第8課
家族の財政を管理する
応用のための提案
あなた自身の必要や状況に合わせて以下の提案に従ってください。
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最近購入したものをリストにする。必要だったものに「必」,必要ではなかったが欲しかったものに「欲」と書く。そのリストを使って購買についてのあなたの姿勢を評価する。不必要なものにお金を使いすぎているようであれば,もっと賢明な方法を考える。
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伴侶 とともに特定期間の予算を作成する。1か月間がよいであろう。33ページの例をガイドとして使う。決めた予算内で生活するように協力する。
読書課題
以下の記事を研究する。既婚者の場合は
不変の原則
第一副管長
N・エルドン・タナー
今日,皆さんに分かち合いたいと思っているのは,不変で根本的な原則に関してわたしが感じていることです。この原則に従うならば,いかなる経済状態が来ようと,財政的な安定と心の平安を保つことができるでしょう。
「まず神の国を求めなさい」
最初に,この経済原則が適用されるべき基本的な事柄と物事の観点を明らかにしたいと思います。
ある日,孫がわたしのところに来て次のように言いました。「ぼくは,おじいさんをはじめ多くの成功した人を見てきました。そして,自分も成功した人間になろうと決心したのです。ぼくは,できるだけ大勢の成功した人に会って,成功の
わたしは主が与えてくださった最も偉大な成功の公式を引用しました。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
皆さんの中には,神の国を第一に求めなくても経済的に豊かな人がいる,と言って反論する人もいるでしょう。確かにそのとおりです。しかし,神の国を第一に求める人に,主は物質的な富だけを約束しておられるのではありません。わたし自身の経験からも分かりますが,先の反論は当を得ていません。ヘンリック・イプセンは次のように述べています。「金銭は物事の外皮であって核心ではない。金銭によって食物は手に入っても,食欲は手に入らない。薬は買えても,健康は買えない。知人はできても,友人はできない。召し使いは雇えても,忠実な人は雇えない。楽しい日々が続いても,そこに平安と幸福はない。」(The Forbes Scrapbook of Thoughts on the Business of Life〔1968年〕,88で引用)
物質的な祝福は,義にかなった目的をもって義にかなった方法で求めるときに,初めて福音の一部となるのです。ここでヒュー・B・ブラウン副管長の経験を思い起こしてみましょう。第一次世界大戦のときに若い兵士として働いていた彼は,ある日,年輩の友人を見舞うために病院を訪れました。この友人は80歳になる大富豪でしたが,今や死の扉の前に立たされていました。離婚した妻や5人の子供のうち,だれ一人として病院に見舞いに来る者はありませんでした。ブラウン副管長は,友人が失ってしまった,金銭では買うことのできないものについて考え,彼の悲劇的な状態と悲しみの深さを思いやりました。そして,こう尋ねました。「もう一度人生をやり直せるとしたら,どのように生活を変えたいと思いますか。」
数日後に他界したその老紳士は,次のように答えました。「今振り返ってみれば,わたしは最も大切で価値のある財産を確かに持っていたと思う。しかし,巨万の富を築く過程でそれを失ってしまった。その財産とは,わたしの母が神に対して,また人の不死不滅に対して持っていた純粋な信仰のことだ。……君は人生で最も価値のあるものについて尋ねた。わたしにはその答えとして,あの詩以上に適切な言葉は浮かんでこない。」彼はブラウン副管長に,かばんから1冊の小さなノートを取り出して「わたしは異邦人」という詩を読むように言いました。
母の教えた信仰を捨て わたしは一人の異邦人。
母の求めた神を忘れ わたしは一人の異邦人。
祈りによる慰めもなく わたしは一人の異邦人。
死んだ父を抱きかかえた
永遠の
きらびやかな世界に誘われて
わたしはすべてを捨て去った。
盲目となったわたしは 神の
目のくらんだわたしは むなしい名声を追い求めた。
きらきらと光を放つ黄金に
人生のすべてをかけていた。
やがて勝利者となったわたしは
限りない報酬をこの手にした。
しかし,名声も,黄金も,快楽も,
すべての財産も投げ与えよう,
わたしの母を支えていた あの信仰さえ得られるなら。
「これが,教会員の家庭に生まれながら教会から離れていった男の最後の
モルモン書の中で,預言者ヤコブは次のように重要な勧告を与えています。
「しかし,富を求める前に神の王国を求めなさい。
キリストに望みを抱いてから富を求めるならば,富は得られるであろう。しかし,富を求める目的は,裸でいる者に着せ,飢えている者に食物を与え,束縛されている者を自由にし,病人や苦しんでいる者を救うなど,善を行うことである。」(モルモン書ヤコブ2:18-19,強調付加)
