家族のためのリソース
第3課:夫婦間に愛と友情をはぐくむ


第3課

夫婦間に愛と友情をはぐくむ

応用のための提案

あなた自身の必要や状況に合わせて以下の提案に従ってください。

  • モロナイ7:45-48を研究し,この聖句に述べられている慈愛の要素を列挙する。そして,生活の中でこれらの要素を改善していくことを決意する。これらの要素が夫婦間の愛や友情をはぐくむことにどのようにつながるかを考える。

  • 伴侶はんりょと毎週二人だけで過ごす計画を立てる。カレンダーやノートに予定を書き入れておく必要があるかもしれない。

読書課題

以下の記事を研究する。既婚者の場合は伴侶はんりょと一緒に読んで話し合う。

結婚によって一つとなる

第12代大管長
スペンサー・W・キンボール

誉れある,幸せな,実り多き結婚生活は,普通の人ならだれでもが目指す大切な目標です。結婚は人が決心することの中で最も大切なものであり,また最も大きな影響を及ぼすものでしょう。なぜならば,結婚は目前の幸せばかりでなく,永遠の喜びをもたらすからである。またこれは,当事者二人だけでなく,その家族,特に子供や孫,さらにその子孫に影響を及ぼすものです。

したがって,永遠に連れ添う伴侶はんりょを選ぶに当たっては,細心の注意を払って計画し,考え,祈り,断食をして,最も大切なこの決定を下すようにしなければなりません。そうすれば,決断を誤ることはないでしょう。真実の結婚生活には,心と感情の一致が必要です。感情であらゆる決定を下してはなりません。かえって心と感情が,断食と祈り,そして真剣に考え抜くことによって強められるとき,結婚の幸福に対して最大の機会を与えてくれるのです。

テレビ映画や小説では,たいてい主人公が結婚したところで物語が終わります。「こうして二人は末長く幸せに暮らしました」と。しかしわたしたちは,結婚式を挙げるだけでは幸福になれないし,実りの多い結婚生活も営めません。幸福は電灯のようにスイッチを入れさえすればよいというものではありません。幸福は心の状態であり,自分自身の内部からもたらされるものです。幸福は努力して得るものです。金銭で売買したり,待っていたりしては得られるものではありません。

ある人々は,幸福というと,安易で,ぜいたくで,いつもスリルに富んだ華美な生活を想像します。しかし,ほんとうの結婚は,私心をなくして相手に与え,仕え,分かち,犠牲を払うところからもたらされる幸福をその基とするのです。

異なる環境の下で育ってきた二人は,結婚式を挙げると間もなく,避けることのできない現実の姿を知ります。そこにはもはや,空想や見せかけの生活はありません。雲の外に出て,自分の足をしっかりと大地の上に置かなければなりません。そして,責任を負い,新しい義務を引き受けなければなりません。個人的な自由をある程度制限し,いろいろな面で私心をなくし,夫婦間の調整を図ることが要求されるのです。

また,結婚してしばらくすると,以前に気づかなかった,配偶者の欠点を知るようになります。そのうえ,結婚前にいつも目に映った様々な徳が次第にその姿を消し,以前にはごくわずかでそれほど気にならなかった欠点が,大きく頭をもたげてきます。相手の心を理解し,自己評価し,良識を働かせ,分別を用い,夫婦の関係を密にする計画を立てる時期が訪れたのです。長年の癖がその姿を現してきます。配偶者は倹約家かあるいは浪費するタイプでしょう。怠け者かあるいは働き者,信心深いかあるいは不信心でしょう。夫は親切で協力的かもしれないし,あるいは怒りっぽくて気難しいかもしれません。厳しく要求する人かあるいは手を貸してくれる人でしょう。自己中心的かあるいは控えめかもしれない。義理の親との問題が明らかになってきますし,彼らと配偶者との関係が再び大きく取り上げられるようになります。

