませんが,それによって愛する能力を伸ばすことができます。人に赦しを求めることは楽しいことではないかもしれませんが,それによって悔い改める能力を強めることができます。
人の短所や過ちに対して思いやりを示すことで,わたしたちを通して神の愛がさらに広い範囲に届くのです。赦しは末日聖徒の集まりをキリストに近づけ,「互いに和合し,愛し合って結ばれた心を」(モーサヤ18:21)より完全に持つことができるようにしてくれます。
7.あらゆる宗教と信条を持つ人々の間に信教の自由のコミュニティーを作る
より一致した,人々を温かく迎える宗教のコミュニティーを築くことは,わたしたち自身の宗教の枠を超えて広がります。教会員がアルゼンチンからジンバブエまで世界中で奉仕をするとき,わたしたちは宗教上の信条にかかわらず,すべての人を愛することができます。
十二使徒定員会のロナルド・A・ラズバンド長老は次のように教えています。「わたしたちは教会としてほかの宗教と協力し,すべての信仰と宗派の人々が彼らの信念について語る権利を守っています。このことはわたしたちが彼らの信条を受け入れることを意味しませんし,彼らも同様です。しかし,彼らとの共通点は,わたしたちの宗教を排除したいと思っている人々との共通点よりも多いのです。」5
人々に彼らの信条を大切にしている理由について話してもらい,あなたも自分の信条を大切にしている理由を分かち合ってください。コミュニティーを強めるために一緒にできることを見つけてください。わたしたちと同じ信仰を持たない人々と友人になることで,神の喜ばれる確かな一致が生まれます。わたしたちは「皆,キリスト・イエスにあって一つ」(ガラテヤ3:28参照)なのです。