したがって,基本的な事柄と物事の観点は以下のとおりです。まず神の王国を求め,働き,計画し,賢明に使い,将来の設計をし,そして与えられた財産を王国の建設のために役立てなければなりません。この永遠の観点から物事を見通し,固い基盤の上に立って生活するならば,入念な計画と熱意をもって遂行すべき人生の目標や日常の仕事に,自信を持って対処できるようになるでしょう。
この考え方に基づいて,経済的な安定を図るための5原則について説明したいと思います。
正直に什分 の一を納める
原則1.正直に什分の一を納める。什分の一を納めることは主や教会に対して贈り物をすることではない,ということをわたしたちは理解しているでしょうか。什分の一を納めることは,主に対する負債を返済することです。主は,生命そのものも含めて,あらゆる祝福の源となる御方です。
質素に生活する
原則2.収入の範囲内で生活する。わたしが気づいたのは,人は使える以上のお金を得ることなどできないということです。人に心の平安を与えてくれるのは稼ぐお金の額ではなく,そのお金を管理することであると,わたしは確信しています。お金は従順な
出費を収入の範囲内に抑える
必要な物と欲しい物を区別する
原則3.必要な物と欲しい物を区別することを学ぶ。購買欲は人が作り出すものです。自由競争の経済社会では,限りない商品とサービスが生み出され,便利でぜいたくな暮らしに対するわたしたちの欲望を刺激します。わたしはこのような商品やサービスを生み出す経済制度やこれらの存在を批判するつもりはありません。わたしが関心を持つのは,購入に際して末日聖徒が正しい判断力を行使することです。犠牲が永遠にわたる自制の重要な部分を占めていることを学ばなければなりません。
合衆国やほかの国々において,第二次世界大戦後に生まれた多くの両親や子供たちは,繁栄の時代だけを経験してきました。欲しい物がすぐに手に入る時代です。そこには,働く能力を持つ人がすべて働ける十分な職がありました。大方の人々にとって昨日はぜいたく品であった物が,今日は必需品と考えられる世の中です。
これを典型的に表しているのが,ある若い夫婦の例です。この夫婦は,両親が長年の犠牲と苦心の末に手に入れたぜいたくな品々を,結婚当初から自分たちの家庭に備えようとしました。あまりにも多くの品物を早急に求めた二人は,安易なクレジットの計画に走り,負債の中に身を沈めました。そのため,教会が勧める食糧貯蔵やほかの非常時に備えるプログラムを行う経済的な余裕がなくなってしまいました。
わがままと粗雑な家計管理は,結婚生活に重大な心労を生じます。ほとんどの夫婦間の問題は経済的なことに根ざしているようです。家族を養うのに十分な収入がないか,または得た収入を正しく管理していないかのどちらかなのです。
ある若い父親が財政上の助言を求めて監督のところに来ました。そして,よく耳にする次のような話をしました。「監督さん,わたしは技術者として十分な訓練を積みましたから,今では高い収入を得ています。収入を得る方法を学校の教師から学んだのです。でも,その収入を管理する方法はだれも教えてくれませんでした。」
すべての学生が消費者として必要な知識を学校で身に付ければ,それは望ましいことです。しかし,彼らを訓練する第一の責任は両親にあります。両親はこの大切な訓練を偶然に任せたり,公立学校や大学に責任転嫁したりしてはなりません。
この訓練を行ううえで重要なことは,負債について説明することです。多くの場合,経済上の負債には2種類あります。すなわち,消費によって生じる負債と投資あるいは業務上の負債です。消費によって生じる負債とは,日常生活で使用または消費する品物をクレジットで購入することです。例えば,洋服や家庭用品,家具などを分割払いで買う場合がそうです。この負債は,将来の収入を担保にして借りたものです。これは非常な危険をはらんでいます。失業したり,障害を負ったり,重大な緊急事態に遭遇すれば,返済が困難になります。分割払いは最も費用のかさむ購入方法です。品物の価格に加えて,高い利子と手数料を取られてしまいます。
若い夫婦であれば,時にはクレジットによる購入を必要とすることもあるでしょう。しかし,ここで注意しておきたいことは,実際に必要とする物以外は購入しないこと,そして負債はできるだけ早く返済することです。金銭的な余裕がないときに,利子による余計な重荷を負ってはなりません。
投資負債は,家族の生活を保証できる範囲に担保を制限すべきです。投機的事業に手を出してはなりません。投機には,人を酔わせる独特の雰囲気があります。人間の尽きることのない物欲によって,多くの財産が失われてきました。過去の悲劇から学ぼうではありませんか。そして,ますます増え続ける商品を手に入れようと,飽くことを知らない物欲の奴隷になって,時間や労力や健康を費やすことを避けようではありませんか。
