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光,真理,イエス・キリストとともに歩む
光の中を歩み,欺かれることなく真理を見分けるうえで助けとなる3つの戦略について考えてください。
光を求める
美しい歌「主と歩もう」の霊感あふれる歌詞は,深く考える招きとなっています:
主は賢く 知恵を増し
神様と人 愛された
主は導き道示す
従い ともに歩もう
主を目指して日々歩もう
主の足跡に従い
主の近くで守り受け
一歩ずつ 愛伝えよう
主を信じて声を聞こう
どんなときでも 主はそばで
力くれる 慰めも
永遠に 生きるために
主とともに歩む方法を学び,主がわたしたちとともに歩んでくださるというすばらしい祝福を同時に受けること以上に,心が躍り,また心を高めてくれるチャレンジはほかにありません。
預言者エノクについて考えてください。信仰と理解が深まるにつれて,エノクは神のあらゆる方法で教えを受けました。信仰と言葉が非常に力強かったので,エノクは周囲の一人一人が悔い改め,戒めに従うことでもたらされる光と真理を自分で経験できるように助けました。変化と改心が非常に大きかったので,人々は主とともに歩み,後に天に取り上げられました。エノクは生活の中で光と真理を求め,イエスとともに歩むよう招かれました(モーセ6-7章参照)。
日々の生活の中で光と真理を探し求めることが,どのようにイエスとともに歩む助けとなるか考えてみましょう。聖文によれば光とは,「キリストを通して神から発せられ,万物に命と光を与える神聖なエネルギーや力,影響力。……またそれは,〔神の子供たち〕が福音の真理を理解し,救いに至る福音の道を歩めるように助けを与える」2ものです。モルモン書の預言者アビダナイは,イエス・キリストは「世の光であり命であ〔り,〕……まことに,決して暗くなることのない無窮の光であ〔る〕」(モーサヤ16:9)と説明しました。救い主は次のように言っておられます。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は,やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつであろう。」(ヨハネ8:12)
したがって生活の中で光を求めるとき,わたしたちはキリストを求めているのです。キリストを求め,主の光を受け入れるとき,わたしたちは主の子供たち,すなわち,「光の子」(1テサロニケ5:5)となるのです。光の子は,ほかの人々が自分たちの善い行いを見て天の御父をあがめるように,その光を輝かせます(マタイ5:16参照)。そのように努めるとき,生活の中で善を行うように導かれ,「やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつ」という約束を与えられるのです。イエスの聖なる光の中を歩み続けるならば,わたしたちは学び,成長し,さらに光を増すのです。3わたしたちがイエスとともに歩むとき,まずわたしたちが光を得ます。そして次に,イエスはわたしたち一人一人と一緒に歩み,「〔わたしたちが〕いつも御子の御霊を受けられる」(教義と聖約20:77)ように祝福してくださいます。これが1つのパターンであり,主がまさにエノクに約束された約束です。「あなたはわたしにつながっていなさい。そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう。それゆえ,わたしとともに歩みなさい。」(モーセ6:34)
真理を探求する
では,真理に注意を向けましょう。主はジョセフ・スミスに,「真理とは,現在あるとおりの,過去にあったとおりの,また未来にあるとおりの,物事についての知識である」(教義と聖約93:24)ということ明らかにされました。預言者ジョセフ・スミスはかつて次のように教えました。「知識は命と信心になくてはならないものです。知識は啓示です。 すべての兄弟の皆さん,この大いなる鍵に耳を傾けてください。すなわち,知識こそ救いを得させる神の力なのです。」4主は言われました。
「真理の御霊は神から出ている。わたしは真理の御霊であり,ヨハネはわたしについて証して,「主は完全な真理,すなわちすべての真理を受けられた」と言った。
人はだれも神の戒めを守らないかぎり,完全な真理を受けることはない。」(教義と聖約93:26-27)
兄弟姉妹の皆さん,この文脈において,真理は天からの光,知識,啓示に結びついており,神の思い,意思,人格,栄光,存在と一致しています。5真理には力があります。なぜなら,「真理は〔わたしたち〕を自由にするからで〔す。〕」(ヨハネ8:32)したがって真理は、不確実な現代という時代の中で物事をはっきりと見て,欺きを識別して避け、進路を決められるようにしてくれます。実際,わたしたちは生活の中で何らかの方法で常に真理を探し求めるべきです。賛美歌「真理は何と言えば」の2番と4番の歌詞は,真理を探求することの重要性を表すのに非常に有益です。