すぐ目の前にある重大な責任と取り組んだり,引き受けたりしたがらないことがしばしば見られます。節約はなかなかぜいたくな暮らしに取って代わりそうもなく,若い人々はしばしば,「隣人と同じ物を持とう」と躍起になっているように見えます。必要な経済上の調整をするのに気が進まない様子がしばしば見られます。若い妻は,成功した父親の豊かな家でかつて味わっていたすべてのぜいたく品を,自分自身の家でも持ちたいと要求することがよくあります。その中のある者は結婚後も仕事を続けることによって,あのぜいたくな暮らしをするのに非常に積極的です。その結果,義務を果たすべき家庭を放り出し,職場に仕事を求めるようになります。こうして,一つの固定した経済が出来上がり,普通の家族生活を受け入れることが非常に難しくなるのです。夫婦で共稼ぎするようになると,家庭には協力の精神ではなく,競争が芽生えてきます。疲れ切って帰って来る二人の神経は高ぶり,尊大となり,自己中心となり,そして誤解が生じるからです。ささいな摩擦が途方もないものになってきます。

結婚生活は容易ではありません。感情の行き違いや挫折感を味わうことも多くあります。しかしその一方で,永続する真実の幸福を得ることも可能です。それは人の心で推し測ることもできない大きな喜びとなり,しかもすべての夫婦,すべての人々がそれを手にできるのです。「気性の合った人」とは作り話であり,また幻想でもあります。あらゆる努力を払い,よく祈って,最も麗しく一致のある生活を営める相手を見いだすように努めるとき,確かにすべての若い男女は,幸福を得,実り多い結婚生活を営むことができるのです。しかしそのためには,二人が進んで代価を払わなければなりません。

すべての夫婦に永遠の幸せな結婚を保証する,絶対に確実な公式があります。しかしどのような公式についてもそうですが,主要な材料は無視したり,減らしたり,限定したりしてはなりません。ふさわしい相手を選ぶことや結婚式後も思いやりを持ち続けることも大切ですが,何と言っても,結婚生活をどのように営むか,これが最も重要です。しかもそれを実りあるものにすることは当の二人にかかっているのです。一人にではなく,二人にです。

すでに述べられた合理的な標準に基づいて結婚生活が始められ,築かれているならば,配偶者の片方または双方の中にある力以外に,それを破壊できる力は存在しません。そして,二人は広く責任を引き受けねばなりません。ほかの人々や作用が,よきにつけあしきにつけ影響するかもしれない。経済,社会,政治,その他の諸情勢が関係しているように思われるかもしれません。しかし,結婚生活は第一にそして常に夫婦自身に依存しています。二人が決意し,私心をなくし,正義に従うならば,必ず結婚生活を実りある,幸せなものとすることができるのです。

そのための公式は簡単です。材料は少ないですが,それぞれ広い応用が考えられます。

まず第1に,結婚に向けて適切な取り組み方をしなければなりません。すなわち,相手を選ぶに当たってじっくりと考えることであり,自分にとって大切な事柄のすべての面でできるだけ完璧に近い配偶者を選ぶようにします。その後二人の当事者は,実りある共同生活のために一生懸命働くべきことを認識しつつ神殿の聖壇に来なければなりません。

第2に,大いなる無私の精神がなければなりません。私心をなくし,家族生活のすべてとそれにかかわるすべてのものを家族の益に向けなければなりません。利己心に打ち勝つのです。

第3に,愛を保ち,さらに大きくするために,求婚時代の精神と愛情と親切,思いやりを続けて表現しなければなりません。

第4に,イエス・キリストの福音の中に明らかにされているままに,主の戒めに完全に従って生活しなければなりません。

以上の材料を適切に混ぜ合わせ,続けて機能させるならば,不幸になり,誤解が続き,不和が生じる余地はまったくありません。離婚を扱う弁護士は転職する必要が出てくるでしょうし,離婚の法廷は閉鎖されるでしょう。