スペンサー・W・キンボール大管長は
「主は一つの民であるわたしたちを祝福し,過去の時代には見られない繁栄を与えてくださいました。わたしたちに任された資源は良いものであり,この地上での生活に必要です。しかし恐ろしいことに,多くの人々は牛や羊,土地や建物,また富に満たされすぎて,偽りの神であるそれらのものを崇拝し始め,それらのものに支配されるようになってきました。わたしたちは信仰が堪えられる以上の物資を持っているというのでしょうか。大勢の人々が自分自身の幸福のためにほとんどの時間を費やしています。それには,十分なお金,株,債券,有価証券,土地,クレジットカード,家具,自動車,その他長く幸せな人生の安全を保証するものが含まれています。わたしたちの務めは,与えられた豊富な資源を家族や定員会で用いて神の王国を築くことであるという事実を見落としているのです。」(「偽りの神々」『聖徒の道』1977年8月号,351)
キンボール大管長の言葉に加えて,このことを
賢明な予算を組む
原則4.予算を組んで,その範囲内で生活する。わたしの友人の娘は,ブリガム・ヤング大学の海外研修プログラムで半年間外国に行っています。彼女はいつも送金を求める手紙を家に書いてきました。友人は心配になって国際電話をかけ,送金が必要な理由を問いただしました。すると彼女は電話で次のように説明しました。「だってお父さん,送っていただいたお金は,全部使ってしまったんですもの。」
友人は答えて言いました。「分かっていないようだね。わたしが尋ねているのは出費の計画,予算であって,使ってしまったお金の記録ではないんだよ。」
恐らく両親というものは,下宿中の息子から電報を受けた次の父親のようにあるべきでしょう。「カネナシ,タノシミナシ。ムスコ」父親は折り返し電報を打ちました。「キノドクニオモウ。チチ」
何年もの間,大勢の人々と面接してきて感じたことは,実行可能な予算を持たず,予算に添って自制していない人があまりにも多いということです。多くの人は,予算を立てると自由が奪われると考えています。反対に,成功している人々は,予算が真の経済的自由を可能にしてくれることを知っています。
予算や財政管理をひどく複雑にしたり,そのために多くの時間を使ったりする必要はありません。ある移民して来た父親の話ですが,彼は支払うべき勘定書はくつ箱に,取り立てるべき勘定書は書類差しに,そして現金はレジスターに収めていました。
息子が次のように尋ねました。「どうしてこんな方法で仕事になるんですか。利益のあったことは,一体何から分かるのですか。」
その男は答えて言いました。「息子よ,私が船から降りたとき,身に着けているものといったらズボンだけだった。今では,おまえの姉は美術の教師になり,兄は医者になった。そして,おまえは会計士だ。わたしは車や家を手に入れ,良い仕事にも恵まれている。すべてが順調にいった。だから,ズボン以外に数え上げるものはすべて,わたしの利益なんだよ。」
賢明な会計カウンセラーは,適切な予算には4つの要素があると教えています。第1に食料品や衣料品など生活必需品に要する費用,第2に家庭の維持に必要な費用,第3に貯金や健康保険,生命保険など非常時の必要に備えるための費用,そして第4に将来のための賢明な投資と貯蔵プログラムに要する費用です。
この中から二つの要素を取り上げてみましょう。わたしたちの生活の中で,思いがけない出来事ほど避けられないものはないでしょう。医療費が高騰する現在,ほとんどの家族にとって健康保険が,大きな事故や病気,あるいは出産,特に早産などの費用を賄う唯一の方法になっています。生命保険に加入すれば,一家の主人が早すぎる死を迎えた場合も,遺族は引き続き収入を得ることができます。すべての家族が適切な健康保険と生命保険に加入して,備えをすべきです。
以上の基本条件を満たしたうえで,事業投資用の資金を作るために節約して定期的に貯金するのです。これはわたしの意見ですが,定期的に貯金する習慣をまず身に付けずに,投資で成功した人はほとんどいません。これには識別力を伴う判断力と自制心が必要です。投資には様々な方法があります。ただ一つだけ忠告すると,投資のカウンセラーを正しく選ぶことです。投資で成功しているかどうかによって,彼らがあなたの信頼を受けるにふさわしい人物であることを確かめてください。
正直になる
原則5.あらゆる金銭上の事柄に正直になる。誠実さの理想は決して流行遅れにはなりません。それはわたしたちの行動すべてに当てはまります。教会の指導者,また会員として,わたしたちは誠実さのひな型にならなければなりません。
兄弟姉妹の皆さん,わたしは以上の5原則を通して,模範的な財政と資源の管理がどのようなものであるかお話ししてきました。
それらの原則を適用して,わたしたち一人一人が良い結果を得るように願っています。以上の事柄が真実であることと,わたしたちの従事する業とこの教会が真実であることを