真理は人も神も
願い求む宝
行きて求めよ深きに,
また高き空に光る
いと尊き希望……
わたしたちは,世界がかつてないほど多くの情報で満たされる驚くべき時代に生きています。しかし、現在ほど真理を見分けるのが難しい時代はかつてありませんでした。わたしたちは,様々な価値観,騒々しくて対立を煽る意見,および巧妙な哲学で満ちあふれた世の中に住んでいます。これは自称専門家やインフルエンサーから発せられています。彼らの多くは,インターネットという暗い隠れ場から意見を発しています。オンラインでは,真理に対する決して終わりのない攻撃が行われるようです。
アメリカ大統領だったエイブラハム・リンカーンは聴衆と交流するのが好きで,話すときにはなぞやユーモアをよく使いました。ある話では,しっぽを足だと考えたら犬の足は何本になるか,聴衆に尋ねました。聴衆が5本だと答えると,リンカーン大統領は,しっぽを足と呼んだとしても足にはならないので,答えは4本であると応えました。
真理とはまさにそうようなものです。どれほど多くの人が自分たちの「真理」を好み,拡散しようと,あるいはどれほど多くの社会的影響力を持つ人がそれを認めても,しっぽは足ではなく,また足にはなり得ないというのが真理です。リンカーンのなぞは,「自分の真理」と絶対的な真理の違いを表しています。サタンは言葉から意味を消し去り,定義を変え,現実をゆがめる達人です。オンライン上の多くの人は,何かの定義を変更することで多くの問題から免れようとしているようですが,勝手に定義を変更しても現実や実際の真実は変わることはありません。
ある意味で,この世の真理の基準は良いと感じるものに対する相対的なものになっています。自分自身で定義した自分の真理に対する疑問はすべて,論争の的となり,個人への攻撃と見なされます。基準がなく,光と真理がない情報は,代替現実を形成します。例えば,インターネットに長い時間を費やしたときに見える世界を考えてみてください。インターネットのアルゴリズムにより,あなたのクリックや「いいね」に基づいて,コンテンツや情報がどんどん表示されます。インターネットのアルゴリズムは,何かをクリックすればするほど真理を追求するのではなく,広告と収益を向上させるために,類似したコンテンツを表示します。例えば,犬のビデオをクリックすると,すべての人が犬を愛し,犬を飼っており,インターネットは犬好きのための犬によって作られたとすぐ思うかもしれません。インターネットは,わたしたちが犬がほんとうに必要だと思い始めるまで,ますます多くの画像や広告を表示します。
今日の世界では,非常に力強いテクノロジーをポケットやリュックに入れて歩くことができるかもしれませんが,テクノロジーに光と真理を求めることはできません。驚くべき能力を備えたテクノロジーを持ち歩いても,イエスと歩くことと決して混同してはなりません。この世的な声やこの世的な情報源に頼って歩くと,わたしたちは偽りの哲学や偽りの言い回しを受けやすくなります。これらの事柄はわたしたちにとって魅力的かもしれませんが,真理を表すものではありません。
愛する預言者ラッセル・M・ネルソン大管長はかつて,次のように教えました。「真理は真理です。単に真実なものもあります。真理の確認者は神であり,お気に入りのソーシャルメディアのニュースフィードではありません。」7
ネルソン大管長以前に,何年も前に,わたしが大学生のときに預言者であったスペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)も,絶対的な真理は,「人の考えによって変わるものではありません」と教えました。8兄弟姉妹の皆さん,「絶対的な真理をますます軽蔑し,否定する世の中にあっても,絶対的な真理は存在します。」9
イエス・キリストとともに歩む
わたしたちの人生の探求は,光と真理を求め,救い主とともに歩み,今日の世に暗闇の中にあっても主がわたしたちとともに歩んでくださるというすばらしい祝福を受けることです。ネルソン大管長は次のように勧告しています。「よく聞いてください。 皆さんには見えない物事によって生じた疑いを抱く人々のために道をそれないでください。」10また,ネルソン大管長は証に光と真理を加えるようにわたしたちを招いておられます。
「どうぞ,自分の証に責任を持ってください。そのために努力してください。手に入れて,大切にし,育ててください。真理という養いを与えてください。不信仰な人々の誤った哲学で証を汚しながら,なぜ証が弱まっているのだろうかと悩まないでください。」11
これらの勧告は確かに,イエスがわたしたちとともに歩めるように、わたしたちがイエスとともに歩むという招きです。