結婚の聖壇に近づく二人は次のことを悟っていなければならない。つまり,彼らが望む幸せな結婚に到達するには,結婚は合法的な覆いではなく,犠牲であり,共有であり,個人の自由をある程度削ることでもある,と知っていなくてはなりません。結婚は長く,困難な倹約生活を意味します。結婚は経済的な重荷と奉仕の重荷,心配と気苦労の重荷を伴う子供たちを意味します。しかし,同時に,あらゆるものの中で最も深く,最も甘い感動をも意味するのです。

結婚するまで,人にはそれぞれ自分の意のままに行動する自由があり,人生設計も思いどおりに行い,自分を中心にすべてのことを決定できます。結婚する男女は,誓いを立てるに先立って次のことを認識しなければなりません。すなわち,新しい小さな家庭の幸せが夫婦どちらか一方の益よりも常に優先するべきであることを,文字どおりに完全に受け入れなければならないのです。それぞれの当事者が「わたしは」,「わたしの」という言葉を除き,その代わりに,「わたしたちは」,「わたしたちの」という言葉に置き換えなければなりません。すべての決定を下すに当たって,それによる影響を受けるのは二人かそれ以上いることを考慮しなければなりません。妻は重大な決定を下すときに,それが両親と子供たち,家庭,そして自分たちの霊的な生活に及ぼす影響に心を配るでしょう。夫は職業や社交,友人,趣味を選ぶ場合,自分が家族の一員にすぎず,家族全体のことを考える必要があるという見地から,考慮しなければなりません。

結婚生活は必ずしも平穏無事とは限りませんが,家庭を平安なものとすることは可能です。貧乏,病気,失望,失敗,さらに家族の死にさえ直面するかもしれません。けれどもこれらも平安を奪い去ることはできないのです。結婚生活は,利己心の入り込む余地を与えないかぎり,実り多いものとすることができます。利己心を完全に排するならば,困難や問題に直面することによって,夫婦は決して破れない結びつきに到達することでしょう。1930年代の大恐慌の期間,離婚はごくわずかでした。貧困,欠乏,失望-これらが夫婦を結びつけたためです。繁栄は夫婦のきずなを断ちますが,逆境はきずなを強めるのです。

利己心に基づいた結婚はほとんど間違いなく失敗します。富のために結婚する人,または名声や社会的地位のために結婚する人は,必ず失望を味わいます。虚栄心や自尊心を満足させるために結婚する人,ほかの人を困らせる,あるいは傷つけるために結婚する人は自分自身をだましているにすぎません。しかし,幸福を受けるとともに与えるために,奉仕されるとともに奉仕するために結婚する人,二人の,そしてやがては家族の利益を求める人は,幸せな結婚という良い機会に恵まれるでしょう。

愛は花に似ていますし,また体にも似ています。愛は絶えず養いを必要としています。死すべき体は,もし度々養いを与えなければ,すぐにやせ衰え死んでしまうでしょう。繊細な花は栄養と水がなければ,枯れて死んでしまうでしょう。愛もそれと同じで,愛を構成するものによって続けて栄養を与えられなければ,永遠に続くことは期待できないのです。

利己心をなくすと,実り多い結婚生活の中に必ず今一つの要素が生まれてくる。一人が相手の関心事,慰め,幸福を常に求めるならば,結婚前に芽生え,結婚とともに結び合った愛は,ますます深くなるでしょう。結婚生活がかび臭くなり,愛が古いパンか,あるいは使い古した冗談や冷たい肉汁のように冷たくなるにまかせているたくさんの夫婦がいます。確かに,愛にどうしても欠かせない食物は,思いやり,親切,思慮深さ,関心,愛情を示すこと,感謝の抱擁,称賛,自尊心,親しい交わり,信頼,信仰,協力,平等,そして独立です。

ほんとうに幸福な結婚生活を営むためには,主の戒めを継続して忠実に守らなければなりません。独身者,既婚者を問わず,いかなる人も義にかなっていないかぎり,最高の幸せを得ることはありませんでした。差し当たっては一時的な満足や人をだます状況があります。しかし,恒久的には,完全な幸福は清さとふさわしさを通してのみ得られるのです。深い宗教的確信を伴う宗教的生活の様式を持っている人は,不活発な生活では決して幸福になれません。まったく無視するのでなければ,良心が悩ませ続けるでしょう。このケースでは,結婚はすでに危うくなっています。良心の呵責かしゃくは生活を最も耐え難いものにします。不活発は結婚生活にとって有害です。特に,当事者の不活発が様々に変化する場合はそうです。

宗教的相違は最もつらく,あらゆる相違の中で最も解決が難しいものです。

結婚は神によって定められたものであり,単なる社会の慣習ではありません。したがって,ふさわしく実り多い結婚生活としないかぎり,人は決して昇栄できないことでしょう。主の御言葉にあるように,結婚することは正しく,ふさわしいことなのです。

これは真実なので,思慮深く聡明な末日聖徒は慎重に人生の計画を立て,必ず道の上に障害物がないようにするでしょう。一つの重大な間違いを犯すことによって,人は道の上に障害物を置いてしまうかもしれません。それは決して取り去られずに,永遠の命と神の位-わたしたちの究極の行く末-への道をふさいでしまうかもしれません。もし,夫婦が自分自身よりも主を愛し,また自分以上に配偶者を愛して,福音を基としてその計画に完全に合致した生活を営むならば,この大きな幸せを必ずや得るに違いありません。夫婦がそろって度々聖なる神殿へ行き,家庭では家族とともにひざまずいて祈り,教会の集会に出席し,思いにおいても肉体においても完全に清い生活を送り,自分のすべての思いと望みと愛を伴侶はんりょに向け,さらに神の王国を築くために力を合わせるならば,無上の幸福を味わうことでしょう。

結婚生活には時々,主が次のように言われたにもかかわらず,ほかの者との結び合いが見られます。「あなたは心を尽くして妻を愛し,妻と結び合わなければならない。その他のものと結び合ってはならない。」(教義と聖約42:22

この言葉は,次のように完全に言い換えることができる。「あなたは心を尽くして夫を愛し,夫と結び合わなければならない。その他のものと結び合ってはならない。」しばしば,母親や父親や友人と結び合い続ける人々を見受けます。母親がいつまでも子供たちのことに口出しを続ける場合もあります。さらに,妻ばかりか夫までが母親や父親のもとに行って助言と知恵を求め,秘密を打ち明けることがあります。たいていの場合,妻と結び合うべきであり,あらゆる夫婦間の事柄は決して他人に口外せず,二人の間だけにとどめるべきであるのに。

夫婦は自分自身の家を,すなわちどちらの義理の親の家からも離れた別個の家をすばやく見つけるものです。その家は非常につつましく,飾り気のないものでしょう。しかし,それでも独立した城なのである。結婚生活は妻の親族からも夫の親族からも独立すべきです。彼らをこれまでにも増して愛するでしょうし,彼らの勧告を大切にし,その交わりをありがたく思うでしょう。しかし,あなたは自分自身の生活をしなければなりません。あなたの決定と,しかるべき人々から勧告を受けた後のあなた自身の祈りを伴う熟考とによって,治められる生活です。結び合うとは,単に同じ家に住むことではありません。親しく支え,互いに忠実になることを意味するのです。

「それゆえ,……彼ら二人が一体となることは正当である。これはすべて,地がその創造の目的にかなうためであり,世界が造られる前の人の創造に応じて,地が人の数で満たされるためである。」(教義と聖約49:16-17

兄弟姉妹,これは主の御言葉です。きわめて重大であり,何人も主に反論することはできません。主は地球を造り,民を造られました。もろもろの事柄を御存じです。主は計画を定められました。わたしたちは,これらの重要な事柄について主を説き伏せるほど,知性は優れていませんし,賢明でもありません。主は,何が正しく真実であるかを御存じなのです。

わたしたちは皆さんに,これらの事柄について考えていただきたいと願うものです。皆さんは申し分のない結婚生活を送り,立派な生活を営み,結婚生活におけるあなたの役割を正しく実践するように努めてください。