神聖で絶対的な真理に不満を抱く人々が唱える相対的真理に欺かれることなく光の中を歩み,真理を見分けるにはどうすれば良いでしょうか。預言者の霊感を受けた教えとわたし自身の人生経験を通して学んだことに基づいて,幾つかの戦略を提案したいと思います。
モルモン書を定期的に研究する
第1に,モルモン書を定期的に研究する時間を取ることができるよう忙しいスケジュールの中でバランスを取る方法について,神に霊感を求めてください。イエス・キリストの福音の真理は,モルモン書の中で最も明確かつ力強く教えられています。この神聖な聖文の記録は,父なる神とその御子イエス・キリストがジョセフ・スミスを訪れられた後のこの神権時代におけるイエス・キリストの福音の回復において,最も重要な道しるべでした。モルモン書は,神が御自分の子供たちに対して抱いておられる真の完全な愛,イエス・キリストの無私の神聖な贖いの犠牲,および復活後間もなく救い主がニーファイ人の間で行われた輝かしい教導の業について証しています(3ニーファイ11章参照)。
モルモン書には,人生で最も心を引かれる疑問に対する答えが収められ,キリストの教義を教えています。愛する預言者ネルソン大管長が教えているように,この書物に含まれている真理は,「癒し,慰め,回復し,助け,強め,慰め,わたしたちの霊を元気づける力を持っています。」12時間を取ってこの驚くべき聖典を研究する人々に対する預言者の約束について考えてください。
「毎日祈りの気持ちでモルモン書を研究するならば,皆さんは毎日,さらによい決断を下すようになるでしょう。研究したことについて深く考えるならば,天の窓が開いて,自分自身の疑問の答えを授かり,自分自身の生活の中で導きを受けるようになります。毎日モルモン書をよく学び,味わうならば,……今日の悪から守られることを約束します。」13
モルモン書に時間を費やすと,皆さんはイエス・キリストへと導かれ,人生に必要な霊感と啓示で満たされます。それは皆さんの心を光で満たし,真理を見分ける助けとなります。
若いセミナリーの生徒だったときに,わたしは初めてモルモン書を最初から最後まで読み通しました。アルマが民に神の言葉を宣べ伝えたときに述べたように,心の中で温かい気持ちがふくらみ,心が満たされ,理解力に光が注がれ,ますます喜びを感じるようになったことを今でも覚えています(アルマ32章参照)。その気持ちと主がわたしを祝福するためにふさわしいと認められたさらなる光と真理は,やがてわたしの心に根差した知識に変わり,証の基となりました。モルモン書は,主を信じるわたしの信仰とイエス・キリストの教義に対する証を支えるかなめ石です。モルモン書は,キリストの神聖な贖いの犠牲が真実であるというわたしの証を強める隅石の一つです。モルモン書は,わたしの信仰を弱め,不信仰と暗闇を心に植え付けようとするサタンのの試みに対抗するための盾です。モルモン書は,救い主の光と真理に対する証を大胆に世に宣言する勇気を与えてくれます。よく祈りながら絶えずモルモン書を研究するならば,生活の中に光と真理を見いだし,救い主イエス・キリストに近づき,主とともに歩む方法を学ぶことを約束します。
主の神殿でもっと多くの時間を過ごす
二つ目の戦略は,主の神殿で主とより多くの時間を過ごすことです。ネルソン大管長は,2018年1月に大管長として教会全体に向けて最初に話して以来,神殿とその神聖な儀式と聖約がわたしたちの生活の中で果たす重要な役割について多くの教えることに焦点を当ててきました。そのときに大管長が教えた事柄は次のとおりです。
「わたしたち一人一人が目指すべき目標とは,主の宮で力を授けられ,家族の結び固めを受け,神殿で交わした聖約に忠実であるよう努力することです。そうすることで,神の最も大いなる賜物,すなわち永遠の命を受けるのにふさわしくなることができるからです。……神殿で礼拝し,そこで先祖のために奉仕するとき,皆さんは祝福され,よりいっそうの啓示と平安を受け,聖約の道にとどまるという決意をさらに確固としたものにすることができます。」14
これは今のわたしたちにとってどのような意味があるでしょうか。ネルソン大管長はこう答えられました。
「定期的に神殿に参入することの必要性は,かつてなく大きくなっています。よく祈って自分の時間の過ごし方を考えてくださるようお願いします。皆さんと家族の将来のために時間を使ってください。神殿があまり遠くない距離にあるならば,主の聖なる宮において,定期的に主と約束をする方法を見つけ,そしてそのとおりに喜びをもってその約束を守るよう,皆さんにお勧めします。わたしは皆さんに約束します。皆さんが犠牲を払って主の神殿で奉仕し礼拝するとき,主は,皆さんに必要だと知っておられる奇跡を起こしてくださいます。」15
兄弟姉妹の皆さん,この答えは生活の中で自分の優先順位に再び焦点を当て,その一つとして神殿を含めるようにという勧めです。神殿は文字どおり主の宮です。そして神殿に参入し,主を礼拝し主の光と真理を求めることに焦点を当てるとき,自分たちが地上を離れていること,そして孤独で寂しい世界はわたしたちの思いから遠く離れていることをはっきりとした印象として感じることができます。わたしたちはこの世の邪悪な影響に完全に抵抗できると感じます。神殿は啓示と教えの場所であり,わたしたちの時代に直面する霊的な嵐からの避け所です。
主の神殿で主のために時間を作る方法について考えるようお勧めします。主の聖なる宮に来て,主の前に重荷を置いてください。そうすれば,新しい御霊と将来に対する自信に満たされることを約束します。主は皆さんを抱き,育て,主とともに歩む道を一歩一歩導いてくださいます。神殿においてイエスに近づき、主とともに歩む方法を学ぶ中でわたしたちは永遠の真理を学び、より多くの光を受けます。
生ける預言者の言葉に従う
3つ目の戦略は,生ける預言者の言葉に従うことです。友人の皆さん,わたしたちは霊感を受けて主に代わって語るよう召されている預言者によって導かれると、いう祝福を受けています。預言者は,教えを通して神の御心と神の真の特質を知らせるために召されています。わたしたちは,常に,生ける預言者を信頼することができます。彼らの教えは,次のように宣言された主の御心を反映しています。「警告の声は,この終わりの時にわたしが選んだ弟子たちの口をとおして,すべての民に及ぶ。」(教義と聖約1:4。教義と聖約1:38も参照)。旧約聖書の歴代志下には,次のように記されています。「あなたがたの神,主を信じなさい。そうすればあなたがたは堅く立つことができる。主の預言者を信じなさい。そうすればあなたがたは成功するでしょう。」(歴代下20:20)
わたしたちの時代に預言者がいることは,神が御自分の子供たちを愛しておられることのしるしです。十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,わたしがどうしても慰めを必要としているときに,とても特別な方法でわたしの心に触れてくれてくださいました。主イエス・キリストの使徒になるというこの圧倒されるような召しを受けた後,わたしに最初に呼びかけてくれたのはホランド長老でした。わたしは,電話越しに聞こえたホランド長老の分かりやすい、力強い声にすぐに気づき,わたしに対するホランド長老と神の愛を感じました。わたしはホランド長老の声を救い主の僕の一人の声であることを認識し,わたしは圧倒されるような瞬間に大きな慰めと自信を得ました。
それが預言者と使徒の行うことです。あなたに対する神の愛を感じるために,主の預言者の一人から個人的な電話がかかってくる必要はありません。シンプルに彼らの教えに従うことで,皆さんは神の愛を感じることができます。若い友人の皆さん,彼らの声を認識し,知り,霊感を受けた勧告に従うようお勧めします。彼らは主の思いと心を明らかにするために聖任されています。わたしたちにとって最も安全な道は,主の預言者,とりわけ現在召されている教会の大管長を通して与えられる主の言葉に従うことです。末日の預言者や使徒とともに歩み,耳を傾けるなら,自分がさらにイエスとともに歩んでいることに気づくことを約束します。
ユダヤのベツレヘムで起こった人類の歴史上の真の栄光に満ちた出来事は,救い主イエス・キリストの降誕でした。主の降誕と生涯,贖いの犠牲は文字どおり光と真理を世にもたらしました。主御自身,次のように宣言しておられます。
「見よ,わたしはイエス・キリストであり,世に来ると預言者たちが証した者である。
見よ,わたしは世の光であり命である。」(3ニーファイ11:10-11)
わたしは,使徒パウロがテサロニケの聖徒たちに与えた次の勧告が好きです。「あなたがたはみな,光の子であり,昼の子である。わたしたちは夜の者でもやみの者でもない。」(1テサロニケ5:5)末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,皆さんは光の子なのです。皆さんはキリストの光と,聖霊の賜物を通して与えられる導きとなる光を持っています。常に,いつもその光の中を歩んでください。その光は,皆さんを真理へと導き,イエス・キリストとともに歩めるようにしてくれます。
救い主の光と真理を受け入れるとき,わたしたちは主の足跡に従い,サンダルを履いた主の足音を耳を澄まして傾け,主とともに歩む方法を学ぶことができるようになるでしょう。一人一人が大きな喜びをもって,「イエスとともに歩みます」と宣言し,「主はわたしとともに歩んでくださる」と自信をもって言えるよう祈ります。16主とともに歩むのが最も良い道です。
イエス・キリストが生きておられ,御自分のもとに来るすべての人に主の完全な愛が示されていることを証します。主はいつもそばにいてくださり,わたしたちが道の途中で疲れているとき,辛抱強く待っていてくださいます。また,どこにいようと,永遠にわたしたちとともに歩いてくださっています。
2022年12月12日にブリガム・ヤング大学で行われたディボーショナルでの説